冒険準備

第6話 魔術協会本部

 翌朝、明は昨日と同じようにクロ子に起こされる。どうやら彼のお目付け役に抜擢されたようだ。他に誰もいない時の彼女は黒猫のままで、前日同様に当然のようにドアをすり抜ける。

 そしてピョンとベッドの上に飛び乗ると、朝日を浴びてもまぶたを上げようとしなかった明の頬を思いっきりひっかいた。


「イテーッ!」

「はよ起きろ寝坊助」

「もっと優しくしてよ」

「オレが来る前に起きてたら考えてやる」


 無理やり起こされた明が体を起こすと、それに合わせてクロ子はベッドから飛び降りた。そうして、ずっと彼をにらむように眺めている。まるで面接官が求職者を観察するみたいに。その眼力は見つめられる者を不安にさせた。


「ちょ、圧が強いんだけど」

「気にせずに支度しな。オレは猫だ。猫に見られても恥ずかしいとかないだろ」

「無理だって」

「繊細なんだな。後で報告しとく」


 その後も明は抗議を続けるものの、その要求が聞き入れられる事はなかった。仕方なく彼はベッドから降りて部屋着に着替える。部屋を出るとクロ子も人の姿になってついてきて、2人で仲良く朝食を食べた。

 並べられた日替わり朝食を口に運びながら、明は今日の予定を尋ねる。


「で? 今日は何すんの?」

「勉強だよ。お前何も知らないだろ」

「ほーん。クロ子が教えてくれるん?」

「いや、レミア様だ」


 クロ子のこの言葉に、明の脳内で女教師姿のレミアのイメージが生成される。メガネをかけた知的な顔でクールに様々な事を教えてくれて、タイトなスカートから魅力的な足がスラっと伸びて――。エロい感じになってしまうのは、彼もまた思春期の健全な少年だから仕方ない。

 妄想がポワポワと膨らんだ明は、顔がだらしなく崩れた。


「キモ……」

「え?」

「レミア様は結構厳しいから覚悟しとけよ」

「えぇ……」


 厳しいと言う言葉で、彼の頭の中のイメージがムチを持ったドSおねーさんに変身する。一問間違える度に彼女からのムチが飛んできて体中がアザだらけになると言うところまで想像してしまった彼は、思わず自分を抱きしめた。

 そんな怖い想像をしてしまったのもあって、明は恐る恐るクロ子に尋ねる。


「あのさ」

「ん?」

「勉強なんて魔法でチョチョイのチョイじゃないの?」

「それは受ける相手に魔力があればの話だ。お前無能じゃんか。楽出来ると思うな」


 微かな望みも辛辣な言葉で粉砕され、明は頭を抱える。どうやらこれから彼に訪れるのは、美女教師と男子生徒のマンツーマンの夢のような教育風景ではなく、間違える度に暴言やら暴力やらが飛んでくるパワハラスパルタ現場になるようだ。


「もうむちゃくちゃだよこの展開」

「食べたらすぐ行くぞ。早く食べろ」

「行きたくない……」

「拒否は許さねえ。オレが一緒にいるのは絶対にお前を連れて行くためだからな」


 クロ子の鋭い視線に射抜かれて、明も覚悟を決める。自分にチートがない以上、1人で生きていく事なんて出来やしない。生き延びるためにも目の前の運命を受け入れるしかないのだ。

 彼はスープを一気に飲み干すと、大きくため息を吐き出した。


「仕方ないかあああ……」

「そいや昨日は知能の検査はしなかったけど、お前頭いいの?」

「別に普通だよ。悪くはないと思う……多分」

「ま、いいや。あんまりレミア様を困らせんなよ」


 そんな感じで話をしている内に朝食を終えた2人は、予定通りに宿を出る。先導するクロ子が昨日と同じルートを歩いていたため、明もすぐに目的地が分かった。


「昨日のビルで勉強するの?」

「ああ、2階でな」

「あのビル、2階3階はどんな感じになってんの?」

「2階は事務室があったり資料室があったり会議室があったりかな。3階は魔法の研究施設になってる。まぁお前が3階に行く事はないだろうな」


 クロ子は得意顔でビルの説明をする。要するにあの施設はこの街の魔女専用の多目的な建物だと言う事らしい。

 登録した魔女なら自由に使う事が出来て、ある程度の実力があれば個室も与えられる。魔法の研究や実践なども行われているのだとか。


「あの魔術協会本部はレミア様が建てたんだ。だから設計思想にレミア様の思想がふんだんに込められてる」

「ふーん。それであんなデザインなんだ」

「何だよ。シンプルでかっこいいだろ?」

「まぁ無個性なのが個性的だな」


 クロ子はレミアの使い魔らしく、彼女の業績を過大評価するきらいがあった。明はそんな自慢話を右から左に流していく。中には大事な話もあったかも知れないけれど、まとめてスルーしたので内容は全く頭に残らなかった。

 彼が適当に相槌を打っている内に、2人は施設に辿り着く。


「なぁ、協会本部って事はこの中に他の魔女もいんの?」

「3階にはいるんじゃないか? 2階より下はあんまり見かけねえ」

「ふぅん……」


 クロ子が入館証みたいなのをかざすと、ドアに魔法陣が浮かんで自動的に開いた。それがこの建物のセキュリティらしい。昨日はそんな手続きをしたかなと明は少し首をひねりながらも、先行するクロ子に続いて建物の中に入っていった。

 建物内には階段もあったものの、彼女は別の方向に歩いていく。着いたのは床に魔方陣が描かれたエリア。クロ子が魔法陣の中に入ったので、明も続く。


「これ何?」

「簡易転移魔法陣」


 彼女が返事を返したそのタイミングで魔法陣が発動。一瞬で目的の部屋のドア前に転移した。このギミックに明は思わず感心する。


「便利だねえ」

「じゃ、行くぞ」


 部屋に入ると、壁に黒板があり、教壇と机と椅子がひと組分あった。部屋の広さは20畳くらいだろうか。やはり余計なものは何ひとつ置いていなかったので、かなり広く見える。

 先生のレミアはまだ来ていないようだ。それが一層寂しさを際立たせていた。


「クロ子はどうすん……」

「オレはここまでが仕事だから帰る。まぁ頑張れよ」

「え、ちょ……」


 困惑する明を置き去りにして、クロ子は猫の姿に戻ると部屋を壁抜けで出ていった。部屋にぽつんと残された彼は、他に誰もいないのをいい事に脱出を試みる。

 けれど、ドアにはいつの間にか鍵がかけられていて、どうやっても開ける事が出来なかった。


「これも魔法かよおおお!」


 明は絶叫するものの、その声は虚しく反響するばかり。かと言って素直に椅子に座るのも癪だった彼は、窓から外の景色を眺める。ちょうど建物を出たクロ子が視界の中に入ったので、見えなくなるまで使い魔黒猫を目で追いかけた。


「猫は自由でいいよなあ……」

「はいはい、もう授業を始めるよ」

「えっ?!」


 突然聞き慣れた声が背後から飛んできたので、明は速攻で振り返る。そこには全身黒尽くめのレミアが教壇に立っていた。全く気配を感じさせなかったのもあって、彼はすぐには現実を受け入れられない。

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