第8夜 鑑定屋オープンしました
時刻は暮れの四刻(およそ21:00頃)。
リィンリィンリィン―—
夜想亭に賓客の来訪を告げるベルの音が響き渡る。
その刹那。喧噪に満ちた店内が、しん、と水を打ったように静まり返る。
そうして扉の奥。暮夜の向こうから一人の男が現れた。
上質なフロックコートの上に軍式外套を羽織った、いなせな着こなし。
皺と共に刻まれた古傷が目を引く、老いてもなお衰えぬ精悍な顔立ち。
「よくお越しくださいました。オルキデア侯爵様。従業員一同、閣下のお越しを心よりお待ち申し上げておりました」
夜想亭を訪れたロマンスグレーの紳士を、しゃなりと美貌の女主人が出迎える。
マダムが妖艶に優雅に腰を折ると、背後に控えた見目麗しい娘たち総勢11名が一斉に歓待の礼を取った。
その一糸乱れぬ完璧な所作から、この店の格の高さが伺える。
「やあ、マダム。今夜も頼むよ。今日はうちの若いのを沢山連れて来たから。青二才共に世間ってものを教えてやってくれ」
オルキデア侯爵はこの国「ラクリア旧公国」の四大公爵家が1つ「
侯爵の背後を見ると、軍服の青年が6人、静かに控えている。
年の頃は10代後半から20代前半ほど。
みな年若く、服の上からでもわかる逞しい体つきをしている。品のある佇まいから、貴族の子弟に違いない。
青年たちはズラリと並んだ眉目秀麗な娘たちに圧倒されつつも、この後、訪れるであろう特別な一夜を想像し、興奮を隠せないでいる――
「もちろんですとも。夜想亭一同、皆様方に最高の夜をご提供させていただきますわ」
マダムが優雅に手を挙げると、アメジアを筆頭に上位ランクの娘たちが前に進み出た。
そうして青年たちの腕に手を添えると、
「お席へご案内いたしますわ。みなさま、どうぞこちらへ」
背後に下位の娘たちを付き従えて、賓客用の客席へと消えていった。
そして後にはマダムと侯爵だけが残される。
「さてマダム。予告通り、鑑定を頼みたいのだが。確かこの店に腕利きの鑑定士が滞在しているという話だったな?」
「ええ、まぁ…… 鑑定士というか、鑑定の真似事ができるというだけのただの娘なのですが……」
マダムの、珍しく奥歯にものが挟まったような言い方に、侯爵は眉を上げた。
「ほう、件の鑑定士は客ではなく、店の従業員だと?
「……勿体ないことですわ。ありがとうございます、おほほほ……」
どうもヒスイの件が、貴族の間で話題になっているらしい。
以前、この店を訪れた常連客の一人、イニス伯爵が戯れ半分で、夜想亭の娘に貢ぐ予定の真珠の首飾りをヒスイに鑑定させたことがあった。
するとなんと、首輪にあしらわれている真珠が模造品であることが判明。
伯爵は偽物をお気に入りの娘に贈らずに済み、貴族の面子が保たれたとかでいたく感激。友人間でその話を広め回った結果、今回、侯爵の耳にとまったという訳である。
マダムとしては品格が第一の高級娼館に、鑑定スキルという珍妙な技能を持つ娘を受け入れていることをあまり広めて貰いたくないのだが……
複雑な心境である。
「……それでは鑑定のお品をお預かりしますわね。侯爵様はどうぞ、『展覧会』へのご参加を」
「展覧会」はこの店の一大イベント。求愛者と姫の恋愛劇を楽しみに訪れた客たちが、開幕の時を今か今かと待ちわびている。早く舞台の幕をあげたいところなのだが、しかし、
「それなんだが。その鑑定士とやらに俄然興味が湧いてね。彼女が鑑定しているところを直に見たいのだがいいだろうか」
「まあ……」
侯爵の提案にマダムは内心、眉を潜めた。
本日の特別イベントよりも、珍妙な鑑定士にご執心とは。そんな理由で「展覧会」の開始を遅らせるなど許容し難いが、しかし侯爵はこの店の上客。
彼が夜想亭で落とす金額を思えば、あらゆることは些事。
要望を飲む他あるまい。
マダムはそう結論付けると、仕方なく侯爵の申し出を了承した。
「かしこまりました。他ならぬ閣下のお望みとあらば。どうぞ、こちらへ。ご案内しますわ」
そうして黒の美魔女は物憂げに、ヒスイが鑑定屋を営んでいる店の裏手に案内した。
※※※
―—夜想亭、ヒスイの鑑定屋前
「ここ、は……?」
絢爛豪華で活気に満ちた「夜想亭」において、その一角は明らかに異質。
薄暗くて人気なく、室内だというのになぜか小さな黒い天幕が張られている。
傍から見ると、呪われた魔女の
鑑定士に会いたいと言ったのに、何故こんな場所に連れて来たのかと訝しんでいると、なんと彼女はあろうことか、魔女の
「え?」
侯爵は狼狽した。慌ててマダムの後に続くと、そこには黒魔術で使う怪しげな儀式と哀れな生贄が並んでいた――ということもなく。
魔石灯が煌々と照らす明るい幕内に、簡素な作業机が一組。
そうしてそこにポツンと、1人の娘が座っていた。
鳶色の髪にくりっとした翠緑の瞳を持つ娘で、年齢は20歳そこそこ。
いやほっそりとした手足からして、もしかしたら15、6かもしれない。年齢の読めない娘だ。
どこか憂いを帯びる顔立ちは悪くはないが、本当に夜職の娘なのだろうかと思うほどに化粧気がない。栄養状態がよくないのか、肌の色も良くない。
この娘に鑑定を頼んで大丈夫か、早くも不安になってくる。
「ヒスイ、この方が鑑定の依頼をしてくださったオルキデア侯爵様よ。ご挨拶なさい」
すると名を呼ばれた娘が立ち上がり、緊張しているのか、ギクシャクしながら頭を下げた。
「あ…… い、いらっしゃいませ、侯爵様。本日鑑定を務めます、ヒスイと申します」
お世辞にも上出来とは言い難い礼にマダムは目を細めたが、客の前で説教は厳禁。マダムは言いたいことを飲み込むと話を進めた。
「侯爵様は、恐れ多くもあなたの鑑定を間近で拝見したいとのこと。くれぐれも無礼のないように。あと、手短にね」
特に最後の一語の語気を強めると、マダムは侯爵に向き直ると、
「それでは私は一度、退出いたしますわね。また後ほど『展覧会』にて。どうぞ、良い夜を」
これぞ淑女の鑑というべき完璧な礼を取り、銀河のドレスを翻して優雅に立ち去っていった。
「…………」
後に残された2人はしばし見つめ合う。
「あ、それではどうぞ、こちらにお座りいただき…… お品物を見せてください」
相変わらずぎこちない仕草で、ヒスイは机の対面に置かれている椅子——背もたれのない質素な丸椅子——を指した。
侯爵は仕方なく腰を下ろすと、机——これまた適当に切った木に脚だけつけたような粗末な作り――を見て、顔を曇らせる。
どうしよう、たまらなく不安になってきた。
「念のため確認したいのだが…… イリア伯爵の首輪の真贋を見破った鑑定士というのは、本当に君のことであっているか?」
伯爵の話しぶりとは大きく異なる「鑑定士」像に、つい不安が零れる。すると、
「ええ、そうです。イリア伯爵の真珠の首輪。あしらわれていたものは白蝶真珠ではなく、真珠を模した模造品。
ヒスイはキッパリと言い放った。
「つまり、
「わ、わかった」
あれだけおどおどしていた娘が急にペラペラと喋り出し、侯爵は慌てて遮った。
何を言っているのかほとんどわからなかったが、それが宝飾品に関する専門的な知識であり、彼女が本物の鑑定士である証左だと納得する。
「疑ってすまなかった。それでは本題に入らせてもらおう」
そうして侯爵は懐から一つの箱を取り出した。
螺鈿細工が施された美しい小箱だ。それを机の上に置くと、恭しく蓋を開けた。
「わあ……!」
中に入っていたのは赤い石のはまった黄金の指輪だった。葡萄酒のような色鮮やかな赤。高い透明度に、石に施された繊細なカットが光を捉えて、
その神秘的な眩い光は、まるで御伽話の魔法のようだ――
「本日のご依頼は、この指輪の石が本物かどうかの真贋査定でしょうか?」
「ああ、そうだ。真贋を見極めて貰いたい。だが、知りたいのは石ではなく――」
それはこの大陸に住む者全てが追い求めてやまない伝説の神器――
「これが王の指環か、否かを、だ」
⭐︎果たしてヒスイに、この指輪が王の指環かどうか見破ることができるのか!
鑑定士のお仕事始まります!
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