第3夜 プロがお客様の誘い方を教えます①

 時刻は暮れの六刻(およそ18:00頃)。



「いらっしゃいませ! ようこそ『夜想亭やそうてい』へ!」


「あ、ああ、どうも」


 この店を訪れる数多の商人のうちの1人。宝飾商人のファジルは、受付嬢の歓待にたじろぎつつ店内に足を踏み入れた。



「お客様、当店のご利用は初めてですか? 当店ではいくつかルールがございまして……」


 受付嬢が説明を始めるが、店内の喧噪で聞き取り辛いこともあり、つい意識が客席ホールへ向いてしまう。

 まだ開店まもない時刻のはずだが、客席は既に満席に近い。


 客層を観察してみれば、貴族、商人、工房の職人に、流れの傭兵。はたまた北方の武人に、南方の踊り子、東方の学者と、両手の指で数えきれないほどの多種多様な民族、生業の人々が一同に会し、めいめいに酒や会話を楽しんでいる。

 なんとも異国情緒あふれる光景だ。



「噂には聞いていたけど、本当にすごいところだな。ここは」



 ファジルは西方のシグルド古王国からはるばる行商しに、この国にやってきたばかり。彼が拠点としていた西方諸島には、首都にだって、こんなに活気に満ちた酒場はない。

 さすが大陸随一の富裕国はレベルが違うなぁと、感心してしまう。



 夜想亭やそうてい——


 その店は、まるで魔法使いの隠れ家のような洒落た三階建ての洋館だ。


 開放的な吹き抜けの天井には色とりどりの花々が吊り下げられ、壁面には大陸の神話を描いた装飾織物タペストリーが。


 ピカピカに磨き上げられたテーブルは、最高級のマホガニー製でいずれも一級品。


 また店内を忙しなく行き交う従業員スタッフたちも、みな仕立ての良い制服を着ており、いずれも美形ぞろい。


 他の店とは一線を画す格式高い酒房パブ

 これが高級酒場「夜想亭」である。



「……ということで当店では、初めてご来客の方には『本日のおまかせメニュー』をオススメしております! お客様、いかがでしょうか?」


「あ、ああ、頼む」


 呼びかけられて、ようやく意識が受付嬢に戻る。


 ―—しまった、店内の観察に夢中でほとんど話を聞いていなかった


 咄嗟に、あたかも聞いていた風を装って頷くと、受付嬢——淡い桜色の髪に同色の瞳をした可愛らしい顔立ちの少女だ――は満面の笑みを浮かべた。



「かしこまりました! それではお席までご案内しますね」



 そうして案内された席に座ると、ようやく一息つけるとファジルは軽く溜息をついた。

 行商人として旅慣れした彼でも、初めて訪れる異国の地は落ち着かないものだ。


 早速運ばれてきた発泡酒エールを飲みながら、しばし店の喧噪に耳を傾けていると、隣の席からだろうか。こんな会話が聞こえてきた。



「なあ、聞いたか? 三番街の路地裏でまた死体が見つかったって」


「ああ、知ってる。被害者は碧黎館の娼婦だって話だ。身請けが決まった直後のことだったらしい。むごい話だよ」


「これでもう、8人目だろ? 官警は一体なにやってんだか」



「え?」


 思いがけず耳に飛び込んできた剣呑な話に、ファジルは思わず隣を見た。


 歓楽街で起こっている、凄惨な殺人事件。

 これからこの街で商売を始めようとしているファジルにとって無視できるものではなく、もっと詳しく知りたいと身を乗り出した、その時。



「お待たせしましたぁ! 白身魚の香草焼きに、七ツ海タコのパエリアと、ラグー豚の炭火ステーキです」


 絶妙なタイミングで、受付で注文した「夜想亭・本日のおまかせコース」が運ばれてきた。


 焼き魚の香ばしい香りに、頬を撫でる温かな湯気。

 熱した鉄板に乗せられたステーキは、絶えずジュワワワと小気味よく脂が爆ぜる。


 目で、鼻で、耳で。

 五感を余すことなく刺激する旨そうな料理を前に、事件の話など完全に意識から放り出される。


 よく考えれば、今日は入国手続きや商人ギルドへの登録等に追われて、満足に食事をとれていない。


 ファジルは空きっ腹が抑えられず、食前の祈りもそこそこに目の前の料理にありつこうとした。のだったが。



「じーーーーっ」


「ん?」



 どこからか、鉄板ステーキよりも熱い視線を感じる……


 顔を上げると、バチリと目の前に立っていた金髪の少女と目が合った。

 彼女は確か、この料理を運んできてくれた給仕メイドだったか。


 フリルとリボンがあしらわれた可愛らしい制服に身を包み(飲食店員にしては、露出が高すぎる気がするのは気のせいだろうか)、小首を傾げて何やら熱心にファジルを見つめている。


 美人にそうも熱心に見つめられては、落ち着かない。



「おれの顔になにか、ついてます……?」


 ためらいがちに声をかけると、これまでじっとファジルを見つめていた少女がにこっと微笑んだ。


 まるで向日葵ひまわりが咲いたような、華やかな笑顔。

 ハチミツ色の金髪が一層明るさを引き立てて、なんとも可愛らしい。



「おにいさん、見ない顔ですね? 旅の方ですか?」


 金髪の少女はファジルが羽織っている西方諸島風の毛皮のケープが珍しいのか、ちらちらと視線を飛ばしながら喋りかけてきた。


「ああ、旅人というか商人なんだ。この国で商売を始めようと思って、今日着いたばかりで」


 ファジルが扱っているのは宝飾品。ちょうど彼女のような年頃の女性がメインターゲットだ。

 丁度いいからこの国の流行をリサーチさせて貰おうと会話に乗ったところ、



「わあ、そうだったんですね! 私…… あなたのような方を待ってたんです!」


 少女はなにやら感激して柏手を打った。

 その目は興奮でキラキラしている。


「あのあの、今日、お泊りの場所はもう決まってますか? もしまだなら、私が宿をお手配してもいいですか? すっごく…… 良いお部屋を知ってまして」


「へぇ?」


 この店では観光案内所のようなこともやっているのだろうか。

 一応、宿の手配はしてあるが、現地人の進める宿にとても興味がある。キャンセルしてそちらに移っても良いかもしれない。


 それにこの国の女性は未来の顧客。ここで彼女と知り合いになっておいて損はないだろう。

 なんてことを商魂逞しく考えていると、



「え?」


 卓上に放り出されたファジルの手に、そっと少女の手が重ねられた。

 まるで子供が親に甘えるように、少女はファジルの指を優しく弄ると、


「おにいさんの手、おっきいですね。商人さんなのに、なんかごつごつ。もしかして、武芸の心得があったり?」


 ファジルの筋張った小指に、自身の小指を絡めてくる。


 少女の白くてきめ細かい柔らかな肌が、ファジルの長旅で荒れた手を最高級の絹布シルクのように滑らかに包み込む。そして触れた先から伝わる仄かな熱を自覚すると同時に、ファジルの半身に突き上げるような電雷でんらいほとばしる。



「は!?」



 ファジルはなぜか急激な危機感に見舞われて、咄嗟に少女に絡め取られた腕を引き抜いた。


 まるで子リスが天敵である山猫を見つけて、疾風のように巣穴に戻るかの如き早業。

 それを見て、金髪の少女は驚いたように目をパチクリさせた後。


 ほんの少しだけ唇を尖らせて、ファジルの正面にかがみ込んだ。

 拗ねてるような、甘えてるような、そして何かを持て余してるような、そんな切ない表情をしながら。


「ごめんなさい、私ったら、つい…… おにいさんが故郷にいる兄に、すごく似てるから……」


 そうしてモジモジと上目遣いにファジルを見上げた少女の頬は咲き始めの紅梅こうばいのように、淡く色づいている。



 ―—い、いま一体なにが起こってる……!?



 ファジルは激しく狼狽した。

 なぜこの少女はこんなにもグイグイくるのだろうか。


 従業員のおもてなし、にしては明らかにサービスが過剰だ。


 辺境国から来たファジルを田舎者だと揶揄っているのだろうか。

 それともまさか、この少女は自分に一目惚れ、してしまったのだろうか。

 いや、そんな馬鹿な。流石にそれは飛躍しすぎだ――



 そう頭を振りつつ、ファジルは改めて少女を見つめた。


 柔らかそうな金髪の髪を結いあげた少女は恐らく歳の頃、17か18ほど。

 少女から大人へと羽化する、過渡期のような瑞々しさとそこはかとない色気を感じる。浮かべた笑みは大輪の花の如く、見る者をどこまでも高揚させる。


 可愛い。


 そう自然と心の声が胸中で鳴り響き、ファジルは我が事ながら驚いて動揺する。

 顔に出てやしないかと心配になる。


 一方、少女の方も急にドギマギしだして、おもむろに後ろを向いた。


 そうしてなにやらブツブツと独り言を零した後。


 再び振り返った少女の顔は、なぜか今にも燃え上がりそうな真っ赤な顔をしている。

 一体どうしたのかと、その顔を覗き見ると少女は目を潤ませながら、恥じらいに震える声でこう告げた。


 それは先ほど振り払った妄想が、事実であったとファジルに確信させるものだった。



「おにいさん、今から私と、キ、キ、キ、キス…… しませんか……!?」



 ※※※



 金髪の少女、もといシトリの奇行グイグイの理由を説明するには、少しだけ時を遡る必要がある。



 ―—「夜想亭」一階ホールにて



「さーてと! 今日もお仕事がんばりますかぁ!」


 アメジアに促され、ホールに出たシトリは客を見つけるため、じっくりと周囲を観察した。

 現在、夜想亭の客席は満席近く、客ならそこら中にいるがそうではない。

 彼女が探しているのは「夜の相手」だ。



☆シトリのお仕事編 つづく

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