第八話 天正十年 四月廿二日 安土城
織田
翌日、四月廿二日には、私(日向守)を呼びつけ、労いの言葉を掛けた。
「惟任日向守よ、此度は長陣ご苦労であった」
私(日向守)は恭しく、此度の戦勝の祝いを奏上した。
上様は満足そうに頷くと、暫らく考えた後に話を続けた。
「日向守よ、甲斐武田氏が滅び、此の後の
私(日向守)も暫し考えた上で、自身の考えを申し上げた。
「もはや、
(ここまで聞けば上様もご安心なさるに違いない。折を見て長宗我部土佐守の仲介の機会も有るであろう。
そんな事を考えていると、上様は珍しく声を潜める様に話を続けた。
「足元を見誤ると、思わぬところで掬われるぞ。危なっかしい者が居よう……蔵人佐と筑前の二人じゃ」
(徳川蔵人佐と羽柴筑前守が?)
私(日向守)は、余りの取り合わせに絶句した。
上様は続けて言った。
「徳川蔵人佐は甲州征伐の折の働きは見事であったが…出来過ぎであるな。恐らくは穴山玄蕃と北条家と内密に盟約を以って、儂の油断を見計らって居るに違いない。あの富士遊山の折の普請といい。浜松の折の饗応といい。急の甲州征伐出陣にしては余裕があり過ぎじゃ」
すると嫌悪の表情になって、続けて言った。
「そして禿鼠…筑前じゃ。中国攻めとは聞こえが良いが、どうも毛利との阿吽の呼吸が過ぎる。城攻めは犠牲が伴うものじゃが、毛利も筑前も兵の損失が少なすぎる。裏には
私(日向守)は、改めて徳川蔵人佐と羽柴筑前守の思惑に疑念を覚えていた。
上様は改めて、私(日向守)に申し付けた。
「坂本城に戻った後は、中国の戦況に目を光らせておけ!軍備を整えることも忘れずにな。場合によっては、後詰めとして双方を討ち果たす事に成るかも知れぬ。更に徳川蔵人佐には五月十五日に上洛する様に申し付けておる。真偽の程を明らかにし、返答次第によってはその場で誅す所存じゃ。日向守は饗応役として、事に当たる支度をせよ。次の登城は五月十三日じゃ」
私(日向守)は、謹んでお役目を承った。
その姿を見遣りながら、織田
(これで暫らくは、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます