第7話 鑑定士ヒスイ、始動——

「みんな、集まったかしら」


 夜想亭・裏方バックヤードにて――



 全身黒づくめの美魔女、この夜想亭やそうてい支配人オーナーであるマダム・ウィドウは部屋を見渡した。


 現在、この部屋には店で働く娘たちが勢ぞろいしている。

 その人数、およそ12名。

 この店の頂点に立つ3人の「姫」、それ以外の娘たち全員である。



「はい、全員そろっています、マダム」


 マダムの前で整列する娘たち、その先頭に立つアメジアが報告した。

 彼女はこの店のNo.4。

 つまり、この場で最も格が高い。


「姫」たちはその「稀少性」を高めるため、酒場での労働を免除されている。そのため、この店の従業員のトップは実質上、アメジアということになる。



「よろしい」


 マダムは満足そうに頷くと、胸元から取り出した黒漆くろうるし煙管きせるを優雅にくゆらせる。



「みな、わかっていると思うけど、今夜は特別な日よ。『茨姫の展示会』に参加するために、賓客がいらっしゃる。我が国の大貴族・オルキデア侯爵様が」


 オルキデア侯爵家は、ラクリア旧公国を統治する「四大公爵家」のひとつ「竜胆家ギルティウス」の直系。代々、有能な軍人を排出するこの国きっての大貴族だ。



「侯爵閣下は、この店のご贔屓様でもある。みな、くれぐれも粗相のないように。とくに」


 マダムはじろりと列の後方に立つ娘を見た。

 その視線の先には先日、この店に入ったばかりの新人が所在なさげに立っている。


「わかってるわね? お客様の前でまた拾い食いでもしたら、次は半裸野ざらしの刑じゃ済まないわよ。3日は足腰が立たなくなるくらい、激しいのをくれてやるからね」


「ひぃぃぃ!!」


 ヒスイは先日受けた「半裸野ざらしの刑」を思い出したのか、体の輪郭がぶれて見えなくなるほど震えだした。


 そんなヒスイはこの店のNo.14。この店の下から二番目。クビまっしぐらな崖っぷち嬢である。



「さあ、みんなもいいわね。この店は気高き『百合の紋章リリィシア』に連なる誉れ高き名館。この店で働く矜持を胸に、しっかりと稼いでらっしゃい。さて、ヒスイ」


「はぃぃ!?」



 再び名指しされ、ヒスイは声が裏返った。

 まだ何かあるのだろうか。

 マダムの折檻以降、拾い食いもつまみ食いもしていないというのに。

 はっ! まさか今日、店の開店に遅刻したのがバレたのでは……!?


 折檻の恐怖に再びバイブレーションし始めたヒスイを余所に、マダムは至極真面目な顔でこう告げた。


「朗報よ。あなたに事前指名が来てる。なんと侯爵閣下が直々に相手して欲しいそうよ」


「えッ!?」


 例のVIPがヒスイを求めているという衝撃の話に、にわかに室内がざわめいた。


「やったじゃん!」


 シトリが心から嬉しそうにヒスイの脇を肘でグリグリすれば、


「つ、ついに……! よかったわねぇ……!」


 教育係のアメジアは瞳を潤ませて、スンと鼻を鳴らす。

 しかし中には、


「チッ!」


 露骨に舌打ちする者もいた。

 彼女の名はカーネリア。萱草かんぞう色の鮮やかなマンダリンオレンジの髪に同色の瞳を持つ、派手な容姿の娘だ。


 カーネリアはそばかすの浮いた鼻に皺を寄せると、上客をかっさらわれたことへの苛立ちゆえだろうか。忌々しそうにヒスイを睨む。


 同僚たちからの賞賛、羨望、そして嫉妬。

 様々な視線がヒスイに集まる中、当の本人は、


「イーーーー」


 ものすごくわかりやすく不貞腐れていた。その顔には「イ・ヤ」の二文字がありありと浮かんでいる。


 普通、娼館で働く娘ならば、高貴な男性からの指名と来たら諸手を挙げて歓喜するものだ。

 貴族なので当然、上品だし、金払いは良いし、彼らは大抵贈り物を携えてやってくる。高価な花であったり、美しい宝飾品の数々であったり。


 高級娼館の娘たちと一夜を共にすることが一種のステータスである貴族の子女にとって、娘たちはまるで本当の恋人のように大切に扱われる。

 なんなら、本当に彼らの心を射止めて、見事愛妾の座を手に入れる娘たちだっている。


 つまりは貴族からの誘いはボーナスステージ。断る理由など皆無なはずなのだが。



「はぁ……」


 マダムはがっくりと肩を落とした。

 これがヒスイがこの店に来てから一度も客を取れていない理由。



 商売で男と寝るのは断固拒否。



 ヒスイは娼館で働く娘でありながら、金剛石ダイアモンドより硬い貞操観念を持つ、完全無敵の「鉄の処女アイアンメイデン」である。



「その件については、後でじっっくりと話し合いたいところだけど、とりあえず今回はじゃないわ。侯爵閣下は是非とも鑑定して貰いたい品があると、あなたが切望してる『鑑定』をお望みよ」



「え!!」



 途端にヒスイの顔に喜色が溢れ始める。

 なんともわかりやすい娘だ。


「なんでも、余所では鑑定できなかった、とっても珍しくて高価な、判別の難しいお品だそうよ。藁にもすがる思いで、我が家の珍獣の手を借りたいと」


「やる! やります! やらせてください!」


 ヒスイは食い気味に言葉を被せた。


「引き受けるのは当然よ。大貴族の依頼を断るなんて許されないわ。だから、ヒスイ。あなたは閣下のお出迎えに参加しなくて結構。すぐに鑑定の準備を始めなさい」


「はいっ!」



 水を得た魚とはこのこと。

 ヒスイは溌剌と返事すると、足取り軽く部屋から飛び出していった。


「では、それ以外の者は私と共に侯爵様のお出迎えに行くわよ。飢えた男たちに、あなたたちの魅力を存分に見せつけてやりなさい」


 そう言うとマダムは踵を返して、颯爽と、そして優雅に裏方バックヤードのドアを開け放った。

 薄暗い部屋に、煌々と輝くフロアの光が差し込む。



「ヒスイ、上手くいくといーね」


 ぽそっとシトリが呟くと、


「ええ、本当に」


 アメジアも深く頷いた。

 カーネリアはそんな2人を見て鼻を鳴らすと、


「バカじゃないの」


 ヒスイが飛び出していった方をじっとりと睨むのだった。




☆娼館の鑑定士のお仕事とは。そして持ち込まれたお宝は例のアレで……!?

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