第2話

「なんだったんだろう……?」


 マダム・アイリーンの鑑定も、私と彼の関係も。そして、コツコツ貯めた100万円をあっけなく奪われたことも。

 簡単に騙されてしまった自分の愚かさにうんざりする。クソがつくほど真面目で潔癖な私はまともに恋ひとつできない。頼りなく浅はかな自分を認めると、ただ立っていることすら辛くなった。

 愛なんて最初からなく、「好き」という言葉は偽物だった。唯一守られたのは二十歳にして男を知らないこの肉体だけか。


「はあぁ」


 深いため息をつきながら占い館を出ると、眩しい春の日差しが痛いほど目に飛び込んできた。明るすぎる太陽を私は見上げることができない。視線はマダムに渡されたチラシに自然と落ちる。


『半額チケット! ファイヤー・ゲート』


そこには、これでもかと具を積み上げた巨大なハンバーガーが映っていた。肉汁たっぷりの分厚いパテ、瑞々しいトマトとレタス、とろけるチーズ、緑鮮やかなアボカド。すべてが私の胃に直接訴えかけてくる。


――ぐぅぅ。


 お腹が鳴るのも無理はない。失恋したと思い込んでいた私は、ここ数日ろくに食べれなかったのだから。千五百円のランチが半額という見出しに心はすぐ決まった。迷うわけがない。超大手ハンバーガーチェーンの薄っぺらなチーズバーガーセットを食べるよりお得だもの。涙も心もからっからに乾ききった今の私には、食欲を満たすことだけが救いなのかもしれなかった。


 チラシに描かれた地図を見ると、『ファイヤー・ゲート』は占い館から歩いて三分。ご近所とはいえ、鑑定後に飲食店を紹介するなんて変な占い師だと思った。

 マダム・アイリーンに反論するつもりはないけれど、残酷な鑑定結果を突きつけられただけに良い印象は持てない。私が詐欺師に騙されたのが事実だとしても、もう少しマイルドな言葉で言ってほしかったし、もっと慰めてほしかった。恋に疎い私が彼の本性を受け入れて、ドライに割り切るにはまだまだ時間がかかる。心にはもう悲しさや寂しさすらなく、虚しい自己嫌悪だけが渦巻いていた。


「ここか。やってるのかな?」


 チラシと同じフォントの看板が掲げられたお店はテラス席もあるアメリカンダイナー。木目調の壁には、レトロなコカ・コーラのプレートとバドワイザーのネオンライトがしつらえてある。入口ドアにはOPENの札がぶら下がっているけれど、開店したばかりなのか、客はまだ一人も入っていないようだった。ガラスのはまったドアから中を覗くと、カウンターの中に店員らしき人影が見えた。


「いらっしゃいませ!」

「ぅわっ!」


 後ろからいきなりウェルカムな大声が飛んで、私は思わず肩をビクつかせる。振り返ると、やたら背の高い男性が立っていた。

――淡い。

 そう感じたのは、長身で存在感があるのに、その人はふんわりと淡い色味で圧を全然感じなかったから。ゆるいパーマがかかった長めの髪はミルクティーベージュで、小さな顎の白い顔によく似合っていた。それが地毛といわれても違和感のない、整った顔立ちをしている。どことなく洗練された雰囲気を漂わせるだけに、お店のロゴが入った赤いエプロンが野暮ったく見えた。


「周りを掃除していて、気づかなくてすみません。中にどうぞ」


後ろから長い腕を伸ばして入り口のガラス戸を開けてくれるのだけど、背後に立つ彼は何センチあるのだろう。158センチの私は彼の肩にも届かなかった。


「カウンターのお好きな席に座ってください」


 促されるまま店内に入ると、中には赤いエプロンの男性がもう二人。レジで何か確認していた黒髪の男性は、顔を上げてにこやかに「いらっしゃいませ」と声をかける。持っていたペンをエプロンのポケットに差し、カウンターの真ん中の席へ私を案内する。ちょっと高級なレストランみたいに椅子をわざわざ引いてくれて何だかドキドキしてしまう。


「怜司、また前の店のクセが出てる。こんなカジュアルなお店でラグジュアリーなお給仕したらびっくりだよ」


 カウンターの中から呆れたように言ったのは、もう一人の赤エプロン。派手なオレンジ色の髪と両耳を貫くボディピアスがチャラいというか、怖いというか。黒髪の男性より明らかに年下なのに堂々とタメ口をきいている。


「……そうか?」


言われた黒髪は首を傾げながらも、私にうやうやしくおしぼりを差し出してきた。確かに、彼の丁寧な接客は気楽なお店の雰囲気には不釣り合いだった。


「ごめんね。ウチの店長、先月まで会員制フレンチのお店にいたの。なんかラグジュアリーすぎて違和感でしょ」


あはは、と笑いながらランチメニューを見せるのはミルクティーベージュの彼。何気なく笑う顔もしっかり美しい。


「で、何にする? ウチの店、初めてだよね」


以前から知り合いだったかのように話す様子はフレンドリーで、そこに不快な慣れ慣れしさはなかった。むしろ気を遣わなくていい親近感を覚えてホッとする。


「さっき、これもらって……」


手に持っていたチラシを差し出すと彼は頷いてにっこり。


「マダムのお客様なんだね。鑑定お疲れさま。どうだった? スッキリできた?」


言いながら隣の椅子を引いて座り、長い足を折りたたむように組んだ。

 チラシを見せるだけでマダム・アイリーンが出てくるということは、占い館とこのハンバーガーショップには横のつながりがあるのかもしれない。


「あの……し、失恋したと思ってたんですけど……でも……」


そこまで言ったら、急に視界が潤み始めた。もう涙は枯れたと思ったのに、まだまだ涙腺は稼働するらしい。でも、今私が泣いているのは悲しくて寂しいからじゃない。やるせない悔しさが抑えきれないほどふくらんであふれ出していた。

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