第9話

「目、閉じてくれる?」


 言われるままに目を閉じても創也さんの動きは気配でわかる。鼻の先に微かな体温を感じて緊張せずにはいられない。香水とは違う、ほのかに甘い香りはシャンプーなのか柔軟剤なのか。さわやかだけど女性的な香りが鼻孔に届いて、胸がきゅうと締め付けられた。

 小刻みに目の周りを動く筆やブラシはくすぐったいような。何かの魔法をかけられているような気もしたり。


「口、少しだけ開いて」


 目から手が離れたと思ったら、吐息交じりの囁きが耳をくすぐった。大声を出す必要はないのだろうけど、それにしても創也さんの声は色気がありすぎる。心臓が飛び出そうなくらい強く鼓動し始めて、私は息苦しさすら感じた。

 顎にそっと添えられる指と、唇の上をやさしくなぞっていくリップブラシ。彼氏にもこんなに繊細に扱われたことはない。私は膝の上に乗せた手を思わずぎゅっと強く握りしめた。


「はい、できた。目を開けていいよ」


 創也さんがひとつ息をつく。彼の気配が遠のいていくのを感じてゆっくり瞼を開くと、目の前には大きな鏡があった。華やかな眩しさを漂わせる女性が映っている。


「誰……?」


 そこに映る顔が自分のものだと一瞬わからなかった。

 奥二重が泣きはらしてさらに重くなったはずなのに、目元は不思議とスッキリして凛とした雰囲気さえ漂わせている。小さく薄い唇はぽってりとした存在感を示して色っぽく感じた。


――私の目ってこんなに大きかった?

――唇が海外のモデルさんみたい。


「わぁ……!」


思わず声が漏れて、私は自分の顏に見惚れてしまった。


「かわいいでしょ? 奥二重は上瞼より下瞼を丁寧に塗って、アイラインは目尻重ために引くといいんだよ」


「ウソでしょ? これが……これが私……?」


鏡に寄ってまじまじと見つめるその人は確かに私なのだけど、全然私じゃないみたい。すべてが平均点の平凡な魅力を最高レベルまで引き上げた、史上最強の顏が出来上がっていた。


「うれしい! こんなメイク、初めて……!」

「良かった。そう言ってくれて」


ニコニコする創也さんの横で、怜司さんが「これは絶対モテますよ」と感心したように頷いている。


――チリリン!


「いらっしゃいま……?」


 ドアベルはつねにお客の来店を不意に報せてくれるものだけど、元気よく声を上げた瞬君は途中で言葉を失った。表情が読めない彼の視線をたどって振り返ると、そこには男の人と女の人が1人ずつ。金色の記章がついた手帳を見せながら怜司さんにこう言った。


「通報ご苦労。ちょっといいかな?」


 名乗るまでもなく、彼らは警察官だった。


「こんにちはー! 創也さん、いるー?」

「瞬君、今日もスペシャルバーガーお願い!」

「怜司さん、会いに来たよ!」


 彼らの後ろから女の子が3人、店に入ろうとするけれど、怜司さんはそれをやんわりと断った。


「ごめんなさい。今日はこれから貸切なんです」


入り口のドアには『OPEN』の札がかかっていたはずなのに。軽く不満をぶつける女の子たちをなだめてから、怜司さんはドアの札を『CLOSE』にひっくり返した。

 きらやかに響く女の子の声が遠ざかると、店は今日にシンと静まり返る。


「あなたが犯人の写真を提供してくれたのね」


健康的に日焼けした女性刑事が私に話しかけた。ハキハキと早口にしゃべるその人は見るからに体育会系。でも、一重のつり目は細くゆるみ、意外にもフレンドリーな表情を作った。


「はい。えっと……」

「いきなりごめんね。ビックリしちゃったわよね。でも、ちょっとお話聞かせてほしいの」


 そこから、いわゆる事情聴取のようなものが始まり、“犯人”となった彼との馴れ初めからお金を渡して姿を消すまで、事細かに質問された。当然ながら、『ちょっとお話』どころで終わるわけがない。2時間以上もあれやこれやを話して、ようやく終わったのが午後3時半。

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