第10話 淑女失格だけど、焼き立てクッキーは正義です
伯爵家では朝食は自由な時間に勝手に食べるという形だったが、試験の間だけなのか侯爵家の仕来りなのか、皆で集まってから食べるらしい。
食事も、取り分ける訳ではなくて皿に載せられて運ばれて来た。
サラダに卵にベーコン、焼きたてのパンに、果実水。
あっ、このレタス、私が剥いてちぎったんですよ。
皆がもぐもぐと口に入れるのを楽しんで見つめる。
しゃくしゃくと新鮮なレタスを噛みしめた。
野菜だけなのに、美味しい。
上にかかっているソースのおかげでもあるけど。
チーズを削ったものも振りかけてあるのだ。
卵はふっくらと焼き上げてあり、ベーコンはカリカリで香ばしく塩気が美味しい。
私はほっぺに手を添えて、幸せに平らげる。
その日から本格的な侯爵夫人の指導が始まった。
まず、姿勢。
付け焼刃で習ったものの、未熟さは他の人の比ではないと思う。
レオナ様はすぐに合格点を頂いていた。
私は侯爵夫人の指摘通りに、頑張ってはいる。
だが、矯正された姿勢を保つのも、それだけで難しい。
「姿勢が悪いという事は、見た目の美しさすら損なうものですよ」
厳しい言葉に、ハンナ嬢が顔を顰める。
でも、正論だと思う。
幾ら着飾っていても、だらしない姿でいれば、その美は消え失せる。
幼い頃から訓練されてきた淑女でさえ厳しく指導されるのだから、私などは身に着くまで繰り返すのは当然だ。
気を抜いても、崩れる事がないようになるまで、どれ位かかるのかは分からないけれど。
侯爵夫人は元より、レオナ様とマリエ様は群を抜いている。
高位貴族の令嬢と、高位と低位の中間の伯爵令嬢との違いかもしれない。
何も習った事のない私は、殆ど癖が無いのが長所と言えば長所か。
最高の教師を得たと思って頑張ろう。
昼食でも私はもりもりと沢山食べた。
だって、午前中の立ち居振る舞いからダンスまでの指導で体力を使ったので。
これはれっきとした栄養補給である。
加えて今朝も早朝から働いてたもんね!
よく食べる私を、令嬢達は白い目で見るけれど、侯爵夫人は嬉しそうに眺めてくるので、良いのだ。
少なくとも沢山ご飯食べるからという理由で追放されることはなさそう。
お昼ご飯から、お茶会までは休憩、と言われたけれど。
私はふと考えた。
昨日のクッキーは美味しかったな、と。
今、きっと厨房ではお茶会の為のお菓子の準備をしているに違いない。
もしかしてレシピを教えてもらえるのでは!?
私は家令のジョルジュさんを捕まえる事にした。
「あの、わたくし、休憩時間に厨房にお手伝いに入っても?」
「………は」
家令は目をぱしぱしと瞬かせて暫し固まった。
けれど、少し考えてから、頷く。
「お部屋を出入りされる際に使用人服ですとご都合が悪かろうと存じますので、使用人の着替え室で簡素な服にお着替え頂ければ宜しいかと」
「はい、是非!」
流石の気配りに私は大きく頷いた。
そして、今朝案内してくれた下女のミラが着替えを用意して、手伝ってくれる。
「ありがとう。助かったわ」
「いえ、じゃあ、こちらに」
案内されて、私は料理人の仕事を見て、手伝いをする。
粉を振るったり、混ぜたり。
そして、材料にどんな物を使っているのか、火加減は、などときちんと教えてくれる。
合間に、初めてクッキーを作らせて貰った。
流石に家でも、お菓子は作った事がない。
忙しくて、そんな時間は取れなかったからだ。
料理は毎日食べる物、日々の営みだけど、お菓子は嗜好品なので違う。
安くて日持ちが良いものを、購入して食べていた。
普段は甘みのある乾燥した果実か、それらを使用した焼き菓子やパンというところだ。
砂糖や高級小麦粉、バターをたっぷり使ったクッキー。
温かみのあるそれを食べてみると。
「美味しい!!」
周囲の調理人や下女達も皆笑顔になった。
「どうかしら?味見をしてくれる?」
配って回れば、笑顔で受け取って皆が食べ始めた。
口々に美味しいと言ってくれて、私も満足する。
そりゃあ、材料が良いし、焼き立ては最高ですからね!
でも、折角だから奥様に差し上げたい。
「このクッキー、奥様のお口に合うと思う?」
調理人に聞くと、笑顔で料理長が頷いた。
「必ず。生焼けでない事は俺も確認しましたし、問題ありません」
「じゃ、じゃあジョルジュさんに確認して、渡して頂くわね!皆さん有難うございました」
もうすぐお茶会の時間だ。
私も向かわなくてはいけない。
その前に温かいままのクッキーをお渡し出来たら。
私から赴く前に、着替えている間に誰かが呼んでおいてくれたらしい家令は、綺麗な布に包まれたクッキーを私が持っているのを見て、涙ぐんだ。
「ご案内致します」
「お願いします」
庭に面した一階の奥の部屋に連れて行かれて、侯爵夫人の私室へと踏み入る。
とても上品な落ち着いた部屋で、侯爵夫人は優雅にお茶を飲んでいた。
「まあ、どうしたの?もうすぐお茶会の時間よ?」
それでも嬉しそうに侯爵夫人は笑顔を浮かべた。
何も知らされてないみたい。
途端に私は緊張した。
「あ、あの、これ、わたくしが焼いたクッキーです。是非、お口汚しかもしれませんが、召しあがって頂ければと」
ずいっと布にくるまったクッキーを差し出せば、侯爵夫人は目を丸くした。
そして、優しい笑みのまま、小首を傾げる。
「わたくしに?」
「はい。あの、料理長から生焼けじゃないと、太鼓判も押してもらったので、お腹は下さないかと!」
自分で言っていて、それ誉め言葉になってない!と絶望する。
美味しいと誉めて貰ったというべきだった。
でも、侯爵夫人は躊躇なく、クッキーを一つ手に取ってぱくりと口に入れて咀嚼する。
こんな時だが、その所作もとても優美で美しい。
流石、元王女様である。
「ええ、美味しいわ。ありがとう、アリーナ嬢」
「あの、はい!では残りは此処に置かせて頂きますね!」
小さなテーブルに包みを置くと、私は習った事を思い出しながら淑女の礼を執る。
そのまま、お茶会に向かおうと思いながら顔を上げると、侯爵夫人がす、と立ち上がった。
「少しお待ちなさい」
「あ、はい」
何か駄目だっただろうか?と心配になりながら見上げるが、侯爵夫人は侍女に命じていた。
「飾り物の箱を持ってきて」
「畏まりました」
恭しく侍女達が頭を下げて、手に手に美しい箱を持ってきて、大きな机に並べる。
何だろう?
これから何が始まるんだろう?
侯爵夫人のファッションショーかな?
私はわくわくとした顔で、見つめていた。
侯爵夫人は、私をちらりと見て微笑んでから、薄い青の宝石をあしらった耳飾りに首飾り、髪飾りを手に取る。
「さ、そこにお座りなさい」
「はい」
動作に気を付け乍ら、私は丁寧に腰かける。
「これを着けてあげて頂戴」
「畏まりました」
侍女達がそれぞれ飾りを持って、私に装着していく。
ここここれは!?
「あの、……えっ?」
「朝と同じ服ではきっと何か言われるでしょう。せめてこれくらいは飾らないと」
「……あっ……申し訳ございません。逆にお気遣い頂いて……」
全然厳しくない!
寧ろ私が迷惑をかけまくっている!
能天気にクッキーを焼いて、着替えもせずにのこのこと茶会に出ようとしてるとか、失格……!
「いいのよ。さ、行ってらっしゃい」
「はい。行って参ります」
今まで着けたことのない位、高価な宝石だろう。
恐ろしくて手を触れるのも憚られるが、きっとこれは屋敷が1つポンと買える金額だ。
その位は私でも分かった。
嫌味を言われ、虐められたとしてもこの宝だけは死守しなくてはいけない。
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