第8話

その後、ひとしきり泣きはらした私は、思いっきり泣いたからか、またお腹が空いて。瞬君に「忙しい人だね」なんて、からかわれながら残りのハンバーガーを平らげた。完食できるかわからなかった大きなハンバーガーはすっかり私の胃に収まっている。涙と一緒にぐちゃぐちゃの感情があふれ出て、心は空っぽになったかと思ったけれど、こってりと肉々しいパテや濃厚なアボカドが新しいエネルギーを注ぎ込んでくれたみたい。


「ほら、言ったでしょ? 女の子でもペロッといけちゃうって」


 瞬君は付け合わせのパセリすらなくなったお皿を見て満足そう。ミートソースとポテトの油で手がベトつく私に、「手を洗うなら奥にトイレがあるよ」と教えてくれる。その指が差すほうを振り返るとRestroomと書かれた赤い扉があった。


 石鹸をつけて手を洗いながら、鏡に映る自分の顏に自然と目がいく。ある程度は予想していたけれど、直視に耐えられないほど酷い顔をしていた。

 アイシャドウやアイラインはもちろん、ファンデーションもあらかた涙で流れ落ち、腫れぼったい瞼は重く目に覆いかぶさっている。

 女優やモデルとは言わないけれど、自分としてはそこそこの顏と思っていたのに。鏡には何とも恨めしい女が映っていて、この顔で創也さんに見つめられたのかと思うといたたまれなくなった。


 恥ずかしくてトイレにこもりたくなる。私は髪の毛で顔を覆うように俯いて席に戻った。自分の手元ばかり見つめて、誰の顏も見ることができない。


「ねえ」


そこに膝をついてしゃがみ込み、無理やり視界に入ってくるのは創也さん。


「メイク直し、する?」

「へ?」


言いながら手に持ったチークブラシをくるくる回した。


「僕、女の子きれいにするの得意なんだ」

「え……はぁ……」


突然の提案に戸惑いながらも、カウンターに黒いメイクボックスが見えて創也さんが冗談を言っているわけではないとわかる。階段状に開いたボックスには色とりどりのアイシャドウやリップが並び、大きさが異なるブラシもたくさん揃っていた。


「大丈夫。ちゃんと顔を上げて帰れるようにするから」


何も言わない私の返事を待たずに、創也さんは首に白いケープをかけて前髪をヘアクリップで止めた。


「肌、きれいだね。きめ細かくて毛穴も目立たないし。ちゃんと手入れしてるでしょ」

「え、いや……全然。たまにクレイパックするくらいで」

「やってるじゃん! えらいよー」


 創也さんの細く長い指が頬に触れるたび、顔面の温度が一度上がる気がした。長い足を大きく開いて腰を落とし、顔をグンと近づけるのだけど、呼吸する微かな音が聞こえるくらい近くてドキドキする。

 創也さんがじっと見つめてくるのはお化粧をするためであって、私を見ているわけじゃない。そんなのわかっている。だから、見返すなんてできなくて、私は不自然に壁の鳩時計を凝視していた。創也さんがコスメやブラシを取るために背を向けるときだけ、つい目で追いかけてしまう。

 広くて四角い背中。


「ん、どうしたの?」


不意に顔を半分だけ傾けた創也さんと視線が絡んで、私はしどろもどろになる。


「いえ、何も……! その……メイク……メイク道具がいっぱいだなって……」

「ああ、僕の本職はこっちだから。もっと有名になって、たくさんお仕事もらえるようになれたらいいんだけどね」

「創也さんだったら、メイクさんよりモデルさんのほうが合ってる気が……」


それは私の率直な感想だったけれど、瞬君もすぐさま同調してくれた。


「だよね。キミもそう思う? 創也は絶対裏方の人間じゃないよね」

「はい、モデルさんになったら売れそうな感じです」

「モデルになったら売れそう……ぷっ」


変なことは言っていないはずなのに、瞬君はなぜか吹きだして大笑い。


「いいんだよ! 僕はヘアメイクアーティストとして売れたいんだから」


肩を震わせる瞬君を強めにたしなめて、創也さんは淡いブラウンのアイシャドウを手に持った。

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