第7話
マダムが言ったように男の人はこの世にごまんといる。私はたまたまハズレを引いただけで彼以外に恋人を作れないわけじゃない。そう思いながらハンバーガーをかじろうとして、右手のネイルが剝がれていることに気づいた。お花のストーンが取れて爪先を覆っていたピンクのジェルが欠けている。春らしく整えたはずの指先はいつの間にこんな有様になったんだろう。そういえば、週一で続けていたクレイパックも、お風呂の後にかかさず塗っていたボディクリームも今週はすっかり忘れてしまっている。
人間は心が満たされないと身体が動かなくなり、身体を気遣えなくなると心はさらに貧しくなる。そうやってどんどんダメになっていくんだろう。
「はあぁ……」
私はまだまだ捨てたもんじゃないと信じたいけれど、思わずため息が出た。
今はとりあえずお腹いっぱい食べて、ネイルもクレイパックもボディクリームもちゃんとやろう。女として、ちゃんと。
そう心の中で決めた時、怜司さんがバックヤードから出てきた。創也さんと瞬君を見て深く頷きながら私の席にまっすぐ歩いてくる。顔を覗き込むように少し屈み込み、そしてハッキリとこう言った
「元彼が今、逮捕されました」
一瞬、何を言われたのかわからないくらい、それは私にとってショッキングな一言だった。
「え……?」
数秒の沈黙の後、口から出たのはその一文字だけ。
「二週間前も同じような結婚詐欺の話を聞いたんです。オンラインゲームができるネットカフェを作りたいと言ってお金を奪う手口もまったく同じで」
「怜司さんは警察の人……ですか……?」
状況をうまく把握できない私の質問に、怜司さんは苦笑いして首を横に振る。
「怜司は顔が広いんだ。会員制の高級フレンチで長くマネージャーをやってたから」
創也さんが説明してくれるけれど、それが適切な説明なのかはわからなかった。さっき電話して今もう逮捕されたなんて、そんな話ある?
「同じ手口の被害届がいくつかあったんですが、犯人の顔写真を誰も持ってなくて決め手に欠けてたんです。よく元彼の写真が撮れましたね」
怜司さんに言われて、彼が写真嫌いだったことを思い出す。写真映りが悪いからと毛嫌いしていたのに、先週「人生を変える。俺は変わる」と急に将来の話をし出して、彼のほうから二人で撮りたいと言ってきたのだった。
あのとき、彼はなんて言ったんだっけ?
――やりたくもない仕事をやり続けても仕方ない。俺はお前と一緒に人生を変えたい。
職場で面白くないことでもあったのかなと思ったけれど、それよりも私は『お前と一緒に人生を変えたい』という一言がうれしくて。プロポーズされたと勝手に思い込んで舞い上がっていた。
あの日は楽しかったな。私の家で一緒にカレーを作ってずっと笑ってた。
「さっき見せてくれた顔写真で池梟から真宿、六歩木、横波間までリサーチをかけたんだ」
「リサーチ?」
「あ、キミにはモザイクをかけたから顔バレはしてない。安心して」
瞬君の言葉がいまいちピンと来ない。
「瞬は怜司とはまた別の意味で顔が広くてね」
創也さんは的を得ない説明を畳みかけてから、「大丈夫?」と確認するように私の顔を見た。
「いくらなんでも逮捕は驚いてしまいますよね」
怜司さんも申し訳なさそうな顔をするけれど、瞬君だけはバッサリ斬り捨てる。
「相手はプロの詐欺師だぜ? ざまあみろでしょ」
確かに。私を騙してお金を奪ったんだから。
「ざまあみろ……」
口の中で呟いてみたけれど、心はスッキリするどころか、すきま風が吹くように寒くなった。
「やっぱり、今すぐには納得できないよね」
創也さんの呟きが引っかかる。そうじゃない。
「納得はしてます……ざまあみろ、です。だって……彼のことなんか、もう何とも思って……」
言いながら視界がぼやけてくるのはなぜだろう。あんな人、大っ嫌いなのに。
「いつか、ちゃんと何とも思わなくなる時が来るから。無理しないで」
創也さんはティッシュを取ると私の頬をやさしく拭った。鼻の奥がツンとして嗚咽がこみ上げてくる。堪らずに私は号泣した。
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