第5話 欲しいものは手に入れたいけど、結局は手に入れるまでのわくわく感が好きなだけ
灯台下暮らし、という。欲しかったものは意外とすぐそばにあるということだ。
二メートルはありそうな本棚の最上部。
ビートルズとローリング・ストーンズに関する評論本二冊の間、背表紙に何も書いていない本がぽつりと挟まれている。
「取れるよな?」
千歳がどこかから踏み台を持ってくる。千歳より頭一つ以上大きい僕にはすんなり取れた。
薄茶色の箱の中身を取り出すと現われるクリーム色の表紙には黒い字で『備忘録』。
震える手でページをめくる。白紙が続く中、七ページ目のささやかな言葉の切れ端に意識を奪われた。
『姿は見つからなかった』
ビンゴ。
「あの、これ……」
本を見た女性店員は「ワーオ」とアメリカ人みたいな驚き方をした。
「今話題になってる本ですよね? 幸運を呼ぶとかなんとか」
店員はてきぱきした動作で箱の中身を改めたり、奥付を見たりする間に八回以上「マジか」を連発した。
「マジかー。さっき品出ししてたときは見なかった気がするんだよな」
「さっきって、いつですか」
千歳が興奮気味に食いつく。
「お昼入る前、ぐらい? 二階に行ってたときもあったし、そのときかな。マジか、うちにも来ちゃったかあ」
僕と千歳は目を見合わせる。この人が嘘をついているようには見えない。
「あの、これ商品じゃないってことですよね」
「厳密に言えばそうなるんじゃないですか。噂と同じものなら、値段もないだろうし、……ああ、ほら」
さっと開いた奥付には、値札シールも手書きの値段表示もついていない。
「その、頂いていいですか?」
「そうですねえ……」
少しの間首を捻ったけど、すぐにあっさり渡してくれた。
「最初に見つけた人の特権です」という笑顔と共に。
「ありがとうございます。……はい」
ミッションコンプリート。
「……ありがと」
日焼けしていない白い顔は、少しだけ赤みがかかっていた。店を出た僕らは何も言わず、書泉グランデの角を曲がって路地に入る。
あっさり見つかっちゃったな。
そう声をかけたかったけど実際に口から出たのは「ユーゴはどうなったんだろうな」だった。
『備忘録』に少しずつ綴られ、冊数が重なる度に全容が露わになっていた物語。
「彼女」が追いかけていた「ユーゴ」はどこかに姿を消してしまった。どんな筋書だったのだろう?
「……あたしもそれ考えてた」
「悲しい話なのかな」
冬の夕暮れの路地は少しずつ人が少なくなってくる。
「すみません」
女性の声で話しかけられた。
振り返るとマーベルのロゴが入ったキャップと、サングラスをかけたポニーテールの女が立っていた。千歳が言っていた「ストーカー」。
「……あんたかよ」
警戒を隠さない千歳の硬い声。
「その本、売ってもらえませんか」
サングラスでわからなかったけど、視線は千歳の両手の中の本を捉えているに違いないと思った。
お願いします、と女性は頭を下げた。
「どこまでご期待に沿えるかはわかりませんが、お金なら出します。だから」
「何なんだよ」
最初に声を荒らげたのは千歳だった。
「さっきからずっとくっついてきたかと思ったら、あたしらが持ってる本を売れって?自分が何言ってるかわかってんすか?」
「ごめんなさい、どうしてもその本が欲しいんです。必要なんです。無理なお願いだって
ことはわかってます」
「理由は、何なんすか? 交渉するにしてもまずそれが知りたい」
「探してる家族がいるからです」
女性の話し方は芝居がかっているように聞こえた。隣の千歳が「えっ」と息を呑む音が聞こえた。
「十年以上会えてなくて、今その家族がどこで何してるのか見つける手段もない。それ、持ち主に幸運を与えるって言われてるじゃないですか。嘘かもしれないけど」
「ダメです」
最初、自分の口から出ていることに自覚がなかった。隣の千歳も唖然とした顔で僕を見ていた。
「ダメに決まってるでしょう、売れませんよ」
「何でお前が決めるんだよ」
「千歳のために探すんだって、僕が決めてたから」
「はっ……?」
「千歳だってあなたと同じ理由でこの本を探してたんだ。横取りの言い訳にはなりませんよ。それに、千歳はこの本が『幸運を与えてくれる』ってちゃんと信じてるんです。『嘘かもしれない』って言うあなたにあげられるわけないです。諦めてください。どうして、千歳が横取りされなきゃいけないんですか」
怒りがふつふつと湧いてくる。
「どうしても欲しいって言うんだったら、そのハリウッドセレブみたいなグラサンと帽子取ってください。もう日も落ちてるし必要ないでしょ」
何も言わず固まる女性。
「それが筋ってものじゃないですか? 彼女のものを手に入れようとしてるんだったら。それともできない理由とかあるんですか? 指名手配されてる犯罪者とか?」
「……わかりました、外します」
細い指先がサングラスと帽子を外す。
出てきたのは思いもよらぬ顔だった。
「マリナ先輩!?」
帽子を外しても尚、マリナ先輩の前髪はぶれることなくぱっつんをキープしていた。
隣で千歳が「マリナ……」と小さく呟いたのが遠く聞こえた。
「名店」と呼ばれる神保町の飲食店は夕方は閉めてしまうところがほとんど。だから、先輩から話を聞かせてもらうために選んだのは遅くまで営業しているファミレスだった。
「全部、私の奢りでいいから好きなの食べて。……といっても、大したものは食べさせてあげられないけど」
ぎこちない笑いを浮かべて、先輩が定番料理の載ったメニューを開く。
「いえ、そんなご馳走様です」
「……ありがとうございます」
千歳も頭を下げる。まだ、警戒しているようだ。
うかつだった。帽子を被っていたからとはいえ、マリナ先輩と見抜くことができなかったとは。
「なんで、こんなことしたのか教えてもらえますか」
最初に口を開いたのは僕の方だった。
「言い訳にもならないと思うけど、栄太くんならあれを見つけ出しそうだな、って思ったんだよね。怖い思いさせて本当にごめんなさい」
ペコリと頭を下げるマリナ先輩。
「その、見つけられそうって根拠は?」
頭を捻ったあと、先輩が出した答えは「勘?」だった。そんなもので僕をつけ狙った大胆な行動力(と呼んでいいものなのか)には尊敬の念のようなものを抱いてしまう。
「どうやって僕の居場所を突き止めてたんですか」
「さっきあげたお守り」
幸運を分けてくれるとかいうあの人形。
「あれですか……」
何も考えずつけてしまっていたことが悔やまれる。
「お守り?」
困惑する千歳にリュックサックにつけた人形のお守りを見せる。
「ブードゥー教の呪いの人形?」
千歳と僕の感性は変なところで似通っているらしい。
「中に入ってるの、パワーストーンじゃないの。もっと科学的なもの」
「ハサミ持ってるぞ」
ポーチから携帯用のスティックハサミを取り出し、手際良く人形を形作る毛糸を切り始める千歳。
中から出てきたのは、持ち手のような輪っかがついた白い物体。デジタルデバイスか何かと連携されているのか、緑色のランプが点滅していた。
「……GPSタグ?」
「当たり。貴重品紛失対策として普段真っ当に使ってたのを悪用しました」
「ほぼ犯罪じゃないですか」
「ごめんなさい」
「ずるしてまで欲しかったんすか、幸運が。ぶっちゃけ、本末転倒な気がするんですけど」
きつい一言だ。マリナ先輩を見つめる千歳の視線は険しい。
「そうですよね」
先輩が肩をしぼませて小さくなる。
「誰かから奪った幸運なんて何の意味もないのに。どうかしてたと思います」
ざわついた店内の中、僕らが座っている席だけに異様な静けさが漂った。多分、何か別の話題が必要なんだけどこういうとき何を言えばいいんだっけ?
「そ、そういえば先輩が探してる家族って誰なんですか?」
果たしてこの話題転換が適切かどうかはさておき、先輩も千歳もはっとした。
「えっとね、妹。私より三つぐらい下の……って、大丈夫!?」
カラン、と軽い音がして、千歳がドリンクバーで入れたメロンソーダのグラスを倒す。
「……大丈夫です」
紙ナプキンでテーブルをふき取る千歳の手は震えていた。
千歳のお姉さんは三つ上だと聞いたけど、まさか。
「どんな妹ですか?」
「どんな?」
わかりやすく困惑するマリナ先輩。「何でそんなことを聞くの?」と言いたそうな顔。
「だからその、性格とか」
「うーん……。簡単に言えば、物事をはっきり言うタイプって言えばいいのかな? 悪いと思ったことははっきり言う。言い方はきついけど、間違ったことは決して言わない子だったな」
「その子、名前に漢数字の千が入ったりしません?」
「え、何でわかったの? 千里眼?」先輩が椅子から腰を浮かしかける。
「入ってたよ、千歳」
「マリナは漢字にすると、漢数字の万が入ったりするんじゃないですか?」
「鶴は千年、亀は万年で縁起が良いから、ってね。おじいちゃん、おばあちゃんがつけたんだとか。……ねえ、嘘でしょ?」
「子供の頃好きだった絵本は」
「『わたしのワンピース』」
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