第4話

「好きって……いったい何なんでしょうね?」


口をついて出たのは、なんだか哲学者のような質問。言った後で、我ながら変なことを口走ったと思ったけれど、でもそれは今の私の紛れもない本音だった。


「生まれて初めて本気で好きな人ができたと思ったんですけど、私は彼の何を見ていたのかなって。もしかしたら、彼氏といえる存在ができたことに浮かれていただけなのかもしれません」


 恋に恋していたから、彼の邪な本音に気づけなかったんだろうか。


 中学高校と女子高だった私にとって、彼が言う「好き」は刺激的で甘すぎた。告白された日を境に洋服やメイクが変わり、スマホを見る時間が増えて、物事の優先順位が入れ替わった。大学の授業より彼が送ってくる他愛ないメッセージの方が大事になったり、大好きなチョコレートやクッキーは太るから我慢するようになったり。私の世界はあっという間に様変わりしたのだけど、そのなかで彼のことをどれだけちゃんと見ていただろう?


 誰かに好かれることは心地良く、友だちに「彼氏ができた」と言う瞬間はこのうえなく誇らしかった。私は“恋愛している自分”に酔っていたのかもしれない。


 中学はもちろん、高校でも「男子と付き合うこと」は少女漫画や恋愛映画で見る他人事だった。自分の半径5メートルの世界で起こる現実ではなく。そして、それは仲の良い友だちにとっても同じだと思っていた。


 だから、高校を卒業して「彼氏ができた」という報告をポツポツもらい始めると、私は困惑した。キラキラした世界を外側から眺めるだけで楽しかったし、恋愛はそういうものだと思っていたのに。いつの間にか自分が参戦させられていることに驚いて、そして絶望した。


 恋愛って、どうやるの?

 どこで男の子と出会うの?

 付き合うってどういうこと?


 真面目に勉強を頑張って、親の言うことも守ってきたけれど、そうやって歩んできた18年を振り返っても恋愛を学んだ時間は1秒もなかった。少女漫画や恋愛映画は平凡な日常のテンションを上げてくれるもので、難しいテストが終わった後に食べるご褒美スイーツに近い。すでにパッケージ化された胸キュンしか知らない私は、たとえるなら何の武器も持たずにいきなり野に放たれたレベル1の最弱キャラ。国語の成績が良いとか、15年習い続けたピアノが上手なんてことは恋愛ワールドにおいてスキルにも認められない。


 私は何の魅力もない、ただの地味な女だった。


 高校ではそれなりに居場所もポジションも確保できていたけれど、地元を出て大学生になった私は「その他大勢」で「存在しているだけの人」になった。友だちができても、どこで見つけてくるのか、みんなすぐに彼氏を作ってしまう。みんなで集まるからと誘われるたび、私は次々に繰り出されるノロケ話に気まずくなるだけ。


「早く彼氏作ればいいのに」


 それは友だちとしてのアドバイスなのか、マウンティングなのか。曖昧に笑って「そうだね」と言いながら、私は女としての自尊心を少しずつ削られていた。


 だから、彼に告白されたときは本当にうれしくて。最初は信じられなかったし、フワフワと浮かれてバイト先のお弁当屋でミスを連発したりした。自分を取り囲む世界が一瞬で変わって、見慣れた景色すら清々しく感じたけれど、あれは何だったんだろう?


 天にも昇るような気分になったのは、彼が好きだったから?

 ううん、彼はバイト先によく来るただのお客さんだった。告白されて初めて常連さんだと知ったのは、彼が私の視界に入っていなかったということ。


――前から気になってました。好きです。付き合ってください。


それでも、彼の告白は私には魔法の呪文のように聞こえたのだった。すべて一人で自己完結してしまう退屈な日常を終わらせるための。

 やっと彼氏ができた。もうフリーじゃない。みんなと同格になれた。そう思ってホッとしただけなんじゃない……?


 自問自答すると胸がぎゅうと苦しく縮んだ。


 私は詐欺師の彼氏に騙されただけじゃなく、自分の承認欲求に振り回されていた。「好き」という言葉が持つ本当の意味も理解できずに。


「私は彼氏の何が好きだったんだろう? 本当に好きだったのかな」


 ぽつりと呟きが漏れた。


「一緒にいて楽しくなかったわけじゃないんです。ただ、彼の顏は別に好みじゃなくて。服の趣味も全然違って、買い物に付き合ってもらうと私なら絶対に選ばない服を勧められたんですよね」


 微妙な気分になったけれど、彼が選んだ服は友だちからの評判が良かった。

 とつとつと呟き続ける私に創也さんは言う。


「好きという気持ちを突き詰めても、たどり着くのは『ある』か『ない』のどちらかで、それ以外の答えはないよ。好きに理由なんてないから」


その言葉に、頭をグルグルめぐっていた思考がピタリと止まった。


「好きじゃなければ、そもそも付き合おうとは思わないでしょ。恋人同士だったのが一瞬だったとしても、楽しかったなら好きだったんじゃない?」

「でも……」

「別れた彼氏をクズ男と罵るのは構わないし、毒はむしろドンドン吐いた方がいいと思う。けど、自分の恋心を否定するとつらくなるよ。相手がとんでもないクズだとしても、誰かを愛せた自分のことは大切にしてあげて」


創也さんの話に行き場を失っていた心がストンと落ちた。

 確かに、詐欺師の彼を許すことはできないし、するつもりもない。ただ、そんな彼を否定するほど自分がみじめに感じていた。


「それに、恋愛ってそもそも楽しいものでしょ。恋人ができればうれしいし、僕だって浮かれちゃうけど。浮かれたらいけないの?」


「いや、なんか……私だけが一人で舞い上がってたのかなって」


「恋愛で一番大切なことは自分が楽しめるかどうかだよ。相手を理解することも大事だけど、深く知るだけなら友だちで充分。付き合わなくていいじゃない。相手の顔が好みじゃなくても、服の趣味が違っても、一緒にいて楽しいと感じた瞬間は恋してたんだよ」


 恋に恋して空回りしていたのかもしれないけれど、私は彼と付き合っていた間、いつも笑顔だった。悔しいけれど満足していたのは間違いない。

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