第12夜 王の指環の鑑定➁ 魔力、発現

「ではいよいよ、石の鑑定を始めたいと思います」


 ヒスイは机に広げた道具を片付け、魔石灯のランプだけを残すと、懐から小さな手鏡のようなものを取り出した。


 中央に透明な玻璃ガラスが嵌ったそれは、掌にすっぽり収まってしまうほどの小ささで、この大陸ではあまり見かけない不思議なデザインをしている。



「なんだね、それは」


 思わず問うと、鑑定士は何故だか気まずそうに視線を逸らした。


「これはその…… 拡大鏡ルーペです」


拡大鏡ルーペ、これが?」



 侯爵が驚くのも無理はない。


 ヒスイが取り出した拡大鏡ルーペは、この大陸で広く流通しているものと大きく意匠が異なる。侯爵が知る拡大鏡ルーペはもっと無骨で大きいし、レンズもうっすら黄味を帯びていてこれほど透明度が高くない。


 いや、むしろヒスイの拡大鏡ルーペの透明度が高すぎる、と言った方が自然かもしれない。世界中どこを見渡してもこれほど純度の高い美しい玻璃ガラスは見たことがない。さながら最高級の宝飾品のようである。


「…………」


 一体どこで手に入れたのか。そんな侯爵の物言いたげな視線を感じ取ったのか、ヒスイは慌てて話題を逸らした。


「まあいいじゃないですか、そんなことは! それよりも石の鑑定を始めましょう」


 半ば強引に話を打ち切ると、ヒスイは目の前の鑑定に集中すべく姿勢を正した。

 そうして拡大鏡ルーペを目に添えると、視線と水平になるよう指輪を掲げてじっくりと石を観察する。



 この鑑定で確認するのは石の内包物インクルージョンだ。


 内包物インクルージョンとは石内に含まれる包有物質のことを指す。

 宝石となる鉱物は大地の奥深くで生まれ、長い時間をかけてゆっくりと成長するが、その過程で体内に様々なものを取り込む。


 それは気体だったり液体だったり、他の鉱石だったり様々で、外見はまったく同じに見える宝石であっても、内部に秘められた内包物インクルージョンは千差万別。一つとして同じものはない。


 まさに内包物インクルージョンは宝石の個性そのものなのである。



「そして内包物インクルージョンは鉱石によって系統があるんです。それを調べることでこの石が本当に紅玉ルビーか鑑定します」


 と胸を張るヒスイだったが、実はゼルガイア大陸では、内包物インクルージョンだけで石の種類を正確に見極める鑑定技は存在していない。


 最大の理由は拡大鏡のスペック。通常3倍ほどしか拡大できない拡大鏡では、内包物を捉えきれないからだ


 しかし、ヒスイが持っている拡大鏡ルーペは違う。彼女の拡大鏡、通称、10倍ルーペはヒスイがうっかりこの世界に持ち込んでしまった文明の利器である。



 ヒスイ。本名、指原翡翠。

 表参道に店を構えるハイブランドジュエリー店「モルダウ」の新人ジュエリーデザイナー。


 彼女は、とある理由で店をクビになった帰りに、大雨で激流となった川にうっかり落下。気がついたらこの世界に流れ着いていたという、異世界漂流者である。


 うっかり迷い込んでしまったこの世界で、彼女は生きるために、そして拾われた娼館から脱出するために、現代日本で培った技術と知識。そして10倍ルーペという、この世界にとっては「チートな道具」で、金を稼ぐために鑑定屋を営んでいるのであった。

 


 と、いうわけで。

 一刻も早く自由を得たいヒスイにとって、これは千載一遇の大チャンス。



 鑑定を成功させて報酬を頂戴すべく、ヒスイは早速、拡大鏡ルーペを使って赤い石の内部を覗き込んだ。



「わあ……」



 ヒスイは拡大鏡の向こう、眼前に広がる石の世界を覗いて頬を緩ませる。


 そこに広がっているのは、果てしない赤。


 宇宙船の窓から覗く広大な宇宙のような、赤く澄み切った銀河に遊泳ダイブすると、濃淡のない完全な単一色パーフェクト・ワインレッドの星間が、微小結晶の星々を抱いて荘厳と瞬く。



「なんて綺麗なんだろう……」



 ヒスイは宝石の世界を覗き込む、このひと時が大好きだ。

 宝石は何万年、何億年という気の遠くなる年月を経てこの世に生み出される「大地の奇跡」。

 その胎内には、母星が刻んだ数多のドラマが宿っている。


 この壮大さの前に人などちっぽけな存在でしかないと、落ち込むたびに宝石の海に飛び込んでは心を慰めてきた。


 なぜか石の世界に故郷に感じるような懐かしさを感じてならないのである。



「と言っても、捨て子の私には故郷なんてないけどね。ああ、石の中に住みたいなぁ。蔑まれることも疎まれることも、金せびられることもない平和な世界…… ねえ、君は私のこと、受け入れてくれるよね? うふふ……」



 などと、ついクセで石に語り掛けてしまう。


 そんなヒスイを見て、侯爵は半眼になり――有体に言えば思いっきりドン引きして身をのけぞらした。


 侯爵の冷え切った目線など露知らず、しばらく拡大鏡で内包物インクルージョンを調べていたヒスイだったが、



「あ、これ……!」


 その目はついに目当てのものを捉えた。



 ヒスイが見つけたのは赤い宇宙に浮かぶ星の渦。正八面体の微細結晶で構成された渦状の内包物インクルージョンだ。


 この特徴的な配置には見覚えがある。内包物これが示す石の系統。それは恐らく――!



「侯爵様、わかりましたよ! この石の正体! それはズバリ…… ってあれ?」


 鑑定士の面目躍如。石の正体を掴んだことに喜び勇んで顔をあげたヒスイだったが、ふと、目の前に座る侯爵の様子がおかしいことに気がつく。

 その表情は石のように固まっており、ヒスイをガン見。瞬きすらしていない。



「あ、あれ。侯爵様、どうしたんですか?」


 すると侯爵は石像状態のまま、呆然と呟いた。


「君、光ってるよ」


「え! ありがとうございます!」



 侯爵様に鑑定の腕前を褒められた!

 いやあそれほどでもと、てれてれしながら頭を掻くと、侯爵は慌てて否定した。


「いや、そうじゃない! 君の体が! 光っていると言ってるんだ!」


「え?」


 何をバカなとヒスイは己の体を見やって―― そうして気がついた。

 体の輪郭に沿うように、ほわん、ほわんと。体全体が黄金色に淡く、光っていることに。



「ひゃあああ!? なにこれッ!?」


 己の体を襲う怪現象にヒスイは思わず立ち上がった。


「なんで私、体が発光してるんですか!? 気持ち悪い! とってください、これ!」


「ちょっ、やめ……! アーーーー!!!!」



 突然、鑑定屋内に悲鳴がこだました。

 男を強引に引き倒して泣きながら上に跨って来る女。

 そんな女から逃れようと、顔面蒼白で必死にもがく男。


 さながら娼館でしばしばみられる、修羅場ロマンスのワンシーンのようである。



「やめなさい! 私を押し倒してどうするつもりかね! さては鑑定にかこつけて私を悩殺するつもりだな!? これだから品性に欠ける下民は! まあでも、意外と嫌いじゃない、こういうシチュエーション。ちょっとチューしてみるかね? って、ちょっと待て! 見ろ、指輪が……!」


 始まりそうだった修羅場ロマンスは突然、終わりを告げた。



 侯爵の指し示す先。ヒスイが机に放りだした黄金の指輪がなんと。

 金色の眩い光に包まれて煌々と光り輝いていたからである。


 緩やかに鳴動していた光はみるみるうちに膨れ上がり、指輪を中心にまるで金砂の竜巻のように。ごうごうと渦巻いて天幕の中を眩い光の洪水で満たしていく。


 どう見ても尋常ならざる異常事態。ますます顔を青くしたヒスイだったが、反対に侯爵は皺の刻まれた顔を少年のように輝かせた。



「そうか…… やはり、この指輪は『王の指環』だったのだ!」


「え!?」


「その証こそがこの『魔力』だ!」



 凄まじい黄金の暴風。これは、魔力。

 ゼルガイア大陸に存在する神秘の力であり、王の指環が操る奇跡の御業。


 この指輪を発見してから今日まで、一度もこんな現象が起こったことがなかったのに、何故、いま発現したのかはわからない。


 だがそんなことはどうでもいい。重要なのはこの指輪が「王の指環」であり、


「この指輪の所有者は、私。つまりこの、ジルロス・オルキデアこそが!! 新たな王だ!!」


 そう叫ぶと、侯爵は魅入られるようにフラフラと、黄金の奔流を吹き出し続ける指輪を手に取り、指に嵌めようとした、その瞬間。


「待ってください!」


 ヒスイは鋭く侯爵を呼び止めた。


 これが王の指環だって? そんなはずはない。なぜならこの指輪は――


「この指輪は『王の指環』ではありません。だってこの指輪の石は! 紅玉じゃないんです!」



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