第5話

翌日の朝、真夜が起きると母が何やら電話で切羽詰まった声で喋っていた。


「はい、はい。わかりました。すぐに行きます」


それは真剣な声だ。ただごとではないとわかった。


「真夜、病院から電話かかってきたの」

病院、と聞くとすぐに父のことが浮かんだ。


「お父さん、血圧下がったんだって。だから今すぐ来てって」


真夜はそれを聞いて、恐ろしくなった。


 父の容体が急に悪くなったとのことだ。昨日までは話すことができたのに、それはいきなりだった。


急いで病院に行く支度をするが、病院までは車で二十分はかかる。


車の中でなんとか間に合ってくれと祈るが、まさかこんなに早くにその時が来るだなんて思わなかった。


病院に到着して、すぐに父が入院してる病室にかけつけた。


「夫の様子は」

母が病室に入ると、すでに父は昏睡状態になっていた。


もう話すことはできない。これが生きている最後の時だ。


今は余命申告通り、そろそろだと聞いていたが、金曜日はまだ普通に話していたのに、こんなにもいきなりその時が来るなんて思いもしなかった。


「お父さん…」


真夜は父の手を握った。僅かにまだ温かいがその手は握り返すこともなかった。

意識がないのだから、当然だ。握っても手はだらりと垂れ下がっていた。


周囲の医者もだんまりになっている。これがまさに最後の時なのだ。


せめて真夜と母がかけつけるまでに、まだかろうじて生きているのが救いか。


「真夜、きっとお父さんはあなたがここに来てくれるまで待ってくれたのよ。お父さん、最期まであなたのことが大事だったから」


 母の言うことは、つまりもうこれは父が亡くなるということだ。


 それを前向きに励ますように言っている。


 父の様子を見て時間が過ぎる。

 ほんの数分の時間がとても長く感じる。


 もう少し、もう少しだけでもまだ生きていてほしい、1分1秒だけでも、少しでも長く生きていてほしい。


 しかし、ついにその時は来た。

だんだんと弱っていた心音はもう波をつくらず、心電図のぴーっという音が鳴り響いた。


生命活動が今、終わったのだ。


医師が身体に触れ、死亡確認をする。


そして確認が取れた

「午前八時二十三分。大島直人様、ご臨終です」

父がたった今、生命活動を終えた。


もう二度と目を覚ますことはない、話をすることもできない。


 夫が目の前で亡くなるのを看取ったことになるが、真夜の母は冷静だった。


 特に泣いている様子もない。真夜にはそれが理解できなかった。


 なぜ目の前で家族が死んだというのに、泣くこともなく、冷静なのだろう、と。


 しかし真夜も気づいた。自分も泣いてないと。人間、本当に悲しい時は感情も動かず、泣くことすらもしないのだと感じた。


 母は医師にこう言った。

「夫のことを最後まで見届けてくださり、ありがとうございます」


母は深々と医師にお礼を言った。


「夫がこの日を迎えることはできたのはお医者様達のおかげです。この日まで治療をしていただき、最期まで面倒を見てくださって本当にありがとうございました」


お医者さんは父を助けてくれなかったのに、治してくれなかったのに、なぜお礼を言うのか、と真夜は思った。


 まだ中学生である真夜にはそこが理解できなかったのだ。

 

これから葬儀会社に電話をしたり、親戚にも一人一人に家族が亡くなったことを伝え名前ければならない


母は葬儀の手続きで忙しくて、真夜の相手をしていられなかった。


中学生である真夜にはこういったことに手伝えることは限られている。

家に帰ってきても、真夜はまだ心の整理がつかなかった。


マンションにある自宅にて、真夜は改めて父と対面した。


病院から運ばれ、居間で寝かされて顔に布をかぶされた父を見ては、真夜は黙って見つめていた。


 手を触るが、もうぬくもりは一切なく冷たかった。


「こんな冷たいのお父さんじゃない」


いつも父は大きな手で撫でてくれた。その手はとてもあたたかかった。


この父はもうニ度と動かないし、表情も変えない。悲しむことも笑うこともなく、二度としゃべることもない。話すこともできないし、一緒に何かをするということもできない。もうここで完全に終わったのだ。


まさか金曜日の夜が最後の会話になるだなんて思ってなかった。


余命宣告されてたとはいえ、3月といわれていたのだから、まだもう少しは生きながらえてくれると信じていた。奇跡が起きないかと祈ったりもしていたほどだ。


こうなるならあの夜、もう少し父と話しておけばよかったと激しく後悔した。あれが最後の会話になるのなら、父の声を最後によく聞いておくべきだったと。


真夜は一人っ子なの、父が亡くなったというこの時に一緒に悲しむ兄弟もいない。


もしも兄弟がいれば、こうして家族を亡くした時に、共に感情を分かち合えることができたのだろうか、と想像したりもする。共に父の死を悲しみ、もしくは励まし合ったりして過ごせたのではと。


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