第19話 怪獣イタチ

 クロ子の叫び声に、明は顔を正面に戻す。すると、ネズミ達が必死で逃げていた理由、ネズミ達を追っていた存在がついに姿を表した。まだ弓の射程範囲外なのに、この時点で威圧感が半端ない。

 その凶悪な顔、強大な大きさに彼は腰を抜かしそうになる。


「うわああああ! 何だアレェェ!」

「変異イタチだ! オレが合図したらすぐに射て!」

「あ、アレがイタチィィ?」


 クロ子がイタチだと断定したそれは全長が10メートル以上で、巨大獣と言うより怪獣にしか見えなかった。顔も凶悪な化け物じみていて、ネズミ達が逃げていたのにもすぐに納得する。

 明は今の自分の武器が弓であった事を心の底から感謝した。まだ剣のままだったらまるっきり歯が立たなかっただろう。刃先が届くより先にあの腕を振り下ろされて終わっていただろうから。


「クロ子はああ言うのと戦った事は?」

「いや、初めてだ」

「そうだ、先生は?」


 明が振り返ると、そこにはいつも見守っている大魔女の姿がなかった。絶対の安心材料が消えて、彼の顔から血の気がスーッと引いていく。


「先生、どこに?」

「今はこっちに集中しろ! オレ達は転移魔法を使えない。あれと戦うしかないんだ」

「わ、分かったッ!」


 明は改めて怪獣イタチに弓を向けて狙いを定める。射程範囲に入ってもすぐに射ってはいけない。クロ子の合図で射放つ手筈だ。彼はクロ子を信じて気を張り詰めた。

 イタチの方はネズミ達を追ってるのか、突然現れた敵対者に気付いたのか、その動きからは判別がつかない。ただひたすらに鬼の形相で迫ってくる。一瞬の油断が命取りだ。明にのしかかるプレッシャーは臨界点に達しようとしていた。


「射てぇ!」

「オォォォッ!」


 合図と同時に明は矢を放つ。弓から矢が放たれたタイミングで、クロ子も弾けるように飛び出した。司令塔自身が直接攻撃に移ったので、ここから先は明の自己判断で攻撃しなくてはならない。

 クロ子を援護するため、彼はすぐに次の矢をセットした。


「ニャアアアア!」

「キシャアアア!」


 怪獣イタチとクロ子が邂逅する。敵意を持った敵に自動的に反応するみたいにイタチの腕が猫耳少女に向かって振り下ろされ、そのタイミングで矢が白くて太いフサフサの腕に突き刺さった。


「ギャウッ!」


 矢が刺さった事で攻撃はキャンセル。この矢を外そうとイタチはブンブンと腕を振り回す。その隙を狙ってクロ子は大きくジャンプ。イタチの顔に爪を突き立てて傷を負わせた。


「ギャアアアア!」


 痛がるイタチは二本足で立ち上がる。その高さはやはり10メートルを優に超えていて、威圧感が半端ない。クロ子がすぐにイタチの背後に回り込んでいったので、明はその大きな体に向けて次々に矢を射ちまくった。


「このっ! このっ! このっ!」


 弓での連射は今まで一度もした事がなかったものの、極限状態の彼は自己流でそれを流れるようにこなしていく。手持ちの矢に限りがある事も忘れて。

 普段ならそこそこ外す命中率も、相手の巨大さと精神的なハイ状態による極度の集中でほぼほぼ100発100中の精度を実現させていた。


「グギャアアア!」


 間髪を容れない攻撃にイタチはその場で苦しみ始める。体中から血を流し、叫び声を上げ続けた。明は手応えを感じたものの、その弓の刺さりが浅い事に一抹の不安を覚える。


「もっと強く射らないと……」


 とは言え、明は現時点で目いっぱいまでつるを引いている。つまり、これ以上威力を上げる事は物理的に不可能。そうなると、次は狙う場所を厳選するしかない。急所を狙えば同じ威力でも効果は段違いになるはずだ。

 しかし、狩りの素人の彼はどこがイタチの急所なのかさっぱり見当がつかなかった。


「やっぱり弱点と言えば目かな。でもそんなピンポイントで当てられるかどうか……」

「明、とにかく射て! 動きが止まっている内にオレがとどめを刺す!」


 イタチの背後で攻撃のタイミングをうかがっているクロ子の声を聞いて、明はありったけの矢を放つ。両肩に、首に、胸部に、腹部に、両太ももに、両足に……とにかく狙えるだけ狙いまくった。いくつかの矢は見当違いの方向に飛んでいったものの、その多くは狙い通りの場所に刺さっていく。夢中になって射っていたので、残りの矢がなくなったのにも気付かない。

 ターゲットにされたイタチはと言うと、矢継早に攻撃されたのもあって一歩も動けずにひたすら防御に徹していた。


「ギャワオオオオ!」

「しまった! もう矢がない!」

「任せろ!」


 痛みにのたうち回るイタチの背後で、黒い影が素早く駆け上がる。イタチの頭上5メートルくらいにまで飛び上がったその影は、爪を伸ばした手を大きく振りかざし、落下スピードを味方にして力強く振り下ろした。


「黒猫流奥義、黒雷!」

「グギャアアア!」


 その爪はイタチの頭から下半身まで一気に切り裂いてく。その傷跡はまるで雷のようだ。引き裂き終わってクロ子が地面に着地すると、そのタイミングでイタチは後方に呆気なく倒れる。

 ズウウンと言う大きな音と振動と共に、土埃が派手に舞った。


「勝った!」

「流石クロ子!」

「楽勝だよ」


 勝利の余韻に浸る猫耳少女は、バトルの行く末を見守っていた明に向かってドヤ顔でサムズアップ。やりきったその笑顔に盛大な拍手を贈って彼女を祝福する。それが嬉しかったのか、少女の尻尾が楽しそうに踊っていた。

 ほどなくして、イタチが倒れた時に発生した土埃が消える。すると、そこには何事もなかったように立ち上がった巨大なシルエットがあった。


「クロ子避けて!」

「えっ……」

「キシャアアアッ!」


 クロ子の攻撃で倒れたはずのイタチは、さっきのお返しとばかりに油断した彼女の背後から襲いかかる。その凶悪な爪で一瞬の内に強く殴り飛ばされたクロ子は、呆気なく宙を舞った。


「クロ子ーッ!」


 イタチの一撃を受けた猫耳少女は明の近くに落下する。爪の一撃でかなり深く体をえぐられているのが見えた。血も大量に流れている。気を失った彼女の顔を見た明は、顔を青ざめさせた。

 イタチは自分の爪についた血をペロリと舐めると、次の攻撃対象を見定める。当然、やたらと矢を射ていた少年に敵意は向かった。既に矢を失った明に、この状況をどうにかする術はない。


「あ、これ詰んだ……」


 明は絶望でガタガタ震え出す。イタチは彼に向かって猛ダッシュを始めた。もうクロ子のサポートはない。頼みの綱の大魔女もいない。

 死を意識した明は、何もかもあきらめて何もせずにイタチの姿を見つめる。目をそらさずに、最後の最後まで自分を殺しにくる相手の姿を目に焼き付けた。


「これが僕の運命かぁ……」

「雷龍!」


 背後から聞こえてきた頼もしい声。巨大イタチは明に迫る途中で激しい雷の直撃を受けて一瞬で黒焦げになった。遺体はそのままボロボロと空気中に分解されていく。そうして、今度こそ復活する事はなかった。

 明は振り返ると、自分を救ってくれた救世主に思いっきり抱きつく。


「せんせーい!」

「遅れて済まなかった。まさかイレギュラーが発生するとは……」

「そうだ! クロ子が!」

「ああ、そうだな」


 レミアは倒れている猫耳少女に近付くと、懐から取り出した薬を飲ませる。すると、彼女の体が淡い緑色の光に包まれてみるみる傷を癒やしていった。

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