第九話 天正十年 四月廿七日 京都所司代

 織田前右府さきのうふは、惟任日向守が坂本城に帰国するのを見届けると、直ぐさま勸修寺かじゅうじ権大納言晴豊を、正親町帝への勅使として参上する様に命じた。


 勸修寺かじゅうじ権大納言はその日の内に、京から庭田重保、甘露寺経元、藤波慶忠を伴って出立した。

 そして翌、四月廿三日には安土城に登城すると、謹んで正親町帝、誠仁親王、そして自らの進物を下賜した。

 すると逆に、それに倍する様な進物が、各々に献上された。

 併せて、誠仁親王に対して返礼として、『親王御方』宛親書を授かってしまった。


(正親町帝も同じ様に進物を下賜されて、返書が誠仁親王宛のみでは、まるで正親町帝を無視した所業ではないか……)


 その日宿所に戻ると、夜空に不吉な彗星を目にした。


(これは織田前右府さきのうふの行く末を暗示してるのやも知れぬでおじゃるのう)


 翌、四月廿四日に勸修寺かじゅうじ権大納言は直接、誠仁親王に謁見するべく二条御所へ赴き、織田先右府さきのうふからの返礼の『親王御方』宛親書を内々の内に届けた。


 誠仁親王は今年、三十一歳にお成りになる。

 それに対して、正親町帝は六十七歳である。

 さすがに譲位の儀に関しては、前右府さきのうふの申す通りだとも思った。


 そんな誠仁親王も内裏の資金難から、長く親王の位にすら付けずにいた。

 それを見かねた前右府さきのうふが、資金を出して親王就任の儀を、恙なく執り行なって見せたのだ。

 それからであろうか?

 誠仁親王は、前右府さきのうふのことを強く慕う様になっていた。

 本来ならば、烏帽子親なのである。


(六十七歳になっても、何かと理由を付けて譲位しない正親町帝と誠仁親王では、織田前右府さきのうふが差を付けて対応するのもむべなるかな)


 翌、四月廿五日には、京都所司代の村井邸に赴いた。

 村井京都所司代は、誠仁親王から先の親書の返事を受けていた。


 親王の勅すところ。

「今後安土には女房衆に取り次がせること。前右府さきのうふには太政大臣か?関白か?征夷大将軍か?希望を伺えば、その通りに推認する旨を伝えること」

 以上の内容であった。


 翌、四月廿六日には二条御所で誠仁親王に謁見して、村井京都所司代邸で下知を賜ったこととその真意をお伺いした上で、夜には正親町帝に拝謁して、安土に派遣する女房について相談した結果『大御乳人おおちのひと』に決定した。


 翌、四月廿七日には、村井京都所司代邸に先に安土城に戦勝の祝いに訪れた、庭田重保、甘露寺経元の他、中山親綱、吉田牧庵が集い、正親町帝のご意向を再度協議した。


 そこで、『大御乳人おおちのひと』に加えて上﨟の局(花山院家輔の娘)の二名として、その随伴として勸修寺かじゅうじ権大納言が務めることが決定した。

 大御乳人おおちのひととは、誠仁親王の乳母のことである。



(なんで損な役回りばかり押し付けられるのでおじゃるか!)


**********************


 あとがき

 ※1 勸修寺かじゅうじ権大納言晴豊視点でお送りします。

 ※2 この時の周期彗星は特定されて居りませんので、

    火球タイプの隕石と推察されます。 

 ※3 大御乳人おおちのひとが、正親町天皇の乳母なのか?

    誠仁親王の乳母なのか?分かりません。

    年齢的には誠仁親王の乳母と見るべきでしょうが、

    意外に阿茶の局の線も捨てきれません。

 

    真っ先に名前が出てくるので、外交手腕を備えた人物とみています。

    詳細情報をお持ちの方はお知らせください。

    直ちに文章を改稿したいと存じますので、よろしくお願いします。

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