第二話 天正十年 一月二十日 坂本城小天守
「
安土城の天主閣は総漆塗りで、外観からは鈍く黒光りするが、内装は真逆に設えられ金箔張りの柱に白壁で壁には狩野派の絵師による様々な絵画に彩られている。
中でも、最上階の
十五畳敷きの部屋は全面に金箔が張られており、その壁面には様々な肖像画が彩り豊かに描かれていた。
或る意味で、織田
この部屋に招かれるのは親族を除けば、限られた重臣のみである。
しかもその真意の分かる者だけであるから、
以前は三皇五帝や孔門十哲といった、中華思想に想いを馳せていた。
尤もそれは憧れなどでは無く、彼らと肩を並べるという大陸侵攻を念頭に置いてたことは承知をしている。
ただし今回、目の当たりにしたのは、さらに現実的で危険な
古今の天皇を
それは日本を始め、朝鮮や明国をも支配下に置く覚悟の表れであった。
北の窓からは琵琶湖湖畔を一望できる。
また西の障子を開けると、遠方に京の都が見下ろすことが出来る。
そして南の障子からは、眼下に清涼殿に瓜二つの屋敷が建てられていた。
あの一連の壁画を見た後に私(日向守)は、ひたすらに朝廷工作や堺商人との打ち合わせに奔走した。
「もしも有事の折には、この日向守が身を以って誅さなければなるまい」
その為には、朝廷の威光や堺商人の資金が必要となる。
この日は、坂本城の小天守に吉田神祇大副のほか、臣下の明智出羽守も呼んでいる。
明智出羽守は京都佐竹氏の一族で、佐竹宗実と称したが偏諱を授けた後に、縁続きとなった折に『明智秀慶』と称し臣下に列していた。
更に伊賀から喜多村出羽守も呼び付けていた。
吉田神祇大副が口を開いた。
「日向守の申す通り、左大臣を推認したのでおじゃるぞ。然るに固辞するどころか、帝の譲位を迫る始末。陰陽寮から凶年の沙汰無くば、今年は新年号で年越するところであった」
明智出羽守から双方に奏上した。
「愛宕山より甲斐に、御殿謀反の折の内応の旨の親書を発しました。関東北条家の抑えとしては、里見安房守と盟約が整っております」
この同盟の仲介をしたのは、佐竹常陸守である。
「新府城の普請は昨年の
私(日向守)は、不安気に呟いた。
***********************************************
あとがき
※1 惟任日向守は謀反の際には内応する様に武田諏訪四郎に呼びかけたが、
直後に親族衆でもある、木曾伊予守が織田の調略に応じ反旗を翻した。
そのため惟任日向守の書状も謀略と受け取っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます