星占アフター

沙木貴咲

1.ファイヤー・エレメント

第1話

私は失恋したんだと思っていた。20年生きてきて初めて彼氏ができたけれど、初恋はあっけなく終わり、行き場を失った恋心は苦しい未練に姿を変えてしまったのだ、と。


「……で、彼氏に頼まれて100万円渡して、次の日から連絡が取れなくなったってわけね。まぁ、どう考えても詐欺よね」

「え?」


涙で腫れた重いまぶたは占い師の意外な言葉で大きく見開かれる。


「占いの館じゃなく警察に行った方がいいんじゃない?」

「けいさつ?」


私の初恋はどこでどう間違えて事件になったのだろう?


「タロットカードに聞いてもいいけど……うん、やっぱりね」


 赤いネイルを施した指はシャッフルしたカードの中から1枚取り上げ、頷きながら私の前に差し出した。


「見て、『悪魔』が出たわ」


そこに描かれていたのは、山羊の角と蝙蝠の羽を持った醜い悪魔。


「これはどういう……?」

「悪魔は欲望と悪だくみを象徴しているカードなの。失踪した彼はそもそもお金目当てだったのね。あなたに恋なんてしてなかったのよ」


 “恋の駆け込み寺”の異名を持つ人気占い師、マダム・アイリーンはハッキリ言い切った。


――恋なんてしてなかった?

 彼は何度も「好き」「かわいい」「ずっと一緒にいたい」と言ってくれたし、仕事の相談も親身になって聞いてくれた。毎日たくさんのメッセージをやり取りして、深夜に長電話をしたこともある。それらすべてが嘘だったってこと?

 そんなわけない。結婚を匂わせるような将来の話だってしたのに。


「あの……彼は私のことをどう思ってるんですか?」

「なんとも思ってないわよ。あなたは都合のいい金づるで最初から恋愛対象じゃなかった。それだけ」


 マダムの鑑定はとてもシンプルでわかりやすい。でも、それだけに心をえぐる。


「彼との関係は愛とか恋とかいえるものじゃない。失恋したと悲しむなんておバカもいいとこ。騙されたと怒るべきよ」


 頭をハンマーでぶん殴られたような重く痛い衝撃が襲った。


「だま……騙された?」


「そう。あなた、彼にお金を騙し取られたの。かわいそうに。まだ気づいてないのね。まあ、乙女座だしね。色恋沙汰には疎いから仕方ないか」


 マダムは事前に書いた私のメモを見て数秒考え込む。そこには生年月日や生まれた場所など、占いに必要なデータを書き込んでいた。


「あなた、クソがつくほど真面目で、ちょっと潔癖っていうか、男女関係が苦手でしょ。男と手を繋ぐだけでも緊張しちゃって、ベッドインした経験もあんまりないんじゃない? うーん……あまりないっていうか、まだ処女ね。今回の彼にも身体を許してないでしょう?」


 遠慮のない言い方でズバズバ指摘するマダムに私は何も言えない。それは、まくし立てる彼女に圧倒されたからじゃなく全部当たっていたから。反論する隙は1ミリもなかった。


「セックスもしてないのにどうして100万渡しちゃうのよ? もったいない。100万あったらおいしいもの食べて、かわいいお洋服も買えて、お友だちと旅行にも行けるでしょ。こんなとこで私と話すより、早く警察に行って彼をとっ捕まえてもらうべきね」


 そういえばと、春コートを予約していたことを思い出す。ちょっと高いけれど貯金があるからいいやと思って買ったブランドもの。そろそろカードの引き落とし日だったような。預金残高はいくらあったっけ? 彼とのゴタゴタでまるで覚えていない。

 私は急に現実を目の当たりにして背筋が寒くなった。


「ねえ、大丈夫? 顔色が悪いわよ」


 マダムを包むように漂うサンダルウッドの香りは甘く神々しい。でも、それは私にとって絶望を確定する匂いだった。クラクラして今にも倒れそう。失恋よりも衝撃的な彼の本性と、お金がないという事実を突きつけられて心は完全に折れている。まともな意識を保ち続けることがもう難しくなっていた。


「私はいったいどうすれば……?」


うわ言のように質問する私の手をマダムはぎゅっと握りしめた。


「まずは警察に行ってほしいけれど、今のあなたにはちょっと無理みたいね。元気がなさすぎるから、まずはしっかりご飯食べて」

「ごはん……?」


ピンと来ない私の手のひらには、マダムが乗せたハガキサイズのチラシがあった。


――カランコロン。


 ドアベルが鳴る。誰かが入ってくる足音が聞こえるとマダムは衝立の後ろへ視線を送った。


「次のお客さんが来たようね。今はちょっと辛いかもしれないけれど、男なんて星の数ほどいるんだから。できるだけ早く彼なんか忘れることよ。悲しむだけ損するわ。元気出して!」


マダムは強い声で言いながら拳をぎゅっと握る。その指に並ぶ大粒の指輪がメリケンサックに見えた。ルビー、サファイヤ、エメラルド。きらびやかなジュエリーでぶん殴られたら、痛みすら甘く感じるだろうか。

 手を振るマダムに促されるまま席を立ち、私は鑑定室を出た。ドアまでのたった数歩がとんでもなく重く遠く感じる。

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