第4話 店員と話が盛り上がると、無性に嬉しくなるのはなぜだろう?
千歳には三つ年上のお姉さんがいたのだそうだ。
「『わたしのワンピース』って知ってる?」
「知らない」
「そういう絵本があってさ、当時幼稚園年長児のあたしと小学校低学年だった姉ちゃんも大好きだったんだよ」
足踏みミシンでワンピースを作るうさぎの絵本だという。
「無地のワンピースなんだけどさ、それ着て雨が降ってる外に出ると雨粒柄になったり、雨が晴れて虹が出ると虹柄になったりするの」
「へえ、夢があるな」
「花畑行けば、花柄になってな。姉ちゃんもあたしもそれ読んで変に感動しちゃって。『うちらも本物の花でワンピース作ろう!』って意気投合して、二人して公園で花摘んで、それをテープでワンピースにくっつけるぐらい仲は良かった。結局『テープの無駄遣いしないでよ』って母親に怒られたけどな」
懐かしそうに笑う千歳。微笑ましいエピソードだ。
「そういうかわいい時代もあっという間に過ぎて、あたしが小学校入学した年に、親が別居と離婚」
「何があったんだ」
「こういうもののきっかけは大体くだらない。姉ちゃんが小四のときの学習発表会のクラスの劇で主演やったんだよ。確か『魔法を捨てたマジョリン』のマジョリン」
劇団四季で公演されたりする児童向けミュージカルの名作の一つ。
「誰が見てもかなりはまってたんだよね、妹のあたしでも体育館の自分の席で見ながら『姉ちゃん、演技上手いなあ』って思ったよ。保護者席で姉ちゃんの活躍を見た母親も同じだったみたいで、姉ちゃんを名女優にしようという変な情熱に目覚めた」
母親の衝動による行動力はすさまじいものだった。
「小学生の劇団に入れさせたり、週四で歌のレッスンをさせたり? 今思えばほぼ迷走に近かったね。本人も女優を目指してれば良かったんだけど」
「違ったんだ」
「人からごり押しされるとダメなタイプだったんだよね、姉ちゃんは。当然というか、最終的に壊れたよ。レッスンから帰って来たと思いきや、『もう嫌だ、歌のレッスンも劇もやりたくない!』ってギャン泣きして。怖くて泣いたわ」
「それは子供なら誰だって泣くよ」
「食卓の角に額ガンガン打ち付けて、ハリー・ポッターみたいに何年経っても残る傷作ってた。生きてれば多分、今でも残ってるわ。かわいい顔してたのに、気の毒だよな」
千歳は呆れたようにつぶやいた。
「最終的に、常識人の父親が『もう大丈夫、歌も劇団もやめよう』って言ったら、あろうことか母親逆切れ。『今は疲れててスランプになってるだけなの。これを乗り越えれば大丈夫なんだから』とか。狂ってるよな、自分の娘が壊れるほど嫌だって言ってんのに」
今でいう「毒親」だ。
「あんまりにも姉ちゃんが可哀そうだったから『パパの言う通りだよ、もうやめさせてあげなよ』って言ったら『あんたは口出ししなくていいの』って睨まれた。あれ以来母親は嫌い」
「大変だったんだな」
「で、離婚。姉ちゃんは父さんが引き取って、当時の姉ちゃん的にはある意味ハッピーエンド。あたしは演技の才能も何もなかったから、母親との生活も問題なかったけどねー。才能ないっていうのが逆に幸せっていう皮肉。今は、しがない工場勤務ですわ」
「お姉さんとはもう会ってないの?」
「小学校卒業するまでは何度か会ってたけどそれからは音信不通。どこで何してるやら」
「電話とかは?」
「家電も電話もダメ」
じゃあ、携帯も住所も変わったということか。
「そうなんだろ。今度、お前の番」
にやにやしながら、真っ白い指で僕を指さした。
「身の上話タイムあたしだけじゃ不公平だろ、普段何して生きてんの?」
「……俳優目指して所属してる劇団で稽古しながら、フリーター」
「うちの姉ちゃんのもしかしたらあったかもしれない未来か」
「お姉さんほどの天性の才能はないと思うけど」
「フリーターって、どこで働いてんの?」
「秋葉原のカフェ」
「夢追い人か、悪くないじゃん」
悪くない、というのがどういう視点からの評価だったのかは、不明。
「あの本見つけて幸運がもらえるんだったら、主役が欲しいとか、映画デビューとか?」
「そういうのは別にいいよ。努力で勝ち取るものだし。あのさ、さっきはごめん」
「何が?」
「……幸運なんかあの本にはない、とか言って」
「はは、めっちゃ気にしいだな」
「気にするよ。君の事情、何も知らないで偉そうに」
「さすがは俳優の卵、想像力と感受性豊か」
そういう問題?
「本はともかく、お姉さん見つかるといいな」
千歳はちらりと僕を見て「うん」と頷いた。
「信じてるから、本も多分見つかるっしょ。サンタクロースと同じだよ。信じてる子には来る」
なぜかそれで納得できてしまう。
「帰り都営線?」
「違うけど」
「了解、ここで解散」
「えっ」
「もう駅だから」
確かに、目の前は都営線神保町駅だけども。
「また来月」
「嘘、二回目もあり?」
「日取りとかは連絡するわ、じゃ」
手を振った千歳は改札へ続く階段を降りて行った。
「あんまりこういうこと聞かない方がいいかと思うんですけど」と、レジを担当していた男性店員が声をかけてきたのは、セックス・ピストルズとミューズのCD二枚の会計をしているときだった。
長い古書店巡りも終わり、千歳と別れた僕は、CD百円の棚がある古書店になんとか戻れた。閉店ギリギリだったけど。
「何ですか?」
「さっき、お連れの方と来てましたよね? ピストルズのアナーキーなパーカー着てた人」
千歳のことか。
「お二人とも探してるんですか。『備忘録』でしたっけ」
「……はい」
改めて人から聞かれると恥ずかしくなる。
「すみません、変なこと聞いて。お二人が話してるの聞こえて、探してるのかなって。最近はそういう人も減ってきたと思ってたので、珍しいなと思って覚えてたんです」
「『備忘録』目的の人、多かったんですか?」
「それはもう。流行ってるときはかなりいましたよ。今はもうほとんどいませんけど」
「流行りのピークは過ぎても、諦めの悪い何人かは残りますからね」
「確かに、まだ見つかってますもんね。まだ探してるお二人はマイノリティってことか。かっこいいですね」
黒色の頭頂だけ緑に染めたビリー・アイリッシュと同じ髪色の店員は、ニヒルな笑みを浮かべた。
「かっこいい?」
「まわりに流されない強さを感じます」
「はは。それは、どうでしょう」
「オレ、結構こういうの当たるんですよ」
すっかり暗くなって、入口の照明に明かりが灯った店中に僕たちの笑い声が響いた。
ミュージシャンという二足の草鞋を履いている新藤というその店員と僕は、音楽仲間として話が合ったこともあって、プライベートで何度か会うようになった。
「それ、写真が入ってるやつ?」
新藤はいつも、金鎖に繋がれたロケットペンダントを首から提げていた。収録が終わった新藤と落ち合わせた原宿周辺の公園で「ザ・マスタープラン」のアコースティックの弾き語りを聴かせてもらったその日も。
「……ああ、これか。そうだよ」
折りたたまれたモチーフの中に、切り抜いた写真が入れられるアイテム。
「誰の写真入ってるの?」
「友達。見たいか?」
「見たい」
「見せてやらない」
「減るもんじゃあるまいし」
「いや、減るよ」
「そうなの?」
新藤はいたずらっ子のように笑って、直前まで歌っていたオアシスの名曲のコーラスをまた歌った。
新藤が働く、二階でコーヒーが飲める古本屋には、そのときの客は僕たちしかいなかった。
「今日は新藤いないのかな」
ほぼ毎日シフトに入っていると聞いていたのに、彼の姿はなかった。
「誰?」
顔をしかめる千歳。そういえば、この店で働いてる新藤とプライベートでも会ってるってことは言ってなかったな。
「新藤くんのお知り合いですかー?」
店奥の岩波文庫コーナーの品出しをしていた女性店員が振り向く。人のよさそうな笑顔を見せてくれる人だった。
「残念でしたねえ、お昼ぐらいにここにあったストーンズの本買ってすぐ帰っちゃいましたよ」
入口近くの本棚を示す店員。「ビートルズ」「デヴィッド・ボウイ」などの単語が入った本がずらりと並ぶ。ブリティッシュ・ロックのコーナーらしい。
「彼、好きですよね、こういうの。ギターもやってるみたいだし」
よく喋る店員さんだ。
「毎月この日は休むんですよ。接客も上手いし、毎日入ってほしいんですけどね」
「何かあるんですかね」
「何にもなかったら休まないだろ」
脇から千歳の鋭いつっこみ。
「何があるのかはよくわからないですけど……」と女性店員は首を捻った。
「大切な人に会いに行く、みたいなことを聞いたことはありますね」
「大切な人?」
忙しくてその日しか恋人と会えないとかだろうか。
「彼に会いたければこの日の午後以外に来てください」
それ以外だったら大体いますから、と女性店員は苦笑いした。千歳は、何かぶつぶつと言いながら本棚を眺めていた。
「なあ、もしかしてあれじゃね?」
千歳は入口入ってすぐにある本棚の上部を指さした。
「……嘘だろ」
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