第16話 林の中のゴブリン達

「大地の精霊、火の精霊、風の精霊、水の精霊……契約者の名により……」

「シルヴィラ、無理をしすぎじゃないか? 君のキャパでこれ以上の強力な魔法行使は寿命を縮めるだけだ」

「……天地のことわりに従い、力の座を空白に、虚数空間に反転する光の……」


 レミアの忠告を無視してシルヴィラは詠唱を続ける。その求めに応じて各精霊の力が彼女に注がれ、大きくうずまき始めた。やがて空気が強く振動し始め、増大する圧力がシルヴィラに体に重くのしかかり始める。

 最初こそ美しい図形を形成していたそれは、彼女の制御出来る容量を超えたところでいびつな歪みを見せ始めた。このままでは、制御しきれなくなった魔法エネルギーが暴走してしまう。


 危険を察知したレミアは、すぐに呪文詠唱中の魔女に向けて杖をかざす。


「いかん! 許せシルヴィ! 風龍!」


 杖から発生した突風は詠唱中のシルヴィラの暴走オーラを全て吹き消し、そればかりか、魔女自身を空の彼方に吹き飛ばしてしまった。


「キャアア! 何故ですのォォォオォォ!」


 絶叫するシルヴィラの姿は、あっと言う間に観戦者達の視界から消えていく。このあまりに呆気ない幕切れに、明はぽかんと大きく口を開けた。


「すげぇ……」

「これが大魔女と2番目の力の差だぜ」

「でもあれ、シルヴィラって魔女は大丈夫なのか?」

「彼女には圧縮空気を付与したから、落下したところでダメージは受けないさ」


 気がつくとレミアは明達のもとに転移していて、自然に2人の会話に参加していた。あまりにスムーズに話の輪に入られたので、すぐにはその違和感に気付かなかったほどだ。


「えっ、先生?」

「明、私の問題に巻き込んですまなかった。じゃあ戻ろうか」


 大魔女は右手を高く掲げ、人差し指で大きく円を描く。指の動きに沿って光の輪が描かれ、円環が閉じたところで自動的に魔法陣が描かれていった。魔法陣が完成したところでその図形は巨大化し、地面に転写される。光の魔法陣が地面に刻まれた瞬間にその効果が発動し、一行は元の座標に戻っていた。

 そのあまりの手際の良さに、明は目をパチクリさせながら口が半開きになる。


「本当に一瞬ですごい。しかも無詠唱だもんなあ。授業で教えてくれたあの座標セットみたいな呪文は心の中で唱えてんすか?」

「覚えたての頃はな。慣れてきたら勘で出来るんだ」

「おお、流石は大魔女様……」


 レミアの言葉に明が感動していると、クロ子が彼の袖を引っ張った。


「ほら、行くぞ。お前はもっと腕を磨け」

「ちょ、1人で歩けるから!」


 こうして、林へ向かう旅は再開される。一行が林の中に入っていくと、早速肌の色が緑色の小鬼が現れた。背の高さは魔法人形とほぼ同じで1メートルくらい。そいつらは30人くらいの団体で遠くから様子をうかがっている。

 そんな小鬼の姿を確認した明は、すぐに隣を歩くクロ子にツッコミを入れた。


「なんだよ。ゴブリンはちゃんとちっちゃいじゃん」

「油断すんなよ。いつ襲ってくるか分からんぞ」

「確かに、ゴブリンと言えば不意打ちのイメージだよな」


 明は剣を鞘から抜くと警戒しながら慎重に歩いていく。ゴブリン達は一定の距離を保ちながらも、決してそれ以上近付こうとはしなかった。


「なんかずっと視線を感じて圧がすごい」

「ゴブリンは残虐だからな。僅かな気の緩みが死を招くぞ」

「何でそんなに脅すんだよ……怖いよ」


 この世界の林もゴブリンも初めての明は、クロ子の言葉に素直な反応を示す。彼女も悪気はないものの、その一言一言が明の精神を強めにえぐっている事については無頓着だった。

 勝手にストレスを感じた明は一歩踏み出す度に疲弊していった。


「林って他の敵は出るの?」

「ああ、獣にも用心が必要だな。特にイノシシや熊は要注意だ」

「まさか、そいつらも?」

「ご明察。あのカエルやらナメクジやらと同じだよ」


 レミアの解説に明は縮み上がる。イノシシとか熊なんて、日本にいた頃から人の手に負えない害獣だった。それが全長3メートルを越えてしまったら、もう勝てる気はしない。

 ゴブリンの他に巨大猛獣にも気をつけなくてはいけないと言う現実に、明の脳はオーバーヒート直前になる。


「でもこれだけ木々が生えてたら、そんな大きい獣は来たらすぐ分かるよね?」

「けど、アイツら突進してくるからな。一瞬で対処しないと大怪我じゃ済まないかもな」

「またそうやって脅すゥ……」

「明、残念だがそれは真実だ。適応してくれ。フォローはする」


 このレミアのトドメの一言に、明の足は止まる。どうやら緊張がピークに達したらしい。恐怖で足が震え、顔面蒼白になり、呼吸も不規則になった。


「もう歩けない。足が動かないよ」

「ここで立ち止まってたら食われておしまいだぞ」

「怖いよ! この剣でどうにか出来るって言うの?」

「戦う前からビビんな! お前はあのカエルやナメクジを倒せたんだぞ! 自信持てよ!」


 クロ子に発破をかけられ、明はまた歩き始めた。一行の存在を認識して追跡してくるのはどうやらゴブリンだけのようだ。まだ奴らが警戒を解かないと言う状況に、だんだん明も慣れてくる。


「ゴブリンって意外と臆病なんだ」

「そりゃ一人ひとりは弱いからな。生きる知恵ってやつだ。けどな、逃げていないって事は、奴らから見て俺達は勝てる相手だと認識されてるって事だ」

「でもクロ子や先生はゴブリンとか楽勝でしょ?」

「バーカ、ゴブリンは最初からお前しか見てねーよ」


 クロ子の忠告に、明はまたガタガタと震え始める。そんな彼の様子を目にしたレミアは振り返ってじっと見つめ返してきた。


「どうする? 戻るかい?」

「えーと……」

「無理しなくていい。もっと腕を磨いて自信をつけてからでもいいんだ」


 レミアの表情が少し寂しそうに見えて、明は歯を食いしばる。


「いえ、このまま行きます。ピンチの時は助けてくれるんでしょう。なら、挑戦します。ここまで来たんだし、少しは経験を積まないと」

「いい心がけだ。成長しているな」


 レミアに褒められ、明は照れ隠しに頭を掻く。その後も林に潜む巨大原生生物が現れるでもなく、徐々に木々の数が少なくなっていく。野原の時と違って真っすぐ歩いていたので、林を抜けてきているようだ。生息域を離れる気のないゴブリンも明の追跡を止めたらしく、彼にのしかかるプレッシャーも小さくなっていく。

 その影響で自然に足取りが軽くなっている明を見て、クロ子が突然立ち止まった。


「じゃあ、また林の中央に戻ろっか」

「ええっ?!」

「何だ? 嫌なのか? これは修行なんだぞ。目的地がある旅じゃないんだ。お前は森の敵を攻略してないじゃんか」

「そ、それはそうだけど……」


 クロ子の追求に明は口ごもる。正論なので反論のしようがない。ただ、現時点で精神的に疲弊しきっていたため、彼の口から黒髪少女の意見に同意する言葉が出る事はなかった。

 この反応に、クロ子は落胆したみたいに大げさに息を吐き出す。


「やっぱまだまだヘタレだな」

「クロ、それ以上はいいだろう。明はもう限界だ」

「ですね!」

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