第9話 このお屋敷で働きたい
習慣通りに夜明けと共に目が覚めて、自分で身支度を整える。
貴族の家は、各部屋に水道が通っているから楽でいい。
庶民はまず、水場から水を運ぶ事から一日が始まる。
私の家はまだ、裕福な商家だったので、水道は使えたのだが。
水を汲んで、家にある水がめに貯める。
それだけでどれだけ重労働だろう。
髪を結んで、お仕着せに着替えた私は、別館を一周してから本館へと向かう。
伯爵家と違って、庭が広い。
吹き抜ける風も若干冷たく感じる。
朝露に濡れた草を踏みしめて、人々が働いている勝手口に行くと、私の荷物を運んでくれた従僕に出くわしてしまった。
「あっ」
「えっ」
先に声を上げられて、私も思わず声を上げる。
「昨日、荷物を運んでくださりましたね?」
「はい。ロードと申します」
とりあえず不審者じゃないという主張をしようと会話を切り出すと、ロードは自己紹介をしてくれた。
そして不思議そうに、聞き返してくる。
「何故、その様なお姿で……?」
ですよね!
私は再び、不審者ではないですよ、という主張を精一杯始める。
「あの……習慣というか、働きたいと思って、何か、お手伝いは無いかと……朝の間だけでも」
「じゃあ、少し待っていて下さい。此処を動かないで」
真剣な眼差しで言われて、私はこくこくと頷いた。
ロードは、さっと屋敷の中に姿を消し、暫くして家令を伴って戻ってきた。
あちゃー。
これは、断られるやつですね。
「働きたい、とお伺いしましたが」
あれ?
いける?
私は慌てて姿勢を正した。
「そうなんです。あの、ええと……」
従僕に目をやると、従僕は頭を掻いて一歩下がった。
「俺は皆に伝えてくるんで、先行きますね」
「うむ」
何を伝えるのか分からないけど、そう言って去っていく。
それについて家令は重々しく頷いただけだった。
「……私、思ったんです。多分選ばれるなんて事は起きないので、もし良かったらここで働けたらなあ、と。侯爵夫人があんな風に喜んでくださるなら、使用人としてお仕えするのも良いのではないかと……」
そこまで言って、顔を上げて家令を見て私はギョッとした。
泣いている。
「……そっ………そんっ……」
何かを言いかけて嗚咽しながら口を押さえて、泣いている。
え?
大丈夫かな?
「あの、大丈夫ですか?ゆっくり呼吸しましょう」
背中を撫でさすると、頷きながら家令はすーはーと大きく呼吸を繰り返した。
ああ、そうか。
きっとこの人はアデリーナ様を生まれた頃から見守ってきたのだ。
この人もきっと、辛い思いをしてきたのは同じで。
「お気遣い頂き……お話は分かりました。朝の間だけという事で、調理場にはお伝えしております。それから、奥様の事もお考え頂いたこと、誠に感謝致します」
深々と頭を下げられて、私は慌てて手を振った。
「いえ、そんな。勝手な申し出ですから。あの、差し出がましいとは思いますが、兎に角お仕事の邪魔にはならないように頑張りますので」
「はい」
家令はそのまま、勝手口の入り口で別れた。
中に入れば、一瞬皆の視線が集まったものの、下女の一人が私の案内役を務めてくれる。
「アリーナ様、これからよろしくお願いします」
「こちらこそ!様は付けなくて良いですよ」
「それは、申し訳ないですけど、先に家令のジョルジュさんから禁じられているので」
先手を打たれていたので、私は潔く諦めた。
「でも敬語に慣れていない者もいるのでお目こぼし頂ければと」
「全然大丈夫です!」
そりゃそうだよね。
だって、下男と下女はそもそも主人達の前に顔は出さない。
小間使いと従僕は掃除や様々な雑用で出入りするけど、殆ど言葉は交わさないし、主人に付く侍従や侍女はそもそもが貴族出身なので、逆に階下の使用人達とそこまで深い交流も無いのだ。
私は下女のミラと一緒に、野菜を洗ったり剥いたりと下働きをこなしていく。
そんな下男下女と、後から食事に訪れた小間使いや従僕も、私を見て微妙な反応をするものの、特に何も言われることはなかった。
それでもやはり、敵意とか侮蔑といった嫌な感じはしないので、私は楽しく働いて時間を終える。
働き終わって朝食の準備が整ったので、私も部屋へと戻ろうとしたのだが。
渡り廊下で向こうから令嬢が姿を現したので慌てて身体を回れ右する。
これはまずい。
さすがに、仲間?候補者たちに見られたら、色々問題になりそう。
仕方がないので、別館の裏口に回り込んで、こっそりと部屋に戻る。
最初に別館の周囲を探検しておいて良かった。
別館の中に入ってしまえば、部屋に入るだけでいいので楽勝だ。
私はロンナに手伝ってもらって、日常用のドレスに着替えて朝食へと向かう。
朝食には侯爵夫人も、令嬢達も揃っていた。
「随分お早いのね」
嫌味を言ってきたのは、マリエ様だ。
確かに、遅れたのは事実なので言われても仕方がない。
「申し訳ございません。色々と不慣れなものでして」
明日からは、もう少し早めに切り上げようと私は心の中で決意する。
謝罪をして席に着き、顔を上げると侯爵夫人と目が合った。
目元が赤くて、泣いたのだと分かるお顔をしている。
「さあ、食事に致しましょう」
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