正体不明

「──あはははははははっ!」


 哄笑。玉座の間に反響した。酷く不吉なその響きに、竜が思わず振り向く。

 サナも、激痛で歪む視界の中で、哄笑の主を見つめた。

 威志だった。

 背筋だけで飛んで立ち上がり、軽快にステップを踏んでいる。


「いよう。隠れんぼは楽しいかい?」

『何を。いや、なぜ『痛み』が』

「何か言ってるか? 聞こえない。まあ予想はつくさ。俺には痛みはない。感じない。見えない。聞こえない。ただひとつだけ、区別出来るのは──」


 威志。否、あれは威志ではない。サナは思った。威志の体を借りた何かが、突如走り出した。

 走りながら、何かを拾い上げる。竜の爪だった。竜が腕を焼き切った時、剥がれた爪だった。

 勢いのまま、威志だった何かが竜の胴体に飛びつく。


『何を』

「ほら、お前の命の残滓を、返しに来たぜ」


 威志だった何かが竜の胴に爪を突き立て、引き下ろした。


「あはははははははっ、ひいひぃい!」


 血が吹き上がる。竜の血を全身に浴びながら、威志だった何かがむせながらも哄笑を続ける。

 竜が咆哮を上げた。残った腕を振り上げる。

 その腕に、無数の赤い槍が突き刺さり、動きを止める。


 イェルマリドだった。サナと同じく倒れたまま、それでも震える手を伸ばし、噴き出した竜の血で血槍を作り出した。

 竜がイェルマリドを睨む。イェルマリドが声にならない叫びを上げ、海老のように体を反らす。


『我が権能は健在。ならば何故』

「俺には痛みなんぞない。何もない。だけどなあ」


 威志だった何かが、傷口に腕を突っ込む。


「命の光ってやつは、視れるんだぜ!」


 竜の体から、再度血と脂肪と肉が溢れ出す。威志だった何かが腕を引き抜く。その手に握っていたのは──。


 腕だった。そのまま引き抜く。竜の体の中から、威志と同じ位の少年が飛び出してきた。

 引き抜いたままの勢いで、少年を床の上に投げ飛ばす。

 少年が抜けた途端、竜がどうと倒れた。衝撃で玉座の間が揺れる。


「ああ、そうか。こいつはお前じゃなくて、お前が乗っ取っていた竜の命の残滓か」


 威志だった何かが、竜の爪を放り出すと、少年の頭を踏みつける。

 少年が頭から血を流し、か細い悲鳴を上げた。

 目に血が入ったのか、両手で顔をおさえている。その指の間から、流れた血が滴っていた。

 少年は細身の威志と比べても痩せていて肌も青白い。いかにも弱々しい体躯だった。


 ──これが、魔王?


 しかし、自身の瞳はその少年を魔王と認識している。サナは混乱した。そしていつの間にか、痛みが消えていることに気付いた。しかし、神経が寸断されたように手足の痺れは取れていない。


「あの竜、光に揺らぎがないな。心をぶっこわされたか。なるほど、痛みで精神を破壊して中に潜んでいた感じ?」


 威志だった何かが竜の方を見やる。


「何で、何で効かないんだよ!」

「さて、どうしようかねえ……ん?」


 少年の叫びを無視してつぶやいていた威志だった何かが、こちらに目を向ける。

 ぞっとした。


 その目は、闇だった。


 何も映らない。光も反射しない。底の無い穴のような瞳だった。直視されたら、失神していたかもしれない。

 だが、威志だった何かが見やったのはサナではない。

 イェルマリドだった。

 足を引きずり、威志だった何かと倒れる少年の許へと向かう。


「その光は……ああ、この世界の魔女さんかい」

「そいつが、魔王」

「みたいだなあ、おい」

「何で、何で皆。僕を放っておいてくれないんだ」


 少年が呻きながら、泣きながらつぶやいた。


「せっかく、隠れていたのに」

「ん、何か言ってる? 光が揺れてる。何か言い訳してる?」

「あんた」


 イェルマリドが尋ねた。底冷えのする声で。韜晦した雰囲気は消え去っていた。


「あの配下は、あんたの命令で」

「知らないよ!」


 少年が叫んだ。


「勝手に貢物とか持ってきて」

「あんたはどうしたんだ」

「知らないよ! 僕をいじめる奴らはみんな『痛み』で殺した。残った他の奴らが、勝手に盛り上がって」

「それで放置して、この世界は滅茶苦茶だ」


 イェルマリドが少年を見下ろす。威志だった何かが、おどけるように足を引いた。


「おっと、光が強い。怖い怖い」

「嫌だ。怖い。殺さないで」

「うるさい」


 イェルマリドの手に赤い刃が生み出される。彼女自身の血で生成した、それは剣だった。赤い剣をイェルマリドが振り上げる。

 少年は怯え震えるばかりだった。顔をおさえ『痛み』を使うことすら忘れてしまったように。

 威志だった何かに権能を破られ、少年自身の心が壊れてしまったのか。


 鮮血が、飛び散った。

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