第5夜 プロがお客様の誘い方を教えます③

夜想亭やそうてい」の勧誘ルール、その1。

 従業員はホールで客を誘う際、ふしだらな行為をしてはならない。



 夜想亭の一階ホールは、基本的に普通の酒場だ。

 食事や酒、交流を楽しむ場であり、客の中には女性もいる。「夜想亭」にやってくる客のおよそ半分は、夜のサービスを求めていない。


 そういったお客様に不快な思いをさせないよう、客引きは限りなくスマートに。上品にやる必要がある。

 そのため、誘惑目的のキスは厳禁。先ほどシトリがしたボディタッチも実はグレーゾーンである。


 それにそもそも――


「こ、こ、こ、こんな大勢人がいる中で、ちゅーなんてできるワケないでしょ! 恥じらいってもんを知らないの、アイツ!」 


 キスというのは2人きりで、できれば薄暗がりでこっそりするのがマナー。

 衆人環視の中で人目を憚らず不埒な行為にふけるのはただの不良である。とシトリは考えている。


 ボディタッチは可だが、キスは不可。不埒の線引きがナゾだが、得てして乙女心とはそういうものである。しかし。


「でもここでして見せなかったら先輩としての示しがつかないし、でも恥ずかしいし、あああ、どうしたら、あああああ」


 シトリは先輩としての矜持と恥じらいの間で板挟みになった。葛藤につぐ葛藤。

 青くなったり白くなったり、最終的には全身がゆでダコのように赤くなって、そして――


「おにいさん、今から私と、キ、キ、キ、キス…… しませんか……!?」


 脳がショートした。という訳である。



 ※※※



「は……?」



 目の前の男――ファジルは、ついにポーカーフェイスを崩した。

 垂れ目がちな目を見開き、じっとシトリを見つめている。


 そんなファジルを見て、シトリはようやく我に帰る。自分が口走ったことを猛烈に後悔しながら慌てて弁明した。



「いややや、これはそのちがうんです! わ、私も、こういうのは2人きりで、しっぽりとするべきだと思うので! やっぱり今のは忘れてくださ」


「いいよ、キスしよう」


「ですよね、ドン引きっすよね!? いや、いつもはもっとエレガントに誘えるんですよ? おかしいなぁ!? これじゃ痴女だと間違われ……って、きゃあっ!?」


 顔を真っ赤にして言い訳に夢中になっていたシトリだったが、ふと気がつくと強引に腰を引き寄せられていた。

 自然と体が密着し、互いの体温が混じり合う。


 シトリはパニックにより、半ば意識を手放しかけながら、間近に迫ったファジルの顔をぼんやりと見た。声をかけた時に感じた温和な印象はそのままだが、瞳には焦れと飢えが交差する。「男」の顔だ。


 一体何が効いたのか。シトリのはちゃめちゃな行動は功を奏し、見事、男の勧誘に成功した。いつもならここで胸中でガッツポーズをきめながら、


「それでは私の部屋に案内しますわ。今日はとびきり良い夜にしましょうね」


 とかなんとか言って、淑女然として客を部屋まで案内するのだが、今、シトリはそれどころではない。


 後輩からの突然の突撃命令。先輩としてのプライド。乙女の恥じらい。

 そして草食系だと思っていた男の思いがけない男のらしさに、調子が狂いに狂い、


「あぁん、困ります、お客様ぁ!」


 官能小説に出て来るような安い台詞を垂れながすことしかできない!



「あの子、一体なにやってるの……」



 その様子を遠くから見守っていたアメジアは嘆息すると、助け舟を出すべく、シトリの背後に近寄った。そうして客に聞かれないように小さな声で囁く。



「ちょっとシトリ、よく見て。そのお客様、『玉花はな』飾ってないわよ。営業対象外」


「え?」


 シトリはギョッとしてファジルのテーブルを見た。

 すると確かに、卓上の花瓶に「花」が飾られていないことに気がつく。



「夜想亭」の勧誘ルール、その2。

 娘たちとの逢瀬を求める場合、その証としてテーブルに「玉花はな」を飾らなければならない。



 この店を訪れる人々の過半数は、酒場のみの利用客だ。そのため、どの客が特別サービス目当てなのかを見分ける印が必要となる。


 それが、この玉花はな

 玉花は先端に花の細工があしらわれた簪のような形をしており、軸が銅製、銀製、金製の3種類。

 逢瀬を望む客は入店時に、この玉花の簪を購入する必要がある。


 そうしてあとは卓上に飾っておけば、準備完了。それを目印に娘たちが声をかけてくる、というわけである。


 なおこの玉花の簪は、そのまま通貨としての役割を果たす。

 銅の簪は銅貨、銀の簪は銀貨と同価値であり、娘たちの求めに応じて玉花を手渡せば、それで一夜の代金を支払ったことになる。



 というわけで、ファジルは卓上に「玉花」を飾っていない。つまりは勧誘してはならない客だった。

 「玉花」のシステムは、夜想亭で働く娘の常識。客を探す際に真っ先に確認する事項だが、シトリは焦ってその確認を怠った。痛恨のミスである。



「ほわああぁぁぁ!!」



 シトリは二重、三重の意味であまりの恥ずかしさに絶叫すると、ファジルの腕から強引に逃れた。そして、


「か、か、勘違いすんなし! このあーしが、あんたみたいな地味男とキスするわけないっしょ! そんなにキスしたいんだったら隣の席の野郎とでもしときな! ばーか、ばーか! うわぁぁぁぁん! また来てね!?」


 などと支離滅裂なことを喚きながら、走り去って行った。



「……あ……」


 ファジルは腕から逃げていった温もりを捕まえようと腕を伸ばしたが、もはや届かないところにいってしまったことを悟ると、


「なんだったんだ、いったい……」


 凄まじい疲労感に襲われ、がっくりと机に突っ伏した。


 すると横から視線を感じ、億劫に顔を向けると隣席に座っていた男と目が合った。

 くすんだ金髪を無造作に後ろに束ね、同色の顎髭をワイルドに生やした色男だ。


「俺とキスするか?」


 ことのあらましを全て見ていた色男は、口の端を持ち上げて、これまたワイルドに笑った。

 その卓上には「玉花はな」が飾られている。


「それもいいかもな」


 ファジルはやけっぱちに答えた。



 噂の「夜想亭」は聞いていた通り、いや、それ以上にとんでもない店だった。

 この国の女性に対する認識を180度改めるほどには。


 ファジルは色男の卓上に置かれている、黄色い花の簪をぼんやり見た。

 花の部分は玻璃ガラス製だろうか、細かいカットが光を捉えて宝玉のように眩く輝いている。


 それを見ていると、先ほどの娘がみせた向日葵のような、明るく可愛らしい笑顔を思い出す。長い間、薄暗がりを歩いてきたファジルにとって、目が眩むように鮮烈で燦燦さんさんと瞬き、目の奥に焼き付いて消えない。


 あの笑顔は、とても良かった。

 もっと見たい。

 もっと間近で、ゆっくりと、自分の腕の中で誰にも見せずに。そう、それこそしっぽりと。


 どうもこの店は特別なルールがあるらしいから、今度はその作法に則って。


 そして今度はおれの方から言ってやろう。

「いい部屋があるから来ないか」と。



 なんとシトリはあれだけの失態をしでかしたにも関わらず、どういうわけか、この青年の心を掴んだ。

 それを知らないシトリは、この後、アメジアに小言を言われた後、結局マダムにも失態が露見し、こっぴどく説教されるのだが、それはまた別のお話。



 ※


 一方その頃。

 シトリに例の突撃命令を出した当の本人は、難しい顔をしながらファジルを見つめていた。

 正確にはその卓上に置かれた料理を。

 そしてポツリと一言、零した。



「シトリ、あのパエリア、激熱だからちゃんとお客様に、舌のヤケドに注意してねって伝えてくれたかなぁ……」




☆コメディ一旦ここまでで、次話から例の事件の話に入っていきます

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