2異質な存在

「いきなり魔法試験って言われても」

 試験を行うという[唄う野原]へ向かう道中。カデンツァは困惑の声を上げた。

「何をすればいいの? と言うより、それって何なの?」

 続けてティアサーが尋ねる。双精からの戸惑いに満ちた問いかけに、二人の前方を飛んでいたジョシュアはスピードを落とした。彼は空中でくるりと寝転がり、背泳ぎをするような体勢で弟たちに振り向いた。

「さっきも話した通り、魔法タンテ試験クストは己の実力を測るための実技試験だ。誕生間もない魔法使いの妖精は全員受けることになっている」

「実技ってことは、魔法を使うの?」

「もちろん。魔法使いの妖精は地球で妖魔を倒すことを任務としているんだが、自分の強さが分からない状態では、どの妖魔を倒せるのかも分からないだろ?」

「要するに、妖魔を倒す任務のランクを確認するために魔法タンテ試験クストを受ける必要があるってことさ」

 ジョシュアの説明を彼の隣を飛んでいるルアンが取り継いだ。

「ただ、初めて受ける魔法タンテ試験クストは実力を知るためのもの。試験を受けるようから一周月後に再試験があって、最初の任務のランクは、その二回目に受ける魔法タンテ試験クストの結果で決まる」

「だから今回は、そこまで気負わないで受けてくれれば、それでいいんだ」

 安心させるように微笑んだジョシュアだったが、どうやらこれは失敗だったらしい。カデンツァの顔はますます青くなった。

「そう言われても、魔法ってどうやって使えばいいの? 飛ぶ方法だって過陽日に教わって何とか飛べるようになったのに」

「その魔法タンテ試験クストっていうのはジョシュアたちが指定する魔法を発動させるものってこと?」

 ティアサーは兄より幾らか落ち着いた声色で尋ねた。

「それとも、何かを魔法で壊したりするの?」

「いや、魔法タンテ試験クストは三体の妖魔を順に倒す試験だ。使える魔法は何でも使っていいし、もし能力があれば能力を使っても構わない。ただ一つだけ初めて魔法タンテ試験クストを受ける者が禁止されていることが——」

 ジョシュアは答えながらもカデンツァを見遣った。青くなっていた顔は幾らか落ち着いたものの、まだ不安そうにそっとこちらをみている。弟を思ってジョシュアは溜息混じりに肩をすくめた。

「魔法の使い方、戦い方、妖魔の倒し方や弱点などを教わること。絶対誰にも訊いてはいけないし、もし訊かれたとしても誰も答えてはならない」

「え、なにそれ」

 ティアサーから発された声は、疑問というよりも咎めるような声色だった。急に立ち止まった彼に慌ててカデンツァも宙で静止した。

「せめて基本的な魔法を教えてもらえないと、倒すなんてできないよ」

 二人の様子にジョシュアも宙で止まった。くるりと姿勢を正した彼は、困ったように眉根を傾げる。目が合ったカデンツァは、一瞬だけ目を逸らしたものの、すぐに兄の薄墨色の瞳を見つめ返した。そんな弟たちにジョシュアは溜息をくとルアンを呼び止めた。ルアンは既に三人から距離が離れてしまっていて、その表情を窺い知ることはできなかったが、きっと呆れているのだろう。陽の光が映し出した彼のシルエットは腕を組んで木にもたれかかった。ジョシュアは高度を少し低くすると、弟たちと目線を合わせた。

「試験に出てくる妖魔は全て受験者のレベルに合わせてある。だから絶対に倒せる相手しか出てこないよ」

「魔法は?」

 ジョシュアの話にすかさずカデンツァが尋ねた。

「俺たち魔法を使えないんだよ?」

「そんなことはない。たとえ呪文を知らなくても魔法は使えるし、どうすれば魔法が使えるのか分からなくても、ここが教えてくれる」

 彼はカデンツァの額をノックするように指で叩いた。

「深く考えずに身体で感じたことをそのまま形にすればいい。魔法について今オレから言えるのは、そこまでだ」

「でも——」

「任務は基本的に二人でペアになって行くんだ。討伐する妖魔の情報はある程度なら任務説明の時に教えてもらえるが、妖魔を倒す作戦も倒す呪文も自分たちだけで決めなくてはならない」

 カデンツァの反論を遮ってジョシュアは話を続けた。

「攻撃がなかなか通じない妖魔も、作戦通りには倒せない妖魔もいる。その時、妖魔の倒し方も弱点も、魔法の使い方すらも知らずに、本能と感覚だけで受けた初めての魔法タンテ試験クストの経験が、立ち向かう勇気を与えてくれる。今のお前の本気が未来のお前の自信になるんだ」

 カデンツァとティアサーの瞳を代わる代わる見て、穏やかな声色でジョシュアは諭すように話しかける。

「だから落ち着いて今のお前にできる精一杯の戦いをしてくれればいい。みんな今まで受けてきた試験だから困惑するのも戸惑うのもよく分かる。オレも初めての時は不安だったけど、なんとか倒せたし、魔法の使い方が分からなくてもみんな妖魔を倒せたから。おまえたちにも絶対にできる」

 口角を上げたジョシュアは二人に言い聞かせるように「な?」と声を掛けた。まだあまり納得のいかない様子で腕を組んだティアサーに対して、カデンツァは小さく頷いた。緊張に力の入っていた頬が緩んで、強張っていた表情が柔らかくほぐれる。彼の様子を見てほっと息を吐いたジョシュアはティアサーを見た。

「ティアサーはまだ心配かな?」

「心配でも不安でもないよ。理解はしたけど納得はしてないだけ」

 彼は平たい口調でそれだけ言うと、じっとジョシュアを見つめた。

「でも試験を受けないといけない事実は変わらないみたいだし、これ以上ここで不満を言っても仕方ないでしょ?」

 大人びた彼の態度にジョシュアは力なく笑った。

「ああ、助かるよ。ありがとな」

 彼は再び宙へ舞い上がると、三人の元へと戻って来ていたルアンの隣に並んだ。

「それじゃあ[唄う野原]に再出発といこうか」

「あらぁ、そこにいるのはジョシュにルアンかしらぁ?」

 突然聞こえた声に一行は振り向いた。彼らが振り向いた先にいたのは、真っ白な一羽のうさぎだった。

「それに見なぃ顔が二つ。その二人が噂の新精なのねぇ?」

 カデンツァはよく目を凝らした。ふわふわとした白いうさぎの耳の間から、くつくつと笑う声が聞こえる。しかし、うさぎ自体は鼻をヒクヒクと動かしたまま、その場にちょこんと座っていた。

この不思議な現象にカデンツァはキョトンと首を傾げた。さっきまでの魔法タンテ試験クストに対する不安はどこかへ飛んでいき、目の前で繰り広げられる奇妙な現象にすっかり心を奪われて。カデンツァは好奇心に満ちた瞳でじっとうさぎを見つめた。

「ああ、ベクレル家の新精さ。それよりインファ、挨拶をするならふざけていないで姿を現すんだね」

「なぁによ、ルアンったら固ぃんだから」

 声はつまらなさそうに応じる。さっきまでの独り楽しげな様子から、機嫌を損ねたようにカデンツァには見えた。目の前のうさぎからも、どこか威嚇的な気配を感じる。そんな様子を見てか、はたまた思考を聞きとってか。ジョシュアは穏やかな微笑を湛えてルアンの前に立った。

「二人とも他の妖精が活動しているところを見るのは初めてなんだ。食事処アパティラーやどこか移動中にすれ違うことはあったけど。俺たちにはないインファの力を見せてやってくれないか?」

 一瞬の沈黙の後、インファのケラケラとした笑い声が響いた。うさぎの頭上から聞こえていた笑い声は次第に下方部へと移動していき、うさぎの鼻の辺りから聞こえるようになった。しかし、妖精らしき姿は見当たらない。

「そんなふぅに頼まれて断るはずなぃでしょぅ?」

 ようやく止まった笑い声は、言葉へと音を変える。不意に何かがぐっと近づいたような、妙な距離感の変化をカデンツァは感じた。と同時にうさぎを見ると、止まることなく動いていたはずのうさぎの鼻はヒクヒクと動くのを止め——

「え?」

 カデンツァは驚きに瞬きをしながらもうさぎをよく観察した。止まっているように見えたが、うさぎのヒゲは動いている。よく見ると、その鼻も少し湿っていそうだったのに、乾いているような印象で——輪郭もぼやけて見えた。

「ルアンもそぅいぅ話し方、見習ってよね」

 正面から声が聞こえて間もなく、より一層彼らに近づいたうさぎの鼻は突如ウェーブした青みのある黒髪に変わり、うさぎから浮き出て来るように一人の妖精の姿が現われ出た。

「インファよ。生物の妖精で担当は四肢しし生物。よろしくぅ」

 後ろにたたずむ白うさぎと同じ真っ白いふわふわとした尨毛むくげに包まれた彼女は、カデンツァを見ると悪戯っぽく微笑した。

「これが魔法? どうやって出てきたの? その纏っている毛皮も魔法なの?」

 巻毛を弄ぶ彼女に呆気に取られていた彼は、ハッと我に返ると矢継ぎ早に尋ねる。そんな彼の様子に、インファは退屈そうに大きく欠伸を返した。

「ねぇ新精さん? まずはあなたが誰なのか伝えるべきじゃなぃ? 誰かに何かを聞く前にさぁ」

「兄が失礼を。僕はティアサー・ベクレル、過陽日に誕生したばかりの魔法使いの妖精だ」

 彼女とカデンツァの会話に割って入ったティアサーは、少し高度を落とすと彼女の手を取って軽く会釈をした。カデンツァは慌てて高度を落として、弟と同じように手を取った。

「つい気になって。カデンツァ・ベクレル、ティアサーの双精で魔法使いの妖精だ」

「好奇心は猫をも殺すのよ。魔法使ぃの妖精ならせぃぜぃ気をつけた方が身のためね。まぁ四肢生物の妖精としては好奇心旺盛な猫なんて見たことなぃけど」

 インファは二人の挨拶を受けると、ふわり舞い上がり微笑んだ。

「わたしたち生物の妖精は心の通じた生物に擬態できるの。すごぃでしょぅ? あなたたちにわたしの姿が突然見えるよぅになったのは、擬態魔法を解除したからってこと。この衣はこの子の季節毛でね、季節が変わって抜け落ちる尨毛で作ったのよ」

 彼女は得意げに言うと、その自慢の衣がよく見えるように宙でクルクルと回った。落ち着いた温かみのある赤や黄色の森の中で、白い尨毛は遠心力でふわふわと広がってその美しさを際立たせる。回っている間に抜け落ちた毛は、綿毛のように空中を舞った。途端にインファは回るのをやめると、カデンツァをじっと見た。頭の天辺から爪先まで撫で回すようにじっくりと見ると、素早くティアサーに視線を遣る。観察されているようなその行為に戸惑ったカデンツァは弟の方を向いた。しかし、カデンツァのように観察するのではなく、あくまでも一瞬ティアサーの姿を見留めただけで彼女は再度カデンツァを注視した。

「あなた、ベクレル家なのよねぇ?」

「そうだけど?」

 意外な質問にカデンツァは困惑を積らせる。対して彼女は彼の匂いを嗅げる程まで近づき、彼の周囲をゆっくりと飛んだ。

「インファ? 気に入ったんだとしても、四肢生物とは違うからマーキングとかは効かないぞ?」

 どうやらその行為は彼女の常ならぬ行動だったらしく、ジョシュアがカデンツァと同じくらい戸惑った声を掛けた。インファはサッと彼に振り向くと、ムッとして腕を組んだ。

「それくらぃ分かるわ。ジョシュは不思議だと思わなぃの? ティアサーの髪はベクレル家の色をしてぃるのに彼は……」

 どうやら表現に困ったらしく、彼女は自分の髪を引っ張った。

「逃(のが)れてぃる、脱してぃるじゃなぃ?」

 インファのこの言葉にカデンツァは驚いた。彼は過陽日に誕生してからこの時まで自分の姿はおろか、髪も見ていない。カデンツァの髪はティアサーの髪型と同じで少し長かったが、自分で見ることができる程の長さではなかった上、ジョシュアやルアンの言葉から自分の姿がティアサーとそっくり同じである事には気づいていたが、髪色が違うとは思ってもみなかった。

「髪色が違うのがそんなに変なこと?」

 戸惑う彼の隣から角のある声が上がった。

「僕は良いと思うけど、綺麗で」

 ティアサーはギロっとインファを見据えた。その声は落ち着いていたものの、どことなく棘がある。

「双精は絆が強ぃって聞ぃたことあるけど、誕生してすぐでもそぅなのね」

 インファは溜息を吐くように肩をすくめた。

「べつにわたしも嫌な意味で話したわけじゃぁなぃのよ? むしろ良ぃ意味で言ってぃるの。これは奇跡だってね」

「奇跡?」

 インファの話すその意味がよく分からず、ティアサーはおうむ返しでしか答えられなかった。

「えぇそぅよ。だってねぇジョシュ、例外なんてあるの?」

「ないはずだった、と言うのが正しいかな」

「そぅでしょぅ? だったら奇跡か、あるぃは——」

 彼女は再びカデンツァと目を合わせると、ニッコリと笑みを湛えた。カデンツァには何故かそれが不吉に思えた。

「待望のV《ヴィー》ってことでしょぅ?」

「その可能性は——」

「だったらこぅしちゃいられなぃわ、ここを通るなら魔法タンテ試験クストをするんでしょぅ? 他の皆も呼んで来なきゃ!」

 インファは途端に早口になると、「じゃぁ[唄う野原]で会いましょぅ!」とだけ残して、ルアンとジョシュアの制止も聞かずにうさぎの背に乗って去って行った。

「どうする?」

 一瞬後、ジョシュアがルアンに尋ねた。ルアンは既にインファのいた方向から向きを変え、目指していた方向を向いている。

「どうするもこうするも、女王にはすでに魔法タンテ試験クストの開催を知らせてあるんだろ? インファに魔法を見せてくれ、なんて言った手前、ぼくらの方が観覧を断るわけにもいかない。このまま決行で

仕方ないさ」

 彼はそう言うと、何事もなかったかのように[唄う野原]に向かって移動し始めた。

 [唄う野原]を目指す道中、カデンツァの頭の中はインファとジョシュアの会話でいっぱいだった。どうして自分だけ髪色が違うことが〝奇跡〟と呼ばれるのか。彼女の言っていたVとは何なのか。そして何より、最初に彼女が言葉を選びながら言った「逃れている、脱している」というのは一体何からなのか。彼は気になって仕方がなかったのである。

「ねえ!」

 考えにふけっていると、突然隣から大きな声が聞こえてカデンツァは驚いた。弟は心配そうに彼を見ている。

「あんな風に言われて気になるのは分かるけど、気にするようなことじゃないよ。珍しがってただけみたいだし」

「そうなのか?」

 ティアサーは力強く頷くと、前方を飛ぶジョシュアとルアンの方を向いた。

「たしかにまだ聞いてないことは色々あると思う。でも誕生したばかりだし、知らないことの方が多くて当然だろ? それに僕、兄さんはすごいんだと思う」

 どこか確信のある口ぶりにカデンツァはティアサーを見た。弟の口端はニィっと綻んだ。

「僕は能力を持ってるかなんてまだ分からない。でも、兄さんは確実に何かを持っている。どんな能力かはまだ分からないけど、ジョシュアに思考を聞かれないで済むのはカデンツァだけだろ?」

 彼はしたり気に笑むと、兄に向かってウィンクをした。

「良い弟を持ったな、カデンツァ」

 斜め前を飛んでいるジョシュアは、振り向いてそう言うとニヤッと笑った。

「そう言えばジョシュ、さっきインファが話してたVって何なの? 奇跡ってどう言うこと?」

 ティアサーからの問いかけにカデンツァも一心にジョシュアを見た。兄は通りすがりの石を避けると、再び弟たちへ視線をやった。

「Vについてはきちんと話すと長くなる。今はすごく強い能力者って思っていればそれでいい。何より今は魔法タンテ試験クストを受けることに専念して、それ以外の話は未陽みようにでもするとしよう」

「そう言えば、どうして魔法タンテ試験クストをするためにこんなに移動してるの?」

「試験を行う[唄う野原]が特殊な場所だからさ」

 ティアサーの問いに前方を向いたままのルアンが答える。

「着けば……近づけば分かる」

 カデンツァとティアサーの二人は最初その意味がよく分からなかった。魔法タンテ試験クストだと言うからには魔法を使うことは想定できる。つまりは魔法を使用することによる周囲への被害を出さないためかと考えていた。

 ルアンの言わんとする意味が分かったのは、それから間もなくのことだった。

カデンツァは自分の足先がいつの間にか地面すれすれを掠めていることに気がついて高度を上げた。見ると、ティアサーは自分と同じような高さを飛んでいるが、ルアンとジョシュアはさらに高い位置を飛行している。彼は不思議に思った。

最初彼らが飛んでいたのは、たしかに地面よりずっと高い高度だった。群草の森の中、草を掻き分けて飛ばないで済む高さを飛行することにしたのだ。インファに遇った後もその高さを維持していた。

『草丈よりも高く飛んでいれば、足が地面に着くことはないはず。それなのに……』

そう考えている間にも、彼の足先は再び地面を掠めてその大地を削っていった。水分をあまり含まない乾いた地面らしく、ほろほろと崩れるように削れていく土は彼の衣服に付着していく。ようやく思考の世界から戻ったカデンツァは再び高度を上げて周りを注視することにした。高度を上げたせいか、木々がこれまでより小さく見える——いや、正確には小さくなっている。彼らの棲まうホルスは、妖精が一〇〇人は入れる大きさだとジョシュアは言っていた。[誘惑の森]に自生する木々の大きさも、そう大きく違わなかったはず。それなのに、今彼らの周りに立ち並んでいる木々は、妖精三人すら棲まうことはできないだろう大きさだったのだ。

彼はさらに高度を上げた。一定の速度で飛んでいるはずなのに、カデンツァには飛ぶスピードも速くなったように思えた。移動し始めた時には一本の木が視界から見えなくなるのに時間が掛かっていたにも関わらず、今は一瞬で飛び去っていた。

足が何かにぶつかって、彼は再び高度を上げた。今はもうジョシュアやルアンと変わらない高さを飛んでいる。足にぶつかった物が何だったのか、確認しようと後ろを振り向いたその時、前を飛んでいたルアンに彼は衝突した。いつの間にか静止していたルアンに勢いよくぶつかったカデンツァは、反動で地面に倒れ込んだ。

「大丈夫か?」

 振り向いたルアンは軽く膝を曲げると、カデンツァに手を差し伸べた。カデンツァは頷くとその手に掴まって立ち上がり、周囲を見て驚いた。彼は地面の上に立っている。にも関わらず、身長よりも高かった草丈は膝下まで、座れるほどの大きさだった石はつまめるようになっていた。

「ここが[唄う野原]だ。美しいだろう?」

 戸惑うカデンツァを置き去りにルアンは微笑んだ。たしかに[唄う野原]はその名を冠するに相応しい美しさを持った野原だった。辺り一面に咲いたコスモスが野原を彩り、所々でダリアがその存在感を示す。冷たい空気の中を温かくもまだ力強い陽射しが差し込み、花々を輝かせていた。

「さてと、さっきジョシュが説明した通り、魔法使いの妖精が地球に赴き、自らに与えられた役目として妖魔を倒すことを任務と言うのだけれど、任務を円滑に済ませるためにも、ぼくら魔法使いの妖精は移転魔法を使う時にその大きさが人間と同じになるようにしている。よって任務での戦闘中は人間サイズで戦うことになる。[唄う野原]はその大きさの変動を可能にする場所なのさ」

「だから魔法タンテ試験クストも戦闘時の条件が同じ[唄う野原]で行うことになっているんだ」

 ルアンの説明を取り継いだジョシュアは天高くその手を上げた。

「これからここに血の輪という結界を張る。魔法使いの妖精が唯一できる結界にして、術者の魔力によっては最強となり得る結界だ」

 彼はルアンと目を合わせると、頷き——二人同時に何かを唱えた。二人の掲げた腕は突然切り裂け、流れ出た血が宙を漂う。刀のような一筋になった二人の血は、宙で混ざり合うと円形に広がり地面に朱く刻まれた。 

「血の輪というのは、複数の魔法使いの妖精の血に宿る魔力によって形成される。血の輪に宿る魔力が血の輪内にいる者の力よりも強い時に限り、血の輪の外から中へは一切の攻撃ができず、中から外への攻撃はもちろん音も遮断する。そして血の輪に魔力を提供した者、今回の場合オレとルアンは、輪の中に入ることができない」

「どうして?」

 尋ねたカデンツァにジョシュアはふっと笑った。

「訊かれると思ったよ。正確には血の輪に魔力を提供した妖精が入ると、その妖精の魔力の分だけ血の輪が弱くなるんだ。もしオレが血の輪内に入ったら、オレとルアンの二人分の魔力で張っていた結界がルアンの魔力だけになる。だからこの結界はあくまでも何かを捕えるため、第三者として血の輪内での争いを広げないためのものだ。今回は魔法タンテ試験クストに使うから、入るのは挑戦者であるカデンツァとティアサー、一人ずつ。まだ入るなよ?」

 何かに気がついたららしく、ニヤッと笑ったジョシュアの表情はパッと変わり、その瞳はどこか一点を注視していた。カデンツァがその視線の先を辿ると、インファから魔法試験の開催を聞いたらしい妖精たちが集まり始めているところに、陽光にしては一層輝かしい光が集中していることに気がついた。

「さすがに段取りが手早いですね、ジョシュア」

 光の幕の中から現れ出た妖精は穏やかに微笑んだ。陽光を受けて煌めいた黄金色の髪は頂部で纏められ、左右に垂れた横髪がほっそりとした彼女の顔を包んでいる。装いもジョシュアやインファのような動き易さを備えたものではなく、彼女の美しさを引き立てるような優美さを備えていた。新緑の葉のような鮮やかさをもった若草色の布地は彼女の上半身を引き締め、胸部で切り返して緩やかなシルエットを描いている。若干透けて見えるその裾は、彼女の足先のラインを示した。見た目ばかりではなく、彼女の語り口調にも優雅さが現れ出ていた。落ち着いていて安らぎをもたらすような声。彼女の品格を体現するような声色だった。

「何周季もやると慣れたものですよ。二人の挨拶を?」

「ええ、もちろん」

 ジョシュアが手招きするよりも早く、カデンツァは脇腹を肘で小突かれた。ティアサーが小突いたのだ。

「カデンツァ・ベクレルです」

 弟の言わんとする意味を汲み取ると、カデンツァは軽く膝を曲げて会釈をした。隣ではティアサーも同じように挨拶をしている。二人が顔を上げると、彼女はふわりと笑った。

「ようこそ、カデンツァにティアサー。わたくしはヴェルスヴィーナの女王であり、魔法使いの妖精に任務を渡す指揮官でもあるエレガノです」

 女王は自己紹介をすると、カデンツァを見つめた。ほんのわずかの間だったが、カデンツァにはそれが途方もなく長く、ティアサーを見遣った時間は一瞬だったように感じられた。

「ベクレル家が二人とは頼もしい限りですね。ギャラリーが多いことにも納得です」

「通りがけにインファに遇ったものですから。それにそんな期待の眼差しを向けられても、これはまだ初の魔法試験、二人が哀れです。まだ魔法の使い方も能力のことも知らない状態であることを忘れずに見守っていただきたい」

 ジョシュアはウィンクをすると、少し間を置いてから再び口を開いた。

「それでエレン、今任務中のルエナなんだけど」

「その話は試験の後に致しましょう。今回はもう一名魔法タンテ試験クストを受けますし」

 彼女の話にジョシュアは眉間に皺を寄せた。その彼の向こうから一人、妖精がこちらへ向かってくる。

「もう一人魔法タンテ試験クストを受けるだって?」

「あら。善意のつもりだったのに、かえって迷惑だった?」

 聞こえた声にジョシュアは振り向いた。

「レベッカ? 任務に行ったんじゃなかったのか?」

「いやね、朝言ったでしょ? 任務説明を受けるんだって。出発は夜明けよ」

 長く黄色がかった茶髪の彼女は、呆れたように答えた。頭部の高い位置で一つに結いたその髪は、降り立った反動でふわりと広がる。甲羅のように硬そうな艶めく防具と生成色の柔らかな布地が組み合わさった服に身を包んだ彼女は、女王の隣に並ぶとカデンツァとティアサーを見て微笑んだ。

「ベクレル家の新精でしょ? よろしく、私はレベッカ・ウィルソン。名前を聞いても?」

「僕はティアサー。ティアサー・ベクレル」

 ティアサーはレベッカの手を取るとニコッと微笑んだ。

「俺はカデンツァ。よろしく」

「二人とも会えて嬉しいわ。この後の魔法タンテ試験クスト、私も受けることになったの。夜明けには任務に出ないといけないから、二人の試験は見届けられないんだけど、頑張ってね。健闘を祈ってるわ」

「ありがとう。でも魔法タンテ試験クストって、誕生してすぐとその一周月後に受けるだけじゃなかったの?」

 ティアサーは握手の手を解(ほど)きながら彼女に尋ねる。レベッカは明るく笑った。

「それが面倒なことに毎周まいしゅうき、自分の誕生日がある周月に受けないといけないのよ。どれくらい力がついたのか、もしくはなくなったのか、自分の記録を更新しないといけないから」

「ルアンから新精の二人がどうにも魔法タンテ試験クストを不安がっていると、耳にしたものですから」

 レベッカに続いた女王の話にカデンツァは驚いてルアンを見た。

『いつの間に知らせたんだろ?』

ルアンは誰かに連絡をとっているような様子も、ましてや二人のことを心配するような素振りもなかった。真っ直ぐに見つめるカデンツァの視線から逃れるように彼はそっぽを向いた。

「ちょうど任務の話をしていたものですし、今周月は彼女の誕生月でもあるので、模範(もはん)としてちょうどいいのではないかと話しましてね」

「ありがたい話だけれど」

 女王の話に割って入ると、ルアンは問うようにレベッカを見た。

「よかったのかい? 任務前に魔法試験を受けるだなんて」

「ええ、代わりに浄化じょうかせきをちょうだい。エルマの分を余分に持って行きたいの」

「それは構わないけれど、あいつも一緒の任務なのかい? 君も苦労が絶えないね」

「ヘリオスもいるから平気」

 彼女は答えると何かを求めるように、掌をルアンに向かって突き出した。

「事前報酬制よ?」

「分かった。浄化石一つでいいのかい?」

「じゃ二つにしとく」

「月光が一番良いんだけれど」

「残念ながら昼間だし、陽光でお願いするわ」

 彼女の返答にやれやれと彼は肩をすくめる。やり慣れたようなその様子にカデンツァはジョシュアの衣服を引っ張った。

「浄化石ってなに?」

「あぁ、浄化石ってのはルアンが造る浄化作用を持った石のことだ」

「造る? どうやって?」

「浄化能力と大地の魔法とか色々とね」

 カデンツァの問いに今度はルアンが答える。彼は両手を広げると瞼を閉じた。掌を天に向けた彼の指は滑らかに上下に動く。

「浄化石は、妖魔はもちろん、使い方次第で自分の身体の毒を浄化することもできるんだ」

「月光と陽光って、さっきルアンと話してたのは?」

 ジョシュアの説明にカデンツァが尋ねる。彼に応じたのはレベッカだった。

「月光の方がより浄化力が強いの。でも今はお昼でしょ? 私は夜明けには任務に行くし、魔法タンテ試験クスト終わったらすぐに身支度をして、ヘリオスたちと作戦立てて仮眠するから」

「ヘリオスって?」

 大きく伸びをしたレベッカに今度はティアサーが訊いた。

「ヘリオス・ウィルソン。まだ会ってないかもね。ウィルソン家の末っ子よ。ちなみに一緒に行くエルマはウィルソン家の長女ってところね」

 彼女の説明にカデンツァは頷いた。ルアンは指を動かすのを止めると、胸の前で指を組んで人差し指を合わせた。彼の口からは呪文のような響きを持った音が溢れ落ちる。重なった人差し指の先には小さな透明の結晶が形成された。ルアンがもう一度呪文を唱えると、結晶はより蓄積されて一つの塊として形造られる。結晶は拳ほどの大きさにまで成長すると、複数に枝分かれして珊瑚(さんご)のような形を成した。ルアンがまた呪文を唱えると、浄化石は割れて二つの塊になった。

「はい、浄化石二つ完了」

「ありがと」

 手を伸ばしたレベッカから逃げるようにルアンは浄化石を空にかざした。陽光を受けて煌めいた浄化石は、彼の髪にその煌めきを反射する。

魔法タンテ試験クストは道具の使用を禁止しているはずだからね。試験終了後に渡すよ」

「あらバレちゃった。そのまま渡してくれれば良かったのに、つれないんだから」

 レベッカは不満気に声を漏らすと、カデンツァとティアサーを見て微笑んだ。

「ま、そういうわけで私もあまり時間がなくて。そろそろ魔法タンテ試験クストを受けたいんだけど、二人とも心の準備はできた?」

 二人は揃って頷いた。不思議なことに、魔法タンテ試験クストに対する不安も心配も既に消えていた。代わりにカデンツァの心を占めたのは好奇心の渦だった。魔法タンテ試験クストを受けることで、これから自分たちが担う役割の一端が分かるような気がしたのだ。

「それでは皆さん、所定の場所へ移動しましょう」

 女王は促すようにその場にいた全員に向かって大きな声で告げた。

「最初の挑戦者はレベッカ・ウィルソンです。全員の移動が済みましたら、魔法タンテ試験クスト開始の合図として紫の光を放ちます。挑戦者は合図を確認したら直ちに血の輪へ入場し、魔法タンテ試験クストを開始してください」

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