第8話 虐めは始まらなかった
穏やかに晩餐は終わり、私は結局デザートも二皿分戴いた。
紅茶に添えられたクッキーも美味しかったので、お土産に持たされたので、淑女達が呆れた視線を向けてきたのは仕方ない。
私も貰い過ぎで食べ過ぎだと思う。
しかも、侯爵夫人も私を甘やかし過ぎですね。
でも美味しいのだから仕方ない、と開き直って皆と共に別館へと戻る。
その途中、レオナ様が足を止めてくるりと振り返った。
「アリーナさん、ちょっと宜しいかしら?」
「?はい、何でございましょう?」
一緒に足を止めたが、スッとマリエ様はそのまま歩き出し、モニカ嬢もこちらを気にしつつもその後に続いた。
ハンナ嬢とリーディエ嬢はその場に留まって意地悪そうな笑みを浮かべている。
あら?
これはもしかして、物語の様に虐められるのかな?
私は思わず庇う様にクッキーを抱きしめた。
虐められても良いけれど、食べ物に罪は無いもの。
「お二人はどうぞ、先に行っていて」
二人の事を振り返りもせずにレオナ様が冷たくそう言う。
え?
見えてるの?
後ろにも目があるのかな??
言われた二人は肩をびくりと跳ねさせて、すすすっと別館へと移動していった。
「大丈夫でしてよ。貴方からそのクッキーを取り上げたりいたしませんわ」
「い、いえ。そういう訳ではなくて」
取られまいと必死になっていたと思われた。
恥ずかしい。
「宜しければ、お分け致しますよ!遠慮なく仰ってくださいませ」
きっとこのクッキーを分けてほしかったのね?
気づいた私は愛嬌を振り撒くが、レオナ様は首を緩く左右に振った。
え?
違うの?
これではクッキーの押し売りをしたみたいになってしまう。
恥ずかしい。
「お尋ねしたいことがありますの。……侯爵夫人とは面識がおありなの?」
「いいえ?今日、初めてお会い致しましたけど……ああ、でも。図書室で皆様より先にはお目見えしました。特別な事は何も……本を自由に見ても良いと許可を得ただけです」
言いかけて、止めた。
アデリーナ様の事は私が触れて良い問題ではない。
それに、私も侯爵夫人から呼ばれただけで、事情を知ったわけではないのだ。
あの貴婦人が涙を浮かべるほどなのだから、余程悲しい思い出なのには違いない。
「そう。貴方に聞いても仕方がなかったようね」
ふと、レオナ様が切れ長な美しい目を庭に向けた。
あっさりと言われて、いじめもなく。
私は少し背の高いレオナ様を見上げた。
その姿が何だか寂しそうで。
「わたくしで良ければ、お話をお聞きいたしますよ?」
「………そう、有難う。でも、いいわ」
少しだけ優しく微笑んで、レオナ様は美しい黒髪を揺らして別館へと身体を向ける。
「お時間を取らせたわね。戻りましょう」
「はい」
部屋に戻ると、ロンナがぱりっと新しいお仕着せを着ている。
「ロンナ、そのお仕着せは?」
「侯爵家の物をお借りしています。今日支給されました」
何か言う前に、ロンナはさっさと私の背後に回ってドレスを脱がす手伝いを始めてくれた。
ふむ、と私は考える。
ロンナと私はちょうど、同じくらいの背格好だ。
「明日の朝、ロンナの古い方のお仕着せを借りていい?」
「ここでもまた働かれるおつもりですか?」
「ええ、そうなの。楽しそうでしょう?」
呆れたようなため息が返ってくる。
まあ、そうか。
楽な仕事ではない。
自分の大事な仕事を、遊びの様に言われたら気分も悪いかもしれない。
「気分を害したなら謝るわ。お土産に貰ったクッキーをあげるから許して頂戴」
「害したのではないです。仕方ないなと思っただけで」
本当に、そう、仕方ないな、という顔でロンナが微笑んでいる。
優しいお姉さんみたいで、私も笑み返した。
「じゃあ、今日頑張ったご褒美に二人で食べましょう」
「お嬢様は食べ過ぎではないですか?」
ぐ!
それを言われると、辛い。
確かに、そう。
「きょ、今日はいいの、今日は。ほら、美味しいのよ」
「そうでしょうけど……」
渋々とロンナは向かいに座り、二人でクッキーを頬張る。
たっぷりと使われたバターと、細かく砕かれたナッツが美味しい。
ふわっとした触感に、ナッツのザクザクした歯触りが良いのだ。
「これは……とても美味しいですね!」
ロンナの頬が赤く染まって、早速二つ目に手を伸ばすのを見て私は微笑んだ。
私達庶民にとって、砂糖は貴重品である。
お菓子を食べる事は不可能ではないが、上質な材料を使った上質の菓子を口に入れるのは難しい。
貴族街にある高級店には、主人に買い物を頼まれた使用人は入れても、庶民は門前払いだ。
使用人も使用人用の入り口に通されるのが普通で。
だから、この贅沢なクッキーは本当に私達にとってはご褒美だ。
夜更けのご褒美クッキーを終えて、備え付けの風呂を浴びた後で柔らかい布団に包まれた。
目を閉じながら思う。
明日もクッキー貰えたらいいな。
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