第13話 恥の在処
私はお腹を甘いもので満たしたので、そのまま図書室へと向かう事にした。
というのも、ディオンルーク様が水質汚染を気に留めていたのが気になったのだ。
庶民には幸いな事に知る権利はある。
図書館への出入りも、昔は女性は禁止されていたと聞くし、今も称賛はされない。
女性が知恵を持つと碌なことにならない、などという輩もいる。
そんな奴は猛獣に食われてしまえばいい。
誰でも学ぶ権利も、知識を蓄える権利もあっていいと思う。
それは理不尽から己を守る盾になり、議論で相手を切り伏せる剣になるからだ。
だからこそ、持たせたくないという気持ちは分かるけれど。
でも、妻にするならどうだろうか?
自分が細部まで面倒を見なくても、領地を発展させる妻。
領地の事は知らず、ただ社交と女の嗜みを守って生きる妻。
どちらを得たいかは人によるだろうけれど、後者を選んで良いのは自身が優秀な者だけだ。
社交での交流や人脈を広げる手腕も、知恵がなければ難しい。
度量のない夫に娶られた知恵の無い妻は、ただ凋落を共にする哀れな存在となってしまう。
己の運命を丸ごと他人に委ねるなんて怖過ぎる。
私はそんな博打は打ちたくない。
あ、その前に相手すらいないけど!
妹の婚約者のローガンは、大らかで腕っぷしは強いし、誰とでもすぐ仲良くなれる男性だ。
ミリーも社交的でしっかりものだから、二人は明るい家庭を築いて、周囲の人々にも愛されるだろう。
だから私は、自分の面倒だけみればいいのだ。
長女だけど、商会は妹が継ぐものだと思っていたし、そうしたいとも思っていた。
母が絶対に妹に継がせる気なのも分かっていたし、父が私を選んだとて、事あるごとに嫌味を言われることになった筈。
仕事が大変なのに、いちいち身内である母親に揚げ足を取られていたら面倒。
それなら私は裏方に回って、妹の手伝いをする方が気が楽だ。
でも今は。
全く新しい未来になるかもしれない、という希望がある。
侯爵家の使用人になる事だ。
私は治水に関わる本や都市の運営についての本を読むことにした。
集中して読んでいると、柔らかい女性の声がして現実に引き戻される。
「あら?今日も来ていたのね?」
「あ、侯爵夫人。気づかずに、失礼を致しました」
慌てて立ち上がって淑女の礼を執ると、侯爵夫人は私の読んでいた本をちらりと見る。
それから、私に視線を戻して微笑んだ。
「ディオンルークとのお茶会はどうでしたかしら?」
「はい。今日のお菓子もとても美味しかったです!」
色とりどりで種類も豊富な菓子を思い出して、私はにっこりした。
どれも美味しかったのだ。
ほほほ、と侯爵夫人が声を上げて笑う。
後ろの家令や侍女が目を丸くしたのは、きっとこの方がこんな風に笑うのが珍しいのだろう。
「アリーは面白いこと。ディオンの様子はどうでした?」
ああ、もしかして。
アデリーナ様の愛称も私と同じ、アリーだったのかしら?
問い直すのも無粋な気がして、私は言われたことについて答える。
「そうですね。とても真面目そうなお人柄でお優しくて、町の水質汚染について疑問を呈してらっしゃいました」
「……水質汚染、そう……その話は貴女が?」
「はい。お茶会で話題にする内容ではないとわたくしも思うのですが、質問にうまく答えられずに、そういった話になってしまい……でも、そんなわたくしの不手際もディオンルーク様は笑って許してくださいました」
思い出しながら答えると、侯爵夫人は机の上の本に手を伸ばして表紙を見た。
「ああ、ですからこの本でしたのね。でも何故貴女が?」
「また、ご質問を頂いた時に、何も答えられないのは恥ずかしいので、学んでおこうと思いまして」
水質汚染をどうにか出来る庶民はいない。
たとえ知識があったとしても、その権限がないからだ。
悪化したら役所に苦情を言いもするし、酷ければ暴動にもなる。
けれど、この国の王都はまだマシな部類だろう。
少なくとも庶民にも綺麗な生活用水は与えられているからだ。
水道は全てに普及してないけれど、水路がある。
ところどころに区切られた水場から、人々は水を汲んでいく。
水路を汚さないように、道端の流れにはきちんと蓋も被せられていた。
その他の大きな運河は、使われない水と生活排水の流れる場所で、生活排水だけならそこまで酷い汚れ方はしない。
トイレは下水に流れるからだ。
だが、その下水はそのまま商工業排水と共に川へと合流する。
「そう……貴女の恥は、そういうところにあるのね」
「あ……いえ、あの、きちんと着替えねばならないという部分でも、恥ずかしい事だと感じておりますし、お借りしたものもすぐお返しに参ります所存でございました」
侯爵夫人の呟きに、私は必死に頭を下げた。
数時間前の事を反省していないと思われたら嫌だったのだ。
もちろん、ちゃんと、反省しています!
晩餐にもきちんと、晩餐用のドレスを、着たいと思っています!
私の言葉にハッとした侯爵夫人は、くすりと優しく微笑む。
「ええ、いいのよ。嫌味を言ったのではないの。今日の晩餐には夫も参加しますから、そのまま宝石達は使って頂戴。ドレスも、合うものを部屋に運ばせるわ」
えっ?
「えっ?ドレスまで……!?」
言われてみれば、私の悲しい既製品ドレスと侯爵夫人の宝石類では釣り合いが取れていない。
私の身体の上で小さな格差社会が生まれている。
暴動が起きてしまう。
遠慮を瞬時に諦めた私は、大人しくその申し出を受ける事にしたのである。
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