16 ヘドロスライム

「....ま、まってよー!」


俺の後ろから駆け足で着いてくるのはオレンジ色の短い髪の獣人、ミルシェだ。

とてつもなく臭いとされるヘドロスライムの駆除に直前まで反対していたが、なんだかんだ着いてきたのだ。


「なんだよ、来るのか?」

「だって.....ギンが行くって言うから」

「くく...楽しみだな。お前の反応」

「う!」


悪い顔をする俺に、それを想像したのかミルシェが頬をひきつらせた。


「.....ギンは知らないから言えるんだ!」

「そうか?お前が獣人で鼻が効くからじゃないのかよ」

「うーん....それもそうだけど....」


ミルシェが眉を顰め、怪談を話すときのような顔をした。


「なんでも、ヘドロスライムのヘドロに当たると1週間は匂いが取れないらしいんだ.....」

「はぁ?んな馬鹿な話があってたまるか.....!」

「本当だって!」


具体的な話に、俺もまた苦い顔をする。特に、近づいて戦う俺にとっては聞きたくない話だった。


「まじかよ...今のところ服もこれしか無いのに」

「終わったら、一緒に買いに行こう......!」


少しテンションを落としつつも、二人は目的地へと歩いていく。

ドラゴンの糞が発見されたという目的地は、王都と反対側にある草原「リド平原」だ。広く多種多様な生物が生息するリド平原は、あまり強い魔物がいないことからも、初級冒険者達の狩り場らしい。


「すげえな。見渡す限り草原だ」


街を出てすぐ、俺は目を丸くする。視界に広がるのは見渡す限り緑の草原と、青く晴れ渡る空だけ。俺にとってはあまり見ない絶景だ。


「目的地はどっちなんだって?」

「んー.....南東の森林、ウラルタ川の下流付近だってよ。簡単な地図も書いてある」


バッグから依頼書を取り出し、ミルシェにも見せる。朝からいきなりの出発だったが、支給品を借りることができたので準備は申し分ない。もちろん武器は盾で、ストラップをたすき掛けにして背負っている。


「ふむふむ、ここなら知ってるかも!」

「お、じゃあ案内よろしく」

「...う、うん」


思い出したように、ミルシェが口をへの字に曲げた。相当行きたくないようだが、案内はしてくれるようだ。バレオテから出て草原を南東に進み、遠くに見える森の方へと歩いていく。


十数分歩き、森が見えてきた頃。先頭を歩くミルシェがその足を止めた。


「.......」

「どうした?」


俺の疑問の声にミルシェが振り向く。その顔には明らかな嫌悪感が示されており、それが「鼻」で感じ取ったものだと表情から理解できた。おそらく、目標が近いのだろう。


「まじか。俺にはなんも匂わないぞ」

「近いよ.....ギン。これ以上はきついかも....」


ミルシェが目をすぼめ鼻をつまむ。確かに、近づくのはかなりきつそうだ。そんな様子を見かねて、俺がバッグからとあるものを取り出した。


「ほれ、ラケーレが即興で作ってくれた鼻栓だ」

「......!」

「匂いを防ぎつつ、いい匂いで被せてくれるらしいぜ」


ラケーレ特製の鼻栓。ミルシェのために一応と、支給品と一緒に持たせてくれたんだ。

ミルシェへ渡すとすぐにそれを鼻につける。


「......す、すごいよギン!全然臭くない!」


途端に、元気を取り戻したのかその目を輝かせる。


「これで行けるか?」

「よっしゃーいくぞー!」

「......」


さっきよりも元気な様子で意気揚々と歩き出した。その変わりように、思わず俺は苦笑いを浮かべた。

二人は再び、匂いの発生源へと歩き出した。


「....ぐ!これか......!」


森の中へ入っていってすぐ、まだそこまで強烈ではないが酷い匂いが漂ってきた。隣を歩くミルシェも、心做しかさっきよりも少し元気を無くしている。


「この先だ!行くぞミルシェ!」

「....う、うん!」


草木をかきわけて発生源へと近づいていく。まっすぐ突き抜けると光がさして開けた場所に出た。

そしてついに、対面する。


「───うそ、だろ!?」

「!?!?」


その光景に、そして匂いに、二人は目をあらん限りに開き驚愕した。視界に映るのは、楕円形の巨大な半透明のヘドロ。それは言い難い強烈な異臭を放ち、時たま動くことでそれが生物だと知らせてくる。


「っくっせええぇっ......!!!」


鼻が曲がる。いや、鼻がもげそうな匂いが放たれる。これまでに嗅いできた臭い匂いが、どれもいい匂いにさえ思えてくる。俺はふとミルシェの方を見た。この匂いに鼻栓で抗えるのだろうかと考えたのだ。

──────それは完全に否だった。


「おえぇぇ........」


無惨にも、可愛らしい獣人のパートナーは四つん這いになり惨めな姿を晒した。まだ戦いは始まっていないが、どうやらもうリタイアらしい。


「俺一人でやるしかねーか......」


俺はこの瞬間、今まで戦ってきたどんな敵よりも絶望感を感じた。ひとまず、軽く調べてきたヘドロスライムに関する情報を思い出す。


(確か、スライム系には核っつー弱点があるはずだ)


目の前の巨体に目を凝らし、観察する。すると茶色く濁った半透明の体の中に、薄っすらと丸い塊が見えた。恐らく、アレが核だ。ただ────…..


(盾じゃああそこまで届かないぞ.....!)


核の位置はスライムの体の中心。巨大なヘドロスライムの核を壊そうと思ったら、剣のように細長く貫通力のある武器が必要だ。盾では、まず核まで届かないだろうことは見てわかる。


「.........!」


そんな時、ついに俺を認識したヘドロスライムがその巨体を震わせた。

この八方塞がりの状況で、その戦いが幕を開けてしまった。

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