大阪のベッドタウン

大鐘寛見

第1話 高校までの俺と身の回りのこと

  大阪のベッドタウン

          大鐘 寛見

    

 

 大阪に引っ越したのは小学生になる直前だった。それまでは神戸にいて、親が新築で家を建てるとかで大阪に来た。俺にとって大阪は神戸からとてつもなく遠い場所で、子供の俺には超えられない壁で隔絶された世界のように感じて、神戸の友達とはもう会うことはないと子供ながらに薄々思っていた。車に乗って気付いたら見たこともない場所に建つ、小島という表札がかかった家の前にいた。俺の表情は親とは対照的だったことを今でも覚えている。

 小学一年の一学期も中盤に差し掛かると、数人の友達ができていた。俺の親は共働きで朝は俺と一緒に家を出て、夜は俺より遅く帰ってくる。だから、俺は学童保育に預けられていた。そこで出会った、村上颯という子と俺は誰よりも仲が良かった。颯くんは、三国に住んでいた。俺は毎週土曜日になると俺の住んでいるところから三国まで自転車で遊びに行った。俺と"わこ"が出会ったのも三国だった。

 いつものように俺は颯くんの家の近くにある三国公園で遊んでいた。あのころの俺にとっては、颯くんがいれば別に2人でも楽しかった。颯くんがふと公園の外を指して「あれ、わたこうやん!」と言った。俺も颯くんが指した方を見ると、男の子が2人で歩いていた。颯くんが「おーい、わたこー!」と呼べば、そのうちの1人がこちらを見てもう1人の手を引いて走ってきた。わたこうと呼ばれた男の子が「颯くんやん、そっちの子は誰?」と聞いた。俺は颯くんが口を開くより先に「俺、小島健。」と名乗った。わたこうは「俺、渡部幸樹。みんなからは縮めてわたこうって呼ばれてる。」と説明した。颯くんは「わたこうは誰と遊んでるん?」と聞いた。俺もわたこうの隣にいる子のことは知らなかった。わたこうは「小林くん、最近転校してきた子でな。三国住んでるみたいやったから。4人で一緒に遊ばへん?」と言った。これが俺とわことバヤシの初対面だった。"わこ"とは、わたこうをさらに縮めた呼び方だ。

 3年に上がる頃には、この3人にはまゆうと創太を加えた、俺を含めて6人組で遊ぶことが多くなっていた。基本的には創太の家でゲームをして遊んだ。わこの家は親が厳しくてゲームが買ってもらえないようで、そのこともあってわこに率先してプレイさせていた。俺は一人っ子だったから遊ぶ相手がいるだけで楽しかった。

 4年になって親が離婚した。父さんが珍しく家にいて、俺を父さんの部屋へ呼び出した。俺は何か怒られるんだと思って、恐る恐る父さんの部屋へと向かった。そこには泣いている母さんと申し訳なさそうな顔をした父さんがいて、俺に「父さんな、母さんの他に好きな人出来てん。」と言った。俺は漠然と俺も泣かなきゃいけない、と思った。父さんは「俺と母さん、どっちと一緒におりたい?」と小4の俺に聞いた。母さんは目を赤く腫らしながら俺のことを見つめていた。俺は黙って母さんを指した。父さんは「やっぱりそうよな。ごめんな。」と俺を抱きしめた。俺はこれがどれだけ悲しいことで、どれだけ俺の人生に影響を与えるかを分かっていなかったから、最後まで涙は出なかった。その日から父さんが家にいなくなって、母さんが怒りっぽくなって、俺は母さんよりも爺ちゃんと婆ちゃんと過ごすことが多くなった。爺ちゃんの家は庄内にあって、俺の家からは歩いて10分ほどのところにあり、爺ちゃんと婆ちゃん、あとは母さんの兄弟のおじさんが2人一緒に住んでいた。この頃の俺は学校が終わると、友達と遊びに行って空が暗くなると爺ちゃんの家に行って晩御飯を食べて、母さんが帰ってくる前に自分の家に帰るという生活をしていた。あとはクラスが別になったこともあって、もう颯くんと遊ぶことは無くなっていた。母さんはいつも、帰ってくると俺の「おかえり。」には反応せずに、「はよ風呂入って寝えや。」と言って換気扇の下でタバコを吸っていた。まだ子供の俺は、母さんは俺のことがあんまり好きじゃなくなったんだと思っていた。

 6年になると、はまゆうが受験するらしく全然遊ばなくなった。少しずつ、いつものメンバーがバラバラになっていくのを感じながら、俺は小学生最後の年を過ごしていた。夏休みには朝にプールに行って、午後は創太の家でゲームするという生活をほぼ毎日繰り返し、年を越せばお年玉でみんな同じゲームを買って、正月早々から創太の家に入り浸り、卒業式が終われば、創太の家にみんなで集まった。俺は自分の家よりも創太の家にいた時間の方が長い気がした。小学生の俺はそんな感じだ。

 中学に上がって俺たちは各々興味のある部活に入った。みんなで同じ部に入ろうという意識はあまりなく、俺はドラムがやりたくて吹奏楽部に、わこは背が高いからバスケ部に、創太は親の影響で卓球部、バヤシは足が速いから陸上部に入った。みんなそれぞれの部活で友達を作っていた。クラスも俺が1組で、みんなは3組に固まっていて、しかも吹奏楽部は俺の学年には俺しか男子がいなかったし、運動部と文化部とでは下校時間や、休みの数が全く違うため、俺はみんなとの距離が物理的にも心理的にも開いたように感じていた。教室では、たまたま席が近かった水泳部の高栄と喋ることが多かった。俺は基本的に休み時間に教室の外に出ることはなかったし、高栄もそうだったから。しかし、6限の後のHRが終わって教室の外に待っている水泳部の仲間が高栄のことを呼ぶ度に、俺は孤独感を味わった。吹奏楽部ではあまり誰とも仲良くなったりはしなかった。思春期の男子にとって、女子と仲が良いというのは揶揄いのネタになるようで、一年の春に揶揄われてから俺は部活外で部員と話さなくなった。夏休みもほぼ毎日、一日中部活に行って、帰って寝るだけの生活だった。気づけば俺とわこ達は、テスト前の部活がない一週間しかまともに喋らなくなっていた。そして年末を迎えた俺は、いつも通り家でゴロゴロしながらゲームをしていた。親は年末年始も仕事だし、中学に上がってからは爺ちゃんの家にもほとんど行っていなかった。年末特番を見ながら日付を跨ぎ、例年通りわこ達に「あけおめ、ことよろ。」とメッセージを送る。今年は可愛いスタンプ付きだ。みんなからも「あけおめー!」だの「ことよろ!」だのスタンプだのが送られてきた。はまゆうからもメッセージが届いていて、少し嬉しくなった。その後、わこから「みんな田舎帰ってるん?」とメッセージが届いた。俺は「いや帰ってへんけど、なんで?」と返信した。わこからすぐに「俺も帰ってへんねんけどさ、今からみんなで初詣行かん?」と返信が来る。俺は返信も忘れて家を出る準備を始めた。母さんはもう寝てたからできるだけ静かに家を出る。スマホを確認すると、来れるのは俺の他に創太とはまゆうみたいだ。俺も「今わこんち向かってる!」と返信を入れておく。こんなにわくわくしたのは久しぶりだった。わこの家についたのは俺が一番最初だった。わこに「家着いたで。」と送っておく。数分経つと、創太とはまゆうが現れて、わこも家から出てきた。俺は思わず「なんか久しぶりやな、この感じ。」とおっさんくさい感想を漏らした。

「せやなあ、みんな全然ちゃう部活入ったからあんま集まることないしな。」

「はまゆうなんかちゃう中学行ってもうだしな。」

「はまゆう友達出来たんか〜?」

「めっちゃ出来たわー。」

「ほんまかよ。」

 深夜に騒いで近所迷惑とか、そんなことは一切頭になかった。ただただ楽しくてわくわくした。俺は出発する前に高栄に「今家おる?」とメッセージを送った。そしてみんなに「高栄っていう友達が三国住んでるんやけど、呼んでもええ?」と聞いた。わこが「ええけど、そんな急に呼んで来れるんかな?」と心配し、創太がすかさず「俺らのこと急に呼んどいて、どの口が言うてんねん!」とツッコミを入れた。高栄から「おるけど、どしたん?」と返信が来て、俺は「初詣行こうってなってわことかと集まってるんやけど、来れる?」と送った。高栄から「行けるで。」と返信が来た為、みんなで高栄の家に寄ってから行くことにした。わこは結構交友関係が広く同学年のやつは大体知ってるし、わこの名前を出しておいて良かったと安心した。高栄が家から出てきて、初対面のはまゆうと創太と軽く挨拶を交わして神社に向かう。三国からは少し歩くが、今の俺たちにとっては一瞬の出来事のようだった。心霊の苦手なわこに「もう丑三つ時やけど、神社なんか行って大丈夫なんか?」と笑いながら問い掛ければ、「正月から幽霊出んやろ!」と強めに返ってきた。俺以外のみんなも若干テンションが高くて嬉しくなった。神社に着いて参拝を終えた俺たちはコンビニで少しの菓子と各々ジュースを買って公園で駄弁っていた。子供が外で遊んでいてはいけない時間だったが、今日だけは許されているような気がした。俺たちが年末のお笑い番組の感想を言い合って、部活の愚痴を言い合って、最近ハマっているゲームの話をしたりして、しばらくすると空が白み始めたので、俺たちはわこの「やべ、そろそろ帰らな。」の一言で解散した。みんなは三国に住んでいて俺だけ違うから帰り道は1人になった。こんなに長時間話したのは久しぶりだなと帰り道で考えていた。家に着いてリビングへ向かうと母さんはもう起きていた。

「あんたどこ行ってたん。」

 母さんはタバコを吸いながら横目で俺に聞いた。

「友達と初詣。」

 俺も母さんとは目を合わせずに答えて自分の部屋に入ろうとした。

 母さんは「今からお爺ちゃんたちと初詣行くんやから寝たあかんで。」と俺を呼び止めた。俺は「いや、そんなん知らんし。俺寝てへんからちょっと寝させてや。」と母さんを突っぱねた。反抗期だったし、何より去年から爺ちゃんが認知症になって、どんどん痩せて知らない人のようになっていくのを見たくなかったのだ。母さんは「もう多分今年くらいしか元気なお爺ちゃんに会われへんで!」と俺に言った。俺は面倒くさくなって「分かった、行くから。何時に家出んの?」と聞いた。母さんは「もう出よか。」と俺に言った。母さんはボサボサの髪の毛のまま服だけ着替えて、玄関へと向かった。重い瞼を無理やりこじ開けて、爺ちゃんの家へと歩く。その間、母さんとの会話は特になかった。母さんも俺と同じくらい眠そうだった。爺ちゃんの家に着くと、母さんが呼び鈴を鳴らす。すると、家の中からバタバタと音が聞こえて、婆ちゃんが腰を曲げてギギイと引き戸を開いた。婆ちゃんは「あけましておめでとう。今年もよろしくお願いします。」と丁寧に言って、ヨタヨタと玄関に戻りながら「もうちょっとで出るからそこで待っといて。」と母さんに言った。しばらく待っていると、引き戸がまたギギイと開いて、婆ちゃんと叔父さんたち2人が出てきた。母さんは婆ちゃんに「腰大丈夫なん?」と聞きながら婆ちゃんの体を支えた。婆ちゃんは「薬飲んだから。」と言いながら持っていた杖をついた。俺は婆ちゃんに「爺ちゃんは?」と聞いた。婆ちゃんは「この前倒れてな。てんかんやって。」と悲しそうに言った。叔父さんたちは婆ちゃんの10m先くらいを歩いていた。母さんは「今病院おるん?なんでこっちに連絡せえへんの?」と婆ちゃんに言った。冬の風が冷たく俺の体に吹き付けて、俺は思わず目を細めた。母さんの方を見ると、眉を顰めて唇をギュッと引き締めていた。叔父さんたちは婆ちゃんとの距離をさらにあけて前を歩いていた。神社に着いて、婆ちゃんたちはでかい矢とか、絵馬とかを返しに行っていた。母さんと俺は手を水で清めて、先に参拝の列に並んでいた。母さんは俺にポチ袋を渡した。俺が母さんに「なにこれ?5円ちゃうん?」と聞くと、母さんは「氏神さんやから。」とだけ答えた。ポチ袋の中身を俺が確認しようとすると母さんは「見んでええから!」と少し声を荒げた。俺は黙って頷いて賽銭箱にポチ袋を入れて、でかい鈴を鳴らして手を合わせた。健康とか友達のこととかをお願いしたあと母さんの方を見たら、眉間に皺を寄せて何かぶつぶつ呟いていた。俺は怖くなって駆け足でその場から離れて婆ちゃんたちを探した。

 1月3日。年明けから2回も日付が変われば、俺みたいなアホでも今年からはもうお年玉が貰えないんだと勘付いていた。母さんは2日から仕事で、お年玉のことは聞けなかった。みんなで同じゲームを買おうという約束だったのだが、俺はお金がなくて買えなかった。わこですら中学からゲームが解禁になって買えていたのに、だ。その日は俺がゲームを貸してもらう側だった。俺の家は貧乏なんだとそのとき初めて思った。

 三学期も残すところは期末テストのみとなったころ、俺が寝ていると母さんが起こしに来た。

「なに?」

「爺ちゃんが危篤やって。」

 母さんの声はひどく鼻声で、そこでようやく泣いているのだと気づいた。

「もしかして今から行くん?」

「うん、あんたも来るやろ?」

「え、明日テストやねんけど。」

 テストよりも爺ちゃんの方が大事だと分かっていたのに、俺は目を背けるためにそんなことを言った。

「テストより爺ちゃんの方が大事やろ!」

 母さんは久しぶりに俺に熱のこもった言葉を浴びせた。

「いやせやけど...。」

「あんた、爺ちゃんにあんだけ良くしてもらったやんか!」

 母さんが怒っているのか悲しんでいるのかは、逆光になって表情が見えなくて分からなかった。

「そやな、行くわ。」

 俺は厚めの上着を羽織って母さんの後ろをついて行った。玄関を出ると家の前には叔父さんの車が止まっていて、助手席には婆ちゃんの姿も見えた。車の後部座席に俺と母さんは乗り込んだ。婆ちゃんはずっと前を見ていた。特に会話もなく車は発進し、雨の降る夜道を駆けていった。大学病院に着いて、婆ちゃんは母さんに支えられながら傘も差さずに入り口までヨタヨタと歩いた。叔父さんは車を駐車しに行ったあと、歩いてこちらにきていた。その足取りがもう遅いと言っているようで不吉に感じた。母さんの後から病室に入ると爺ちゃんはもう息を引き取っていた。母さんは泣いていた。婆ちゃんは爺ちゃんの手を握っていた。俺はそのどちらもせずに爺ちゃんの死に顔を見つめていた。

 次の日も俺は普通に学校に行った。とにかく家に居たくなかった。今の自宅には暗いモヤが充満しているようで息苦しさを覚えた。俺はテストが終わっても家には帰らずに図書館で時間を潰した。暗くなってから家に帰ると母さんが俯いて椅子に座っていた。俺は小さく「ただいま。」と呟いて、横を通り過ぎた。母さんは何も言わなかった。数日が経ち、爺ちゃんの葬式があった。母さんは「お婆ちゃんとこが全然お金出さへんから、ほんまに寂しい葬式しかしてあげられへん。」と言っていた。この頃の母さんの口癖は「お金がない。」「なんで私ばっかり。」だった。俺にはどうすればいいのかも、なんと返せばいいのかもわからなかった。葬式で初めて触れた爺ちゃんの死体は冷たくてブニブニしていた。俺はお坊さんがお経を唱えている間、俺の葬式だったらロックを流して欲しいなあ、なんてことを考えていた。棺桶に入った爺ちゃんに花をみんなで添えた。母さんはずっと「こんなんしか出来んくてごめんな。」と謝っていた。爺ちゃんが燃やされたあとのカラカラに乾いた骨を、母さんたちは箸で壺に入れていった。俺はどの骨を入れればいいのかよく分からなくてとりあえず近くにあった骨を入れようとしたが、母さんに「それちゃうで。」と言われてしまった。俺には全部同じに見えた。

 中学2年になった。俺はまたみんなとは違うクラスだった。6月になっても俺はクラスに友達がいなくて、毎日朝のHRギリギリに登校して、帰りのHRが終われば逃げるように部活に向かうような生活をしていた。休み時間は机に突っ伏して寝たフリをして過ごした。そんな俺に話しかけるようなヤツはいなくて、クラスで孤立し始めていた。一日中全然話さずにいれば、どんどん陰気な性格になっていった。気づけばわこたちと話すこともなくなって、母さんとの会話もなくなった。今日も部活が終わり、1人で帰路を歩いていた。学校には持ち込み禁止のスマホをカバンから出して、イヤホンを刺してニルヴァーナを聴いて歩く。幸運なことにちょうど帰る頃に雨も止んで、濡れたアスファルトの匂いを嗅ぎながら音楽に浅く浸ってニヒルな気分で背中を丸めて歩いた。この瞬間こそが俺の人生の全てなような気がした。玄関のドアを開けると母さんが部屋中の荷物をまとめていた。俺は戸惑いながらイヤホンを外して「ただいま、なんかすんの?これ。」と母さんに聞いた。母さんは少し後ろめたそうにしながら「ごめんな、この家もう売ることにしてん。お金ないねん。」と言った。俺が「引越しいつ?」と聞くと、母さんは「今から新しい家に荷物運ぶで。」と言った。えらく急だなと思いつつ俺も手伝うことにした。俺が7年間過ごした家から新しい家までは歩いて10分もかからなかった。新しい家はオンボロのアパートの一階でそこかしこが錆び付いていて、街灯がないせいか暗い雰囲気が漂っていた。玄関のドアを開ければ、細い廊下が続いていてその傍に和室が一部屋と奥に洋室が一部屋あった。母さんが後ろから「健の部屋はそこの和室やから。」と言った。俺はこっからこんなとこに住むんか、と辟易しながら「分かったー。」と間延びした声で返した。そして次の月から母さんは美容師の仕事とパートの仕事を掛け持ちして働き始めた。いつの間にかタバコもやめていて、俺が家を出る3時間ほど前に家を出ていき、俺が寝る頃になって家に帰ってきた。俺は母さんのことが心配になって、「そんな働いて体持つん?大丈夫なん?」と聞いた。でも母さんは「あんたの学費だけは貯めとかなあかんから。」と言ってはぐらかした。俺は「父さんは助けてくれへんの?」と聞いた。母さんは諦めた目をして「父さんもお金ないって。」と言った。俺はそれ以来、父さんのことは聞かないようにした。秋ごろになると俺は成長期を迎えて身長が大きく伸びていた。声もかなり低くなって、女子から少しだけ、モテるようになった。思春期の俺にはそれがひどく鬱陶しく感じた。母さんには「あんたがどんどん父さんに似てきて嫌やわ。」と言われた。この頃から俺はどんどん音楽にのめり込むようになっていた。ドラムはもちろん部活でやっているが、今の関心はもっぱらギターだった。誕生日のプレゼントなどはあるわけもなく、はやく高校生になってバイトをして金が欲しいと常に思っていた。2年はわこたちとは結局一度も遊びに行かなかった。誘われなかったし、誘う気もなかったし、遊ぶ金もなかった。

3年になって部活を引退すると、教室には受験勉強のムードが充満していた。わこたちはみんなで塾に通っているらしく、「健ちゃんも来いや!」と誘われた。母さんにその話をしたら「そんなお金ない!あんたもちょっとは協力してや!」と怒鳴られた。俺はわこたちに「ごめん、無理やわ。」と返信した。

 冬になって俺はわこたちと一緒に、初めての模試を受けに行った。母さんに模試を受けたいと言った時は、渋々「一回だけやで。」と言われたので、絶対に良い結果を出さないといけないと思っていたが、一年以上もこんな風にみんなで集まったりはしていなかったから、俺は模試というよりも遊びに行くテンションになってしまっていた。わこも同じようなテンションだったけど、バヤシと高栄と創太はかなり勉強に力を入れているらしく、行きの電車の中でも忙しなく復習をしていた。

「みんな結構ガチやな。」

 俺はわこに言う。

「俺らだけちゃう?あんま勉強してないん。」

 わこは軽く笑ってそう言った。俺の言い方は幾分か自虐の混じった言い方だったが、わこは純粋な物言いだった。まるで、勉強はしてもしなくてもどちらでも良いと確信しているような口ぶりだ。

「わこは高校どこ行くつもりなん?」

 俺はなんとなくそう聞いた。

「んー、行けそうなとこ。俺、全然高校知らんねん。」

 わこはまた笑いながら言った。俺はなんとなくわこと同じ高校に行こうかなと思っていた。

 模試が終わって、みんなで帰りにファストフード店に入った。みんなは問題のどこが分からなかったとか、絶対判定やばいだとかそんな話をしていた。俺とわこは蚊帳の外にいて、2人で「何言ってるか全然わかんねー。」と笑っていた。俺はわこに分けてもらったポテトを食べながら、漠然とした不安感からわこになんとはなしに切り出した。

「わこってさ、将来何したいとかあるん?」

「えー、別になんでもええなあ。あ、しんどいのは嫌やけど。」

 わこは困った顔で言った。

「いや、仕事とか全部しんどいやろ!」

「んー、じゃあせめて楽しいヤツがええわ。」

「例えば?」

「芸人。」

 わこは俺の方を見て言った。瞳に確かな力が込められていた。

「芸人か、ええな。」

「やろ。売れるとか絶対ムズいけど、毎日笑って暮らせたら絶対楽しいで。」

「じゃあさあ、俺らがもし、高校卒業してもさ、やりたいことなかったら一緒に芸人やろや。」

 俺はそんなあやふやで叶いそうもない理想を語った。頭ではそう分かっていても心では、興奮が抑えられなかった。

「おー、ええで。健ちゃんとやったらもっと楽しそうやわ。」

 わこは笑いながら言った。

 模試の結果が返ってきた。もちろんみんなが目指している高校はE判定で、わこもE判定だった。わこと結果を見せ合えば、「やっぱ勉強せなあかんよなー。」と2人して現実を嫌でも理解させられた。創太と高栄はA判定でバヤシもB判定で3人とも多分受かると言っていた。俺はわこのおかげか、不思議と不安はなかった。結局、俺はわこと一緒にかなり偏差値の低い高校を受験した。創太には「いや、そこ名前書いたら受かるやろ!」とイジられたりもしたが、俺はそこにすら受かるか不安だった。わこには「入試落ちたら先養成所行っとくから。」と宣言しておいた。母さんには模試の結果も志望校も、芸人のことも伝えていない。何を言われるかは大体予想出来ていたし、母さんに何かを言われたい訳でもなかった。三者面談で初めて母さんが俺の学力を知ったとき、帰り道で「なんであんたまで私を不幸にするん?」と泣きながら言われた。母さんのその言葉が今の俺を表す最も最適な言葉だった。

 結論から言うと受かった。わこも受かった。母さんに俺が受かったことを報告したら、「流石に落ちてたらほんまにもう心中やったわ。」と言われた。俺はひとしきり落ちなかったことに安心したあと、いつものメンバーで集まった。創太と高栄とバヤシは3人とも同じ高校に合格していて、より3人の仲が深くなったように感じた。はまゆうは大阪でもトップの公立校に受かっていて、医者になるという夢を着実に叶え始めていた。俺たちはボウリング、ゲーセン、カラオケの順番で久しぶりにメチャクチャに遊んだ。俺は俺で、わこともっと仲良くなれた気がして少し嬉しかった。高校生活が始まって、俺は即行でバイトを始めた。もちろんギターを買うためだ。部活はもちろん軽音部に入った。わこを誘おうかと思ったけど、わこは今まで楽器を全くやったことがないのと、バスケ部に入ると言っていたこと、あとはこの前ゲーセンで遊んだ時に太鼓の達人で壊滅的なリズム感を見せていたことからやめておいた。最初のころは、わことともに電車で登校していたが、1ヶ月も経てばバンドのメンバーと登校することが増えてきていた。基本授業中は寝ているか、楽譜を見ていて、俺の高校生活の中心は紛れもなくバンドだった。今日も今日とて、俺は1ヶ月の給料で買った5万のギターを持って、自分に酔いながら部室に向かった。4月から髪を伸ばし始め、ピアスも開けて、完全に自分に酔い潰れていた。そんな自分を自覚していることにすらカッコいいと思っていた。部室に着いてドアを開けると、先にベースの優斗が来ていて、「うい、お疲れっす。」と挨拶を交わす。授業中は寝ていて疲れているはずもないのにお疲れと言うのは、俺たちは普通の高校生とは違うと思いたいからだろう。優斗と2人で他愛もない会話をしながらチューニングを合わせる。優斗は「2組のサキちゃん、めっちゃ可愛くね?」といつものように女子の話を俺にする。俺がテキトーに「あんまタイプちゃうな。」と返せば「お前のタイプがマジで分かんねえ。」と返された。定型化された会話だが、優斗が名前を出す女性にはいつも法則性があった。大体ギャル、というか頭の軽そうな子だった。正直、何が良いのか全く分からないが、優斗曰く俺は見る目がないらしい。まあ優斗にはお似合いかも知れない。そんな会話も終わり、俺が優斗と少し曲を合わせていると、ドラムの拓真とボーカルの詩音が一緒に部室に入ってきた。俺が優斗の時と同じように「お疲れー。」と言うと、2人は「お疲れ、わりい、遅れたわ。」と言った。優斗は「遅えよー、さっと合わせようぜ。」とやる気満々だ。しばらくメンバーと合わせて練習をしていたら部活の終わりを知らせるチャイムが響いた。俺たちは楽器を各々片付けて部室を出る。帰る方向が全員同じなので、基本的にはメンバー3人と帰ることになる。学校から駅までの道を歩きながら、優斗が「彼女出来ねえかなー。」と呟いた。これはこいつの口癖、というかもはや鳴き声みたいなものだ。詩音が「ライブやったらもうちょいモテるやろ。」と優斗を励ました。俺は「中庭のやつ?あんなん見にくるか?」と詩音に聞く。詩音は「まあ中庭のでもええけど、やっぱ文化祭やろ!」と興奮気味に言う。「やってよ。」と優斗を小突いて言うと、優斗は「文化祭まで我慢は無理よ。」と項垂れて言った。そのときドラムの拓真が「バンドで売れたら選び放題ちゃうか。」と優斗の方を見て言う。詩音も「せやで。どうせ俺ら成績も悪いし、ロクな職就かれへんねんから一発売れよや!」と唾を飛ばしながら言った。優斗も「おーおー、せやな。やるしかないわ。」とやる気になった。俺はわこの顔が頭にちらついて何も言えなかった。

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