第17夜 稀代の悪女は弓張月に舞う

 茨姫は、会話に割りこんで来た他の参加者たちを一瞥する。


 四大公爵家の傍流にあたる男爵、地方の辺境伯に、首都で大店を構える大商人。


 いずれも名だたる富豪であり、貢物は絢爛豪華。王族への献上品と称してもなんら不足ない最高級品ばかりだが、


脇役モブはお黙り」


 一考の余地すらないと、ばっさり斬り捨てた。



「ねえ、侯爵様。貴方が会いに来てくださると聞いて、わたくし、楽しみにしておりましたのよ? 貴方だけは私をさげすまず、この傷心ごと慰めてくださるものだと思っておりましたのに」


 茨姫はもはや張り付けた笑顔の奥の怒りを隠そうともしない。


「つまり貴方も、落ちぶれた女を指差して笑いに来ただけということですのね? なんともまあ、浅ましい趣味をお持ちだこと。恥を知りなさい!」


 そう言うと激情に流されるがまま、侯爵の頬を平手打とうとした。しかし。


「いけませんな、姫君。このような無骨者など叩いては、砂糖細工のように繊細な白腕が粉々に砕けてしまいますぞ」


 ぱしりと。侯爵は軽々と姫の細腕を受け止めた。強すぎず、しかしこれ以上、無礼を働けぬよう身動きができない力加減で手首を握る。すると、



「……ッ!」



 なぜか一瞬、茨姫は痛みを堪えるかのように顔を歪めた。



「失礼、どこかお怪我でも?」


「……いいえ、傷つき血を流しているのは私の心だけですわ。この手を放して頂けないかしら?」


 茨姫は掴まれた右腕を素早く引き寄せようとするが、侯爵はその一瞬の違和感を見逃さなかった。



 ――彼女は何かを隠している



 侯爵は目を細めると、軍人らしい鋭利さで目の前の姫君を検分する。



 茨姫の今日のコーディネートは非対称アシンメトリー


 薔薇の花弁を模したドレスは、裾丈が左右でグラデーションになっており、長い裾に隠れて見えない左脚に対して、右脚は露出が高く、太ももが大胆に覗いている。


 一方、右下半身とバランスをとるように、右上半身は布面積が多く露出が控えめだ。


 一見して前衛的でハイセンス。彼女の美的感覚を浮き立たせるようなファッションだが――



 侯爵は改めて彼女の腕を見た。

 非対称デザインのドレスに合わせて、右腕にだけ嵌められた真紅の長手袋を。


 こういうファッションなのだと言ってしまえばそれまでだが、そこにはなにか、別の理由があるように思えてならない。


 そう例えば、鋭利な風で切り裂かれような傷跡を隠すため、とか――



 侯爵は胸中に湧いた疑念を押し隠して、好好爺こうこうや然とした笑みを浮かべた。


「怪我をしているのであれば、すぐに手当てをした方がいい。失礼ですが手袋を外しても?」


 すると茨姫はビクリと肩を震わせて、掴まれた手を強引に引き抜いた。

 強張った表情。それは紛れもない動揺の証。


 しかし動じたのはほんの一瞬で、次の瞬間にはもういつもの気位高いかんばせに戻っていた。



「なんでもないと言っているでしょう。突拍子もないことを言って、話をはぐらかそうとしないでくださる? 殿方って、なぜ都合が悪くなるとすぐ逃げようとなさるのかしら」


「逃げたのは貴女の方ではないのかね?」


「は?」


 茨姫は訳がわからないという顔を浮かべたが、もはや侯爵の疑念は確信に変わりつつあった。


「……なるほど、では私も態度を改めよう」


「きゃっ!」


 侯爵は突然、姫の腰を強引に引き寄せた。

 不意をつかれた姫君から、思わず驚きの声が漏れるが、おかまいなしに強く抱きしめると、その白い陶磁器のような繊細な顎に指を添え、そっと、甘く囁く。


「これまでの無礼をお許しください、茨の姫よ。貴女の深い愛を受けて、目が覚めました。どうか今宵、貴女をこの腕に抱く栄誉を私めに与えてはくださいませんか?」


「な、なにを、突然……」


 つれない男の急激な心変わりに狼狽えた茨姫だったが、すぐにペースを取り戻すと、


「今更ですわ。ご覧なさいませ。三文芝居に客席は冷え切り、これ以上観る価値もないと野次が飛びかねない有様でしてよ? ここから挽回しようなどと虫が良すぎる話ですわ。どうしてもと言うのなら…… 誠意を見せていただかないと」


 ツンと、薔薇の花弁のような艶やかな唇を尖らせてそっぽを向いた。


 舞台を演じる気になったのは重畳だが、機嫌を損ねた分、素敵な贈り物を寄越せと、そう言っているのだ。


「勿論ですとも」


 侯爵は口の端を持ち上げると、茨姫の前に恭しく跪く。

 そうして懐から螺鈿細工が施された美しい小箱を取り出した。


「どうか、受け取ってください。これが私のです」


 厳かに蓋を開けたその中。

 ビロードの玉座に収まっていたのは、赤い石の嵌った黄金の指輪にして「王の指環」の贋作。


 赤尖晶石レッドスピネルのゴールドリングだった。



「は……」


 それを見た茨姫は、動揺を取り繕うのも忘れて驚愕に目を見開いた。と同時に、形の良い薔薇の唇が僅かに動く。音を発した訳ではないが、侯爵には彼女がこう呟いたように感じた。


「わたくしの、ゆびわ」と。



 茨姫はしばらくじいっと指輪を見つめた後、感情の失せた声でぽつりと呟いた。


「これを、わたくしに、くださると……?」


 侯爵が頷くと、その美しい顔がみるみるうちに喜びで満ちていく。


 それは演技ではない。

 紛れもない本心からの笑みだ。


 そうして茨姫は舞台のクライマックスを迎えた女優のように仰々しく両腕を広げてみせると、


「ああ、なんて素晴らしい! これほど素晴らしい贈り物を頂けたのは始めてですわ! 侯爵様。どうかこの私の一夜限りの王子様となってくださいませ!」


 そう高らかに宣言し、感極まったように侯爵の胸へと飛び込んだのだった!




「わああああああ!!」


 劇的な展開を見せた舞台ロマンスの決着に、ドッと客席から歓声が沸く。


「見事な駆け引きだったな!」

「ああ、逃げて追わせる作戦がこれほど華麗に決まるとは。さすがは百戦錬磨で名高い侯爵閣下だ!」


 舞台を見守っていた観客は、口々に侯爵の巧みな戦術を讃えた。どうも展示会を放棄して帰ろうとしたのは演技だったと、都合よく解釈して貰えたらしい。



「全く、どうなることかと思ったわ」


 舞台袖でバックヤード事の成り行きを見守っていたマダムは、途中まで生きた心地がしなかったとぐったりと椅子にもたれかかった。

 もし今回の心労で目尻に皺が増えたら、侯爵に慰謝料を請求してやろう――




「それでは参りましょうか、侯爵様。続きは私の部屋でゆっくりと」


 茨姫は客の喝采を浴びながら、上機嫌に侯爵の腕に手を回すと、甘えた笑みを浮かべてしな垂れかかった。


「……ああ、そうだな。この続きは貴女の部屋でするとしよう。じっくりとな……」


 侯爵もまた笑みを返した。その裏に鋭い眼光を隠して。



 斯くして「弓張月の展覧会」は、大団円ハッピーエンドにて幕を閉じたのであった。



※※※


「久方ぶりの『断頭台の悪役令嬢』のお相手は、オルキデア侯爵か。苛烈な姫君の攻めに、あの老軍師がどこまで耐えられんのかねぇ。あーあ、代わって欲しいもんだぜ」


 客席で展覧会を鑑賞していたフォーゲルは、姫と腕を組んで階段を登っていく後姿を羨ましそうに眺めながら管を巻いた。


「『断頭台の悪役令嬢』?」


 先程の彼女のことだろうか。

 あまりにも物騒な二つ名だと、ファジルが思わず呟くと、フォーゲルはすっかり酔いが回った舌でこう言った。


「これはあくまでもウワサだが、あの姫さん、この娼館に来る前はれっきとした公爵令嬢だったらしくてな。同じく公爵家の許嫁がいたらしいんだが、彼氏に近づく女を嫉妬のあまり、ことごとく暗殺しようとしたとかで」


 中には実際に命を落としてしまった令嬢もいたらしい。

 この事態を重く受け止めた公爵家は、茨姫に極刑を言い渡したのだったが、


「情状酌量の余地を認められて、公爵家を勘当されるに留まったらしい。そうして食い詰めた彼女が流れ着いた先が、娼館だったって訳だ」


 なんとも眉唾ものの話だが、茨姫本人がこの話を否定も肯定もしないため、事実ではないかと真しやかに噂されている。


「その話が本当なら『茨姫』は稀代の悪女ですね」


 ファジルはつくづく女は怖いと、肩を竦めたのだった。




 高級娼館「夜想亭」のNo.2、茨姫。

 嘘か本当か、嫉妬で身を滅ぼし婚約破棄された公爵令嬢である彼女の、元婚約者の名前は、


 グラナート・フリティラリア―—


 ラクリア旧公国を束ねる「四大公爵家」その筆頭「白百合家フリティラリア」の長子である。





⭐︎役者が揃って参りました!

第一章終了まであと少し!

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