第4話 父との時間
真夜は急いで帰宅した
「ただいま」
家に帰ると、すでに母親が待っていた。
真夜の母は普段は仕事で家に帰るのが遅い。
しかし、この日は大事な用事があり、早く帰ってきた。
「おかえりなさい。真夜」
今はある事情があって、真夜は親に暗い様子を悟られてはいけない。
母親の前では平常を保つことにしていて、学校であったことは何くわぬ顔で家族に接する。
「試験終わったんでしょ。ちゃんとできたの?」
真夜は戸惑った。今回の試験はうまくいかなかった。本調子じゃなかったのだ。
しかしそれは心配をかけるだけだ。学年末の大事な試験だと言うのに、うまく行かなかったとは言いたくない。
「うん、なんとか」
真夜は不安がっていることは言わない。心配をかけるようなことはしてはいけない。
今は家がそれどころではないとわかっているからだ。
「じゃあ試験も終わったんだから、ほら、お父さんのとこ、行こう」
すぐに母親が車を出した。真夜には行かなければならないところがある。
自宅から車で二十分、町の中央から離れた大病院に着いた。
大きな病院の為に膨大な敷地が必要で、山の近くに建てられた。
地方では小さい病院はいくつもあっても、大勢の入院患者が入院する設備や大勢の医者が必要な大病院は敷地の確保で山の近くに建てなければならないのだ。
そして、大病や事故などによる重症患者も基本的にここで入院することになる。
もっと近くにあれば、ここに行きやすいと真夜はいつも思っていた。
地方は車社会であり、車での移動が主だ。まだ中学生である真夜は車は運転できない。
この病院に来るにはバスを何本も乗り換えをせねばなならいので時間もお金もかかる。
なので母の車でなければ行けない場所なので、いつでも行くことはできない
大きな病院だ。そこに真夜の父親が入院している。
真夜の父は今、末期癌なのだ。
数ヶ月前に余命が申告され、長くても今年度の三月までだと言われていた。
それを聞かされた時、真夜は悲しんだ。自分の父がこの年で亡くなってしまう、もっと一緒にいたい。なぜ現代の医学で父の病気を治すことができないのか、と真夜は不満に思った。
「お医者さんはどうしてお父さんを治してくれないの?」と母に聞いた。。
「残念だけど、お父さんの病気は症状が重くてお医者さんでも治せないの。お父さんは、もう治らないの。多分、もう一緒にいれる時間も少ないと思うわ」
そう言われ、運命を受け入れるしかなかった。
母親はやたらそれを何度も真夜に言った。いつその時が来てもいいように、覚悟もしておけという意味も入ってるだろう。
父の末期癌が申告された時、真夜は悲しみ、父が亡くなるのは嫌だと言ったが、どうしようもなく、運命を受け入れるしかない。
嫌だとわかっていても、どうしようもない。父が寿命なのだから。真夜はもう中学生なのだから運命を受け入れられないといけないとよく言われた。
病気はどうにもならない。治らないとわかったら、今すべきことは父を安心させることだ。
『お父さんがもう長くない、じゃあ心配かけないようにしなきゃ』ちゃんと見届けなくちゃ。と真夜は自分に言い聞かせた。
そんなこともあり、今は家が忙しい状態なので真夜は母親を支えなければならない。
父が亡くなったら真夜はこれから母と二人で生きていくのだから、それは今からでもやらなければならない。
ただでさえ、母親がいっぱいいっぱいな時期なのに、真夜が不安がったら心配をかけるまでだ。
むしろ、父の命残り少ないのだから、真夜は父を安心させて見届けなくてはならないとわかっていた。
真夜は父のことが大好きだ。だからもうすぐ一緒にいられなくなるのは辛い。
しかし、だからこそ、その父が最後は幸せな気持ちで家族と共にいれる時間が大事だ。
真夜は今、学校で嫌なことがあった。しかし、家が大変な状況なのだから、家族に心配をかけたくない。
(このことバレないようにしなきゃ。私が学校で嫌なことがあったなんて暗い表情で言ったら心配かけちゃう)
真夜は気を引き締めた。余命間もない父を見送る為なのだから、今は心配をかけてはいけないと。
(お父さんのことでいっぱいいっぱいだから私が学校でトラブルが起きてるだなんて知ったら心配をかけるだけだ。絶対言っちゃダメ)
真夜はそれを頑なに決心した。
病院に入ると、若干薬の匂いがする医療の空間だ。
清々しい病院の綺麗な空気には気分が少しスッキリする。
日中のお見舞い患者や通院に来るものが少なくなる夜、夜の病院の静かな空気の中、真夜と母は廊下を歩いた。
個室の病室、そこには「大島直人」という名札が貼られている
父の余命が少ないということで、家族と最後の時間を静かに過ごせるようにと個室を借りたのだ
個室の入院費は高くなるが、それよりも今は父の方が最後の残り少ない自分の時間を過ごしている。
病室に入ると、そこには父がいた。今は静かにベッドで横になっていた。
父はげっそりと痩せていた。元気だったころははふくよかな体型だったが、今は骨がガリガリで、肋が見えるほどだ。顔はこけ、かなりやつれている。もう表情を変えるほどの筋肉も衰えているとのことで、笑ったりすることもできない。
食事も好きなものは食べることはできず、ほとんど点滴か流動食のみだ。
残り少ない僅かな時間だと言うのに、好きなものも食べることができないのは悲しいだろ
しかし、これでも少しでも余命を伸ばす為だ。
「お父さん、来たよ」
真夜が声をかけると、父はうっすらと目を開けた。
「真夜、母さん、来たのか」
弱弱しい声で、父は二人の来訪に気づいた。
父はもう普通の声を出すこともできず、小さな声でしか喋ることができない。
声が弱々しく、耳をすまさねば聞こえない父の症状がどんどん悪くなっていくのだ。
そういった見た目の変化で先が長くないということを嫌でも感じさせられる。
日々日々弱っていく父の姿を見ることは辛い。もうすぐ亡くなると言うことが目で実感させられる。
しかし、父を見送る為にと、父の前で悲しんだりしてはいけない。
自分がしっかりと父を見送らねば、もうすぐその時が来るのだから。
母親が父の洗濯物などを家に持って帰る為に、個室の荷物の出し入れをしている。
その間、真夜は父と話す。残り僅かな会話だと真夜には貴重な時間だ。
「真夜、学校ではうまくいってるか。期末試験、お疲れ様だったな。どうだ、うまくいったか」
学校であんなことがあり、期末試験など勉強がうまく身に入らなかった。
いつもの真夜なら平均点を取るくらいにはできたが、おそらく今回はダメだろう。
しかし、そんな不安を見せてはいけない。今回はただでさえ一番重要な学年末テストだったのだ。
それはよくできたと言わなければならない。真夜はいつも通りに返答する。
「うん、試験、うまくいったよ。今回は学年末だからってことで張り切って勉強したから。これで二年生の準備もばっちりだよ」
「そうか、真夜はいつも真面目だな」
真夜は今学校で起きていることは言えなかった。
父に残された時間は少ない。そんな状況で家族に自分のことで心配をかけたくない。
真夜は絶対に家族に学校のことは言わないことにした。だからいつも通りの答えを言う。
「今ね、学校でスローガンの絵を作ってるんだ。孔雀の絵を作ってて、折り紙で羽を作るのにはりきっちゃった。もうすぐ完成するから一年生に見てもらうんだ」
その絵が原因でクラスでの真夜の立場は危ういことになっている。
しかし、最近あったこれからに向けての出来事はそのことだろう。
「そうか、もうすぐ真夜の中学校にも一年生が入学してくるんだな。真夜もすっかり先輩のお姉さんになるわけだ。きっとそのクラスの制作物もみんなで作った記念品ってことで大事な思い出になるだろうな。きっと一年生も中学校の先輩の作ったものだと喜んでくれるぞ」
父は真夜が二年生になるまでに生きているかはわからない。
自分が見ることができないかもしれない未来に希望を寄せているのだ。
「うん、楽しみだなあ。もしかしてその絵がきっかけで一年生と仲良くなれたりして。私達がみんなの為に作ったんだよって。それなら私、大島先輩って呼ばれるのかも」
その孔雀の一件で真夜は現在悩んでいるのだが、けしてそれは言えない。
今はとにかく学校であった楽しいことを言わなければならない。嘘も大事なのだ。
真夜はあえて明るい前向きな話題ばかりを出した。父には最後の時間を楽しく過ごし
てもらう為に、暗い部分は一切見せない。そう気を張らねばならないと。
一通りの話が終わり、そろそろ帰る時間だ。
「じゃあな、真夜。またな」
真夜は小さく手を振った。
「また来るからね。ばいばい」
そういって病室を出た。
面会時間も終わり、病院を出ると、駐車場で母は言った。
「真夜、わかってるわよね」
「うん」
母は真剣な表情で言う。これはもう何度も聞かされたことだ。
「お父さんも多分もうすぐダメだと思うわ。声も弱弱しいでしょ。心音も弱ってきてるんだって。あなたには辛いことを言うけど、そろそろだと思う」
「うん」
母だってこういうのは辛いはずだ。夫を亡くすことで、不安もいっぱいなはずである
「あなたももうすぐ中学二年生になるんだから、あの人の娘としてちゃんとお父さんを安心させなさいね」
「うん。わかってるよ。大丈夫、私もう中学生だもの」
母にはいつも通りに接する。けして不安なことがあると知られてはいけない。
真夜は学校ではうまくいってると思われたいのだ。
こうして今の悩みは誰にも言えずにいた。
真夜は家に帰ってもモヤモヤした。父は先が長くない。いつ亡くなるのだろうか。
その時、自分は父を見送ることができるのだろうかと。
「大丈夫、最後までお父さんを安心させてちゃんと見送るって決めたんだから」
そう言い聞かせた。
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