第15夜 王の指輪の鑑定⑤ 天幕の影で蠢く悪意

「え……?」


 目の前にデーンと置かれた金の指輪(狂気つき)。

 ヒスイは指輪と侯爵の顔を交互に見て、ひたすらに目を瞬かせる。



「どゆこと? 私の報酬は……?」


 すると侯爵はにこやかな笑みを浮かべてとんでもないことを言い出した。


「だからそれが報酬だ。王の指環じゃないとしても、十分に価値のあるものなんだろう? 君、娼婦のくせに地味で色気ないから、それでおしゃれするといい」


「は……!?」


「それでは私はもう行くとするよ。マダムをこれ以上待たせて怒りを買いたくないのでね。ではまた、鑑定士殿。次は是非…… 私の体を鑑定してくれ。好きなところを好きなだけ、覗いて貰って構わんよ?」


 そう言うと、侯爵は外套を颯爽と翻して鑑定屋を立ち去っていったのだった。




【異世界娼館に王は集う ~呪われ彫金師は鑑定料を貰えなかったので、後日純潔を失いました~】


 ―—完―—





『いや、純潔を失いました! や、あるかーーい!!』



 ヒスイは「脳内爆音」の呪いを発動!

 侯爵は盛大にずっこけた。


 その上に素早く跨ると、侯爵の高級感あふれるフロックコートの胸ぐらをがっしと掴んで、ぶんぶん振る。



「ひどい! ひどすぎる!? 私こんなに頑張って鑑定したのに! 出すもん出してくれないってどういう了見ですかぁ!!」


「やめなさい! 私に馬乗りになってどうするつもりだね! さてはもう、私の体を鑑定したくなったのかね? なかなかどうして淫靡な娘だ。でも意外と嫌いじゃない、そういうアバンチュール。じゃあ好きなだけ持っていきなさい。例えば私の」


「いやぁぁ!! それ以上口開かないでこのセクハラ侯爵! はい、鑑定結果でました! 結果、変態! 超ド級のSレア変態紳士プライスレス!」


「変態で結構。いいかね、お嬢さん。男にとって変態は称号。むしろ変態と自覚して始めて男の人生は始まるのだ。例えば私の」


「まだいうか!? そういう下ネタは娼館に行ってやってください!! もう、なんでもいいから、早く金貨! 金貨払ってよぉぉぉ」


 すると侯爵はぱちくりと目を瞬かせた。


「なんだ、君は金貨が欲しかったのかね」


「むしろ何が欲しいと思ってたの!? 当然、鑑定料って言ったらお金一択です!」


 すると侯爵は困ったように頭を掻いた。


「それは弱ったな…… 今は手持ちに余裕がなくてね……」


「大貴族なのに!?」


「ん、勘違いされては困る。これから参加する『展示会』で茨姫を落とすための軍資金しかないという意味だ」


 弓張月ゆみはりづきの展示会。

 侯爵がわざわざ今日を選んで鑑定にやって来たのは、この特別な催事に参加するためだ。


 展示会の主役である「茨姫」は夜想亭のNo.2。大陸随一の最高級娼婦であるため、当然、彼女と一夜を過ごすには莫大な金がかかる。

 そしてその提示金額は「茨姫」の言い値。いくら請求されるかわからないので、軍資金は多いにこしたことはないのである。



「夜遊び代に取っておきたいので私には支払えないって!? そんな理屈がまかり通るわけないでしょ! つべこべ言ってないで早く金貨ください!」


 ヒスイは勝手に侯爵の懐を漁り出した。


「そこじゃない。んー、そこもちょっと違う。私、上半身あんまりなんだよなぁ。それよりもうちょっと下」


「もういやぁぁ!! そう言うのは娼婦とやってって言ってるでしょ!? もうどこに金貨隠したの! はやくはやくはやく! 一刻も早くこの場から離れたいぃぃ!! あ!」


 胸ポケットあたり。ヒスイの指にちゃりんと、硬質な何かがぶつかる小気味よい感触がした。


 まさぐって取り出してみると、それは金ぴかに美しく輝く金貨だった!



「あった、良かった! じゃあこの金貨1枚、貰っていきますよ! 苦情は聞きません! 鑑定代とセクハラ慰謝料でトントンですからね!」


 そう言うとヒスイは偽の王の指環と、全身まさぐられて乱れきった侯爵を置いて、黒天幕から出ようとした。


 その時——!




「伏せろッ!!」


「え?」



 ヒィィィィン―—!!


 視界の端を銀の閃光が奔った。耳が僅かに鋭い飛翔音を捉える。と同時に界が空転し、ドサリと固くて厚い何かの上に倒れ込む。


 侯爵がヒスイの体を引き寄せ、胸の中に抱き留めたのだと気づいたのは、三度瞬きをした後だった。


「は……」


 頬に鋭い痛みを感じて指を添えると、ぬるりとした感触。

 見れば赤尖晶石レッドスピネルよりも紅い、真紅が頬を濡らしている。



「待て!」



 侯爵は素早く、だが丁寧にヒスイを地面に横たえると、自らの人差し指に嵌めている指輪に触れた。

そして低く、短く、呟く。



『爪弾け、翔破の指輪ガルガンディアよ』



 すると侯爵を中心に風の渦が生じ、瞬く間に突風となって吹き荒れる。


「きゃあああッ!」


 目も開けられるほどの突風の中、ヒスイは吹き飛ばされぬように自分で自分を抱き締めた。







「クソッ! 逃げられたか……!」


 いつまでそうしていただろうか。

 突風が止み、侯爵の舌打ちを聞いて顔をあげてみれば、目に入って来たのは惨状。


 ビリビリに引き裂かれた黒天幕。

 足の吹き飛んだ椅子。

 机の上にはいつの間にか銀のナイフが突き刺さり、大切な鑑定道具は無残にも地面に散らばっている。


 ヒスイが僅かな手持ちで工夫して、なんとか作り上げた鑑定屋は完全に廃墟と化していた。



「な、な、な……」


 あまりにも突然のことに震えて声も出ない。


 侯爵は厳しい顔つきで机に突き刺さった銀のナイフを引き抜いた。

 何の変哲もない、だが人体を刺し貫くには十分な鋭さの銀刃——


 侯爵はすっかり見通しのよくなった鑑定屋から、外を伺い見た。

 夜想亭の裏口は、しんと静まり返っており、人の気配はない。


 だが、つい数瞬前まで、確かにそこには「誰か」がいた。

 ヒスイが天幕から出るのを見計らって、銀の刃を投擲してきた、誰かが。



「狙いは、王の指環…… もしくは偽の指輪だと分かった上でか」


 王の指環には常に「影」が付きまとう。

 恐らく侯爵が「王の指環」らしきものを持っているという話がどこかで漏れ、後をつけられていたのだ。

 そして天幕内の会話を盗み聞き、指輪がヒスイに渡ったと知ったことで彼女が狙われた……


 随分と下手を打ったと侯爵は顔を歪めた。



「面倒ごとに巻き込んでしまってすまなかった。指輪を渡すなど、冗談でも言うべきではなかった―—」


 ヒスイの百面相が可愛らしくて、報酬は指輪などと、つい冗談を口にしてしまったのだが、そのせいで彼女を危険に晒した


 侯爵は激しい後悔の念と共に、床に落ちた金の指輪を拾い上げた。そうして元の小箱に収めると懐に仕舞い込む。



「襲撃犯の目的はコレだ。もう君が襲われることはないと思うが、もし万が一、身の危険を感じるようなことがあれば、すぐに連絡してくれ。その時は必ず君の身を守ると誓おう」


 侯爵はヒスイの両肩に手を置き、顔を覗き込むと優しく労わるようにそう告げた。


 そしてへたり込むヒスイの前に金貨を4枚置くと、今度こそ立ち去っていった。



「えっと…… え?」


 腰が抜けたヒスイは、いまだに状況が飲み込めず、ただぼんやりと目の前に積み重ねられたピカピカと光る金貨に視線を落とした。


 この鑑定がきっかけで後に大波乱を巻き起こすのだが、それはまた別の機会に語られるお話―—




 依頼ミッション「王の指輪の鑑定」完了。

 鑑定士ヒスイは成功報酬として金貨5枚を獲得。同時に鑑定屋が全壊。一時的に営業不能となる。



※※※



【鑑定結果】


アイテム名:赤尖晶石レッドスピネルのゴールドリング

石:赤尖晶石 5.0ct 

カット:オーバルファセットカット

地金:24k(純金)

刻印:なし


魔法名:不明

魔素量:未計測

特徴:嵌めると「俺は王だ!」と叫びたくなる


稀少性:B+

品質:S

安全性:E


総合評価:C

売却価格:2ルナ金貨



【ヒスイの鑑定レポート】


・石、地金、意匠いずれも最高峰の品質で宝飾品としての価値は非常に高いです


・尖晶石自体はあまり珍しい石ではないのですが、ここまで見事な発色の赤尖晶石はなかなかお目にかかれないため、稀少性をアップさせていただきました


・ただこちらのお品、問題は身につけると頭がおかしくなるという点。これだと実用性皆無なので大きく評価を下げる形になりました


・触らなければ問題ないので、観賞用に玄関などに飾ってみるのはいかがでしょうか?



※1ルナ金貨:およそ日本円にして10000円ほどの価値




⭐︎次回は弓張月の展覧会!悪役令嬢が登場!

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