温泉療養

第22話 病み上がりの明、山を登らされる

 レミアが勧める温泉は山の中にあるらしい。いわゆる秘湯で、一部の人にしか知られていないとか何とか。効能は確かで、余命宣言を受けた人でも回復したと言う話もあるのだそうだ。


「私は精霊に教えてもらったんだ。その時も急病人がいてね。薬を飲ませても病状は変わらなかった。そこで精霊に助言を求めたら、温泉に行けって言われたんだ……」


 それはレミアがまだ少女だった頃の話。まだ独学で魔法を学び始めていた頃に起こった出来事なのだとか。その頃はまだ転移魔法を使えなかったら、仕方なくその人を台車に乗せて、協力者と共に山の中を進んでいったらしい。

 けれど一向に辿り着けず、迷いに迷って途方に暮れたところで同じ温泉に向かう人に出会って何とか到着したのだそうだ。


「思えばあの人は精霊の使いだったのだろうな。気がつくといなくなっていた」


 そんな大魔女の話を聞きながら、明は出かける準備をする。食欲がないので朝食はキャンセル。その代わり、レミアからゼリー飲料のようなものを渡される。飲んでみると中身もゼリー飲料みたいで、スーッと体に栄養が染み込んでいくみたいだった。


「その温泉へは当然転移で一瞬ですよね?」

「いや、あの辺りの気配を病人が突然浴びるのは体に良くない。転移座標は山のふもとだな」

「えーっ? 歩きィ? 僕まだ病み上がりなんだけどォ……」

「レミア様に文句言うな! オレが支えてやっから」


 クロ子に怒鳴られ、明は仕方なくそのプランを受け入れる。荷物は大魔女の魔法空間アイテムボックスに収納して、早速一行はその秘湯に向けて出発した。

 転移は無事に成功し、明は目の前にそびえ立つ山を見て絶句する。


「マジかよ……。ここを? 登る?」


 山の頂上は雲に隠れて見えない。山肌には木々が鬱蒼と茂っていて、進む先の困難さを暗示していた。よく人が登る山ではないらしく、舗装された道のようなものも見られない。山自体のスケールも大きく、両端は顔を左右に動かしても目に届かなかった。目的地の温泉の位置は分からないものの、麓からかなり歩かなければいけない事はひと目で分かる。

 あまりの大きさに明がビビっていると、レミアが覗き込んできた。


「明、体調はどうだ?」

「ダルいよ。体も重い」

「ヨシ! 行こうか」

「えっ……」


 彼の言葉はまるっとスルーされ、前途多難な登山が始まる。今回の目的は修行ではないので、先を歩く大魔女が野獣避けの魔法をかけてくれた。


「これで安心して歩けるだろう」

「もしかして、今までも?」

「ああ、出現率は調整していたぞ。変異イタチは想定外だったがな」

「そう言う事かぁ」


 思わぬところでエンカウント率のネタバレを食らって、明はため息を吐き出す。何もかもが大魔女の手のひらの上だと感じた彼の足取りはかなり重くなった。

 山肌は以前歩いた林に傾斜がついた感じでそこまで難度が高い訳ではなかったものの、精神的に弱った明の足は何度も地上に顔を出している木の根に引っかかる。


「おぅわっ!」

「危ねえ!」


 転けそうになったところでクロ子が支える。今日の彼女は明のケアマネージャーだ。口の悪さはいつもと変わらないものの、放置気味な普段とのギャップに彼は戸惑う。


「ごめん」

「謝まんなよ。今のオメェは病人じゃんか。もっと頼れ」

「ありがと」

「ったく、調子狂うぜ」


 クロ子に肩を抱かれて、明はゆっくりと山を登っていく。先行するレミアも1人で先行して進む事もなく、明達の進みに合わせてくれていた。

 どんどん登ってくと、木々の発する微細な物質なのかオーラなのか、とにかく空気の質が変わっていくのが明にも感じ取れるようになってくる。普段ならちょっと濃い匂いを感じるくらいの変化なのだけれど、病んだ彼の感覚は鋭敏になっており、この気配を意識した途端に吐き気がやってきた。


「オロロロロロ……」

「きったね! 何吐いてんだ!」

「ごめん、気持ち悪くて」


 口からかつて朝食だったものを大量に戻して、明は足を止める。この行為に引いた黒髪少女は、しかし明の背中を心を込めて丁寧にさすった。


「大丈夫かよ。おんぶしようか?」

「ちょっと休めば大丈夫。それに、クロ子の背中に乗るのは色々な意味でアウトだから」

「なんだそれ。別に気にしなくていいんだぞ」


 少し休んだところで復活した明は登山を再開。山の雰囲気にも少しずつ慣れていき、足取りも軽くなっていった。もう介助は必要ないくらいに歩けるようにまでなったところで、明はクロ子の腕をどけようとする。


「もういいよ。有難う」

「いや、お前まだ調子悪いんだろ。危なっかしいからこのままでいさせろ」

「えぇ……」


 結局明の意思は無視されて、クロ子の補助を受けながらその後も山歩きは続く。目的地の温泉はレミアしか知らないため、明はずっとこのまま歩き続けるんじゃないかと言う妄想に取り憑かれかけていた。


「その温泉、クロ子は知ってんの?」

「いや、この山に登るのも今日が初めてだ」

「使い魔にも知らない事はあるんだな」

「オレがレミア様に見初められて10年しか経ってねえからな」


 そう話すクロ子の顔は少し寂しそうだった。明は何か言葉をかけようとして、それをやめる。何もいい言葉が思い浮かばなかったのだ。

 今のところ、斜面の角度はそんなに高くはない。登っていけばまた違うのだろうけど、まだ人工的な石段の方がキツイくらいだ。


 山には木々や様々な植物が生えていて、苔やきのこ、シダ類などの分かりやすいものや、日本の山では見られない異世界らしい植物も目に入ってくる。見覚えがないようでいて、どこかで見た事もある気もする不思議な感じに明は軽く混乱した。


「アレ、どっかで見た事があるんだけどな」

「ん? エーテル草か? アレは空気中のエーテルを調整しているんだ」


 クロ子が呼ぶそれは、葉っぱが手のような形をしていてその先に短い突起のようなものがびっしりついてる草。その葉っぱが放射状に伸びた茎のそれぞれの先に一枚だけついている。

 その独特な形状をどこで見たのか、明は頭の中に引き出しを漁りまくり、何とかその回答を絞り出した。


「そうだ! ヴォイニッチ手稿!」

「なんだそれ?」

「いや、僕の世界にある誰にも読めない本で、さっきの草みたいなのの絵がいっぱい載ってるんだ。この世界にはあの本のヒントがあるのかも」

「ふぅん」


 クロ子は明の話の全く興味を示さない。なので、この話は自然消滅した。その後もしばらく歩いていると、所々で大きな岩が目に入ってくる。土に埋まっていたり、そのまま地上に置かれていたり。自然にそうなったのか人為的にその場所に設置されたのか――。

 形状的にどう考えても加工したとしか思えない岩もあって、明の目が輝く。

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