3魔法試験Ⅰ

 血の輪が張られた[唄う野原]の中央。何かの碑文のような朱い線が円を描いたその前にレベッカは降り立った。インファが声を掛けて集まったと思われるギャラリーは、その輪を囲むようにして待機している。地面の上に寝転んで見学しようとする妖精もいれば、観衆の多さに宙へ飛び出して、浮遊しながら見守ろうとする妖精もいた。周囲の仲間たちと和気あいあいと話し笑い合う彼らの様子は、これから魔法タンテ試験クストを始めようという魔法使いの妖精たちとは大きく異なり、楽しい催しの始まりを待ち侘びているようだった。対して魔法使いの妖精たちはレベッカ一人を血の輪の前に残して、その円から少し外れた小高い丘の上に移動していた。丘下の賑やかな雰囲気とは打って変わって、そこでは緊張感のある張り詰めた空気が紡がれている。ジョシュアとルアンは何やら話しながら血の輪を見つめ、その隣にいる女王は血の輪の前で瞑想するように瞼を閉じたレベッカを注視している。エレガノ女王の傍らに立つカデンツァは、弟の方を向いた。

魔法タンテ試験クストを受けるだけなのに、どうしてみんなあんなに楽しそうなんだろ?」

「さあ。もしかしたら他の妖精も気になるんじゃない? 魔法使いの妖精がどんなことをしてるのか。僕らが他の妖精の活動に興味があるのと同じで」

「でもインファは唄う野原に行くことがつまりは魔法タンテ試験クストを受けることだって知ってた。ってことは何回も見て知ってるってことだろ?」

「彼らが魔法タンテ試験クストに惹かれるのは、先程ティアサーが話したことが理由の半分ですね」

 女王はレベッカを見つめたまま、彼らの会話に割って入った。

「魔法使いの妖精にとって魔法タンテ試験クストとは、あくまでも己の実力を知る重要な機会ですから、皆さん真摯に取り組まれます。しかしながら、他の妖精にとって魔法タンテ試験クストとは、魔法使いの妖精が全力を出して妖魔を倒す勇姿を目にすることができる、普段見ることのできない貴重な機会。彼らも期待しているのですよ、魔法使いの妖精が任務を終えて帰還するその瞬間まで、あなた方が無事に妖魔を倒して平和をもたらすことを」

 レベッカはパチリと瞼を開いた。そのまま丘の上にいる女王へと一礼した彼女に呼応するように、女王は紫色に煌めく閃光を放つ。レベッカはその光の跡を見ると、宙へと舞い上がり血の輪の外周を周った。彼女が前を通ると同時に観衆からは歓声が上がる。外周を一周し終えた彼女は丘の前で止まると、女王に向かって再び礼をした。顔を上げたレベッカはクルリと宙返りをして、そのまま血の輪の中へと飛び込んだ。

魔法タンテ試験クストについてお二人はご存知ですか?」

 落ち着いた声で尋ねたエレガノ女王にカデンツァは首を横に振った。

「三体の妖魔を倒すっていうだけで、詳しくは何も」

「なるほど」

 彼女は血の輪へと視線を動かした。血の輪では薄らと砂埃が舞っている。どうやら始まったらしい魔法タンテ試験クストの様子に、観衆のザワついた声がより一層大きくなった。

魔法タンテ試験クストではそれぞれの妖魔の討伐に用いた魔法、能力、戦略によって加点、受けた損傷は減点になります。討伐にかかった時間の速さも速ければ加点、一定の基準値よりも遅ければ減点となります。合計値が高ければグレードは高くなり、任務のランクも高くなるので、実力主義の魔法使いの妖精にとって高いランクを獲得することは誇りにもなっていますね。そしてあの妖魔」

 女王の言葉にカデンツァは彼女の示した先を見た。しかし、そこにはまだ何もいない。カデンツァに代わりに見えたのは、ただの砂埃だけだった。

「あそこに妖魔がいるの?」

「ええ、見えなくても感じられますよ。第一の試験相手は、挑戦者が誰でも毎回同じ妖魔が同じ強さで現れます。すぐに済んでしまうかもしれませんが、よく見て参考にするといいでしょう」

 エレガノ女王は微笑を湛えた。血の輪の中ではレベッカが宙に舞い上がり、何やら呪文を唱えている。

「何か呪文みたいな言葉が聞こえるけど」

 ティアサーはその様子を見ながら呟くと、その視線を女王に移した。

「僕に聞き取れないのは、その呪文を使うことができないからって言うことで合ってます?」

「ご認識の通り。呪文はその魔法が使えてこそ発することができる言葉なので、使うことのできない魔法の呪文は聞き取れないのですよ。魔法や呪文自体については未陽日にジョシュアにでも聞いてください」

「それでは使える魔法の呪文は聞き取れる、ということですね?」

 女王は言葉にすることはなかったが、ティアサーからのこの質問の答えはきっと「その通り」なのだろう。彼女はふっと口元を緩めると可憐に微笑んだ。

「ですが、何も呪文が聞き取れないからと言って、すべからく魔法が使えない、とも限りません。呪文が分からなくても使える魔法はあります」

「例えば?」

「さあ。個人によって様々ですので。それを見極めるために受けるものが今回の試験なのですよ」

 穏やかに微笑んだ女王からカデンツァは再び視線を血の輪へ戻した。レベッカはじっと一点を凝視している。彼女の見つめた先では卵から何かが生まれ出るかのように、隆起した地面がひび割れた。

「何か出てきたよ」

 カデンツァは思わず声を上げた。ついさっき隆起した地面の土を被り、何かの頭部らしきものが地面から飛び出している。

「あれが今回の妖魔ですね」

 レベッカがそれを掴み上げるように宙で手を動かすと、頭部だけ出ていた妖魔は地中から引き摺り出され、悲鳴のような声を上げながら宙を舞った。すぐさま白い光線が妖魔に向かって一直線に放たれる。

「凍っちゃったよ!」

 驚きにカデンツァが叫んだのも束の間、レベッカが唱えた呪文によって、凍らされた妖魔は一気に粉々に砕け散る。氷の欠片は大地に降り注いだと同時に、熱されたかのように跡形もなく溶けてしまった。

「第一の試験はこれで終了ですね」

 興奮しきったカデンツァの声とは裏腹に、エレガノ女王の声は落ち着いていた。訪れた一瞬の静寂。それを打ち消すように溢れんばかりの歓声がワッと沸いた。魔法タンテ試験クストの第一の試験。あまりにも短い間の出来事にカデンツァは開いた口が塞がらなかった。妖魔の特徴も攻撃も、姿すらも分からないまま。レベッカは一瞬にして妖魔を倒した。指笛や拍手が飛び交う中、彼女はシュタッと地面へ舞い降りると、まるで一つのパフォーマンスを終えたかのように観衆へ向かって礼をする。何かに気づいたらしく、彼女はすぐさま顔を上げると再び血の輪の中央へと振り向いた。血の輪の中央ではドラゴンのように長く大きな胴体をもった妖魔が奇声を発していた。

「あれは?」

 女王と同じくらい落ち着きのある冷静な声で、ティアサーが尋ねる。

「今回のレベッカが受ける魔法タンテ試験クストの第二の妖魔ですね」

 女王は言葉を区切ると、レベッカの前に現れた妖魔を凝視した。

「第二の試験で対峙する妖魔は、挑戦者の力と同程度より少し強い相手となります。なので何が現れるかは挑戦者次第。どうやら前回より格段に手強い相手のようです」

 妖魔はぽっかりと口らしき部分を開いた。ピカピカと光が瞬いたと思った次の瞬間、妖魔の口にピンク色の光が球のような塊となって現れる。ところが、レベッカは逃げることも避けることもせずにただ身構えた。

「危ない!」

 思わずカデンツァが叫んだその瞬間、妖魔の口からピンク色の光線が放たれ、一直線にレベッカへ向かった。しかし、レベッカは不敵な笑みを浮かべて——。

払い除けるように動かされた手は、妖魔から放たれた光線を偏光した。妖魔の攻撃はさながら解かれた蜘蛛の巣のように無力化されて、レベッカを光の束で撃ち消すどころか、妖魔自身を捕縛するように広がり包み込む。身動きの取れなくなった妖魔は悶えるように声を上げた。悲痛な声に同情したのか、レベッカの表情が曇ったのも束の間、再び叫び声を上げた妖魔から放射状にヘドロのような何かが飛散した。レベッカは瞬時に避けたものの、彼女の着ていた服は、付着したヘドロによってみるみるうちに溶けていく。盛り上がっていた観衆も、妖魔の攻撃に息を呑んだ。うつむくように下を向いたレベッカは、何やら呪文を唱えた。彼女の両手は光に包まれたかと思うと、円盤型の炎が宿った。

「あれは何?」

 カデンツァは円形にゆらめく炎を見て、呟くように尋ねた。

「武器化魔法」

 答えた女王は言葉を区切った。

「彼女が最も得意とする戦い方です」

 ヒュンと飛び退いて妖魔と距離を取ったレベッカは、何度も大きなジャンプをした。対峙する妖魔は再び何かを放とうと、大きく口を開ける。再びジャンプをした足が地に着いたその瞬間、レベッカは目にも止まらぬ速さで妖魔へ向かって飛んだ。円盤型の炎は彼女の手から離れて妖魔を切り裂く。再び手元に戻った円盤の炎を放ると、彼女は呪文を唱えた。妖魔に向かってまっすぐに進んだ円盤の炎が回転して何度も妖魔を斬りつける。その隙に妖魔の背後へまわった彼女は宙へ高く飛び出すと、妖魔の首元を狙って掌を突き出した。

次の瞬間、まばゆい閃光がその手から放たれ——[唄う野原]は真っ白な光に包まれて何も見えなくなった。再び周囲を確認できる明るさに戻った時には既に、まぶしさにくらんだ妖魔のぽっかり開いた口に向かって、まるでシュートを決めるようにレベッカが何かを投げ込んだところだった。反動で妖魔が飲み込むや否や、レベッカはクルクルと回転しながら退けぞいて、血の輪の中で出来る限り妖魔から距離を取った。

「ヴァ……シュ!」

 [唄う野原]中に響き渡るほどの大声で叫ばれた呪文は、妖魔を打ち砕いてあっという間に粉々にした。着地したレベッカはじっと一箇所を凝視している。

シンと静まっていた[唄う野原]に少しずつザワザワと声が戻り始めたその時。血の輪内の地面が突然崩落した。

「今のは——?」

 ティアサーからの声に女王は口をつぐんだままだった。レベッカは天高く舞い上がり、空中に分厚い氷を張った。血の輪いっぱいに張られた氷は、大地にキラキラと模様を描く。

「どうやら第二の試験は完了したようですね。第三の試験相手が大地をかき乱したとみて、彼女は警戒に氷を張ったようです」

 エレガノ女王はじっと氷上のレベッカを見つめた。彼女の身を案じるようにその瞳は不安げに揺らいでいる。

「どうして氷を張ったりしたの?」

「たぶん、氷がどうなるかで変化を見ようとしているんじゃない?」

 カデンツァの無垢な問いにティアサーは考えながら応じた。

「氷が溶けたり割れたりすれば、どういう種類の攻撃があるか予想できそうだし。地面にあんなふうに穴が開いたってことは、地面にいる可能性の方が高いだろ? いきなり攻撃をされても、あの厚い氷なら一撃は避けられるだろうし」

「なるほど。ティアサー、貴方の魔法タンテ試験クストが楽しみですね」

 女王はふっと微笑んで彼を見つめた。彼女の反応にティアサーは驚いたように目を丸くする。

「ご期待に沿えるよう尽くすつもりです」

 彼は微笑み返すと、再び血の輪へと視線を戻した。レベッカの作った氷には暗く影が落ちている。

「見て! 上!」

 カデンツァは叫んだ。地面ではなく、レベッカの作った氷よりも遥か高い天空から煌めく何かが落ちてくる。

「何だあれ」

「さぁ……」

 双精はじっとその何かを見つめた。槍のように落ちてくるそれは黒く、鋭利な輝きを秘めている。ところが、当のレベッカは空から落ちてくるその何かには目もくれず、じっと地面に注意を向けていた。彼女は顔をしかめると、何かをつぶやいて一瞬にして分厚い氷を砕いた。ヒョウのようなつぶてになった氷は彼女の手の動きに従って、何かが落ちてくる先ではなく地面へ向かって降り注ぐ。レベッカは指を鳴らした。彼女の指先に炎が灯り、メラメラと燃え上がる。彼女はそれを地面に向けると呪文を唱えた。指先に灯った炎が放射され、崩落した大地を焼けつくさん勢いで燃え広がる。

「攻撃は空から来てるのに」

 カデンツァは彼女の考えが理解できずに呟いた。

「どうして地面に向かって攻撃ばかりするんだろう」

「第三の試験で戦う妖魔は魔法タンテ試験クストを受ける度に、必ず戦うことになる自分の弱点を突く相手となります」

 女王は穏やかな声で応じた。

「彼女はもう何度も魔法タンテ試験クストを受けているので、第三の試験相手となる妖魔の特性を具体的に把握しています。ですが、あの様子ではどれがまことか分からなくなっているのでしょう」

「というと? あの妖魔の特徴をお聞きしても?」

 ティアサーからの要望に女王は彼を一瞥すると、軽く息を吐いた。

「いいでしょう、カメリアは最初の試験では現れないでしょうし」

「カメリアって? あの妖魔のこと?」

 カデンツァの質問に彼女は頷いた。

「あの妖魔・カメリアは『無』が特徴です。気配も匂いはおろか、あまつさえ音もしない。唯一姿を見ることはできますが、カメリア自身が幻影を扱うのに長けており、自分の姿は暗い影か明るい光の中に投じて幻を使って攻撃してきます」

「だから空ではなくて大地へと攻撃しているんですね。隠れるなら攻撃をしかけてこない側にいることを見越して」

「ええ、もしくは——」

 女王はじっとレベッカを見つめた。

「カメリアは先ほどの地面の崩落と合わせて幻影を作っているのかもしれません。自分は空に隠れて空から攻撃を仕掛けながら、まるでそれに気が付かない彼女を狙っているのかも」

女王のこの恐ろしい考えにカデンツァは息を呑んだ。妖魔と戦うために唯一得られる情報が視覚しかない。それにも関わらず妖魔は幻影を使う。

「こわ……」

「怖くない妖魔も、弱い妖魔もいません。だからと言って尻込みする魔法使いの妖精がいないのと同じです」

女王はカデンツァを見つめるとふわりと微笑んだ。

「魔法使いの妖精は平和をもたらす騎士ですから」

「でも俺は——」

「怖いですか?」

 穏やかな問いかけにカデンツァはこくりと頷いた。

「自分がとかじゃなくて。誰かが傷つくのを見たくない」

「それならば良かった」

 ほっとしたように話した女王は柔和な笑みを広げた。

「魔法使いの妖精は誰かを守るため、救うために戦うのです。そして、その任務で仲間を助けるために魔法を磨くのですよ」

レベッカは炎を放つのをやめると、今度はその火を消すように大地に向かって水を放った。

「どうやら、レベッカも違和感に気が付いたようですね」

 しかし、時は既に遅く。妖魔が空から放った攻撃は針のように彼女の身体に降り注いだ。突然の痛みと損傷にレベッカは宙でよろける。妖魔から受けた攻撃は、彼女の衣服の柔らかな生地に朱く染みを作った。地面は燃え盛る炎に大量の水が一気に撒かれたことで、蒸気が上がり風が巻き起こっている。彼女はふらつく身体をどうにか立て直して体勢を整えた。呪文を叫ぶと、蒸気とともにできた風を巧みに操って、空に向かってかまいたちを放った。何か手応えがあったのか、彼女は胸の前で両腕をクロスすると、地の果てまで轟くような低い声で呪文を唱えた。


 ピシビシピシ、バリン。

何かが割れるような音が響き渡り、彼女は思い出したかのように観衆に向かった。場内ではあふれんばかりの拍手と歓声が彼女を褒め称えている。

「第三の試験が完了しました。これにて彼女の魔法タンテ試験クストは終了です」

 妖魔の姿は結局見えないまま。女王はレベッカが妖魔を倒したのだと告げた。割れた血の輪から出たレベッカは、観衆に向かって何度も礼をすると、突然宙に現れた泡に触れた。

【レベッカ・ウィルソン。魔法タンテ試験クスト第四二九回。結果、ランクG。速度値——】

「あれは何?」

 突然聞こえたよく分からない言葉と声にカデンツァは不審に思って女王に尋ねた。

魔法タンテ試験クストの結果です。ランクは前回と変わらないようですが、点数は上がったようですね」

 女王は満足そうに頷くと、カデンツァを見遣った。

「次は貴方の番ですよ、カデンツァ・ベクレル。彼女が血の輪を出たら、即刻試験を開始してください」

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