第2話 動き出す者達
勇暦525年/王国暦44年5月10日 ヴォストキア王国東部 首都ヴォストグラード郊外 スオミア王国大使館
ヴォストキア王国とスオミア王国との国交は、かつてイルピア大陸全土を支配していたオルギュスト帝国の崩壊時、独立戦争が始まる以前から存在していた。スオミア王家の先祖はイルピア大陸北方で山賊として暮らしてきた者達であり、500年以上前はヒト族主体の民族であるにも関わらず魔王側に立つ勢力として所領を得ていた。
勇者が魔王と戦っていた頃は、スオミアは勇者軍とは直接対峙せず、しかし魔王軍からの参戦要請もやんわりと断りつつも勇者が魔王を攻めるためのルートを限定させ、祖国の堅牢な守りと巧みな外交で以て部族の自立を守り通していた。
勇者が魔王を倒した後、スオミアは魔王の子供達を秘密裏に保護。勇者の国が中興の祖オルギュスト王によってオルギュスト帝国と名を改めた以降も、大陸北方のいち下級貴族として生き残り、魔王の生き残りはスオミアの有力氏族と婚姻を結ぶことでヒト族に近しい見た目の子を作って迫害から逃れていた。
そして勇暦470年頃、オルギュスト帝国が建国間もないヤシマ合衆国を攻めて返り討ちに遭い、大陸の支配が揺るぎ始めた頃に、スオミアは独立戦争を始めた。スオミアにとって重要な戦力は大陸東方にあった。ヒト族と彼らの崇敬する宗教『碧星教』を至上とするオルギュスト帝国は旧来の自然崇拝に拘る亜人族を迫害。多くの種族と部族を大陸東方の貧しい地域へと押し込めた。世界はイルピア大陸だけではないことを航海技術の発展と飛空船の発明で知り始めた当時、イルピア以東の新大陸より襲い掛かる海賊を迎え撃つために亜人族の戦力を活かそうと考えた結果である。
400年以上も時が経ち、すっかり人間社会の中に紛れていた魔王の末裔達は、これを好機と見て大陸東方にて亜人族へ糾合を呼び掛けた。この当時亜人族の居住地を支配していた監督府は汚職で機能がすっかり低下しており、大規模な反乱を抑えることができなくなっていた。そして10年にも及ぶ反乱と、監督府の所在地だった城塞都市エストヴィレの制圧を経て、勇暦481年に独立を宣言。以来スオミア王国とは良好な関係を維持していた。
そしてスオミアの有力氏族出身の少女サーリャ・ジルカスカヤは、スオミア王国亡命政府の置かれている大使館に身を寄せていた。城塞都市エストヴィレを前身とする首都ヴォストグラードの中心部、赤薔薇城を取り囲む官庁街にある大使館は、前述の通りヴォストキアとスオミアの関係の深さを示すものであり、どれだけ彼女の祖国が重要な国だったのかを象徴していた。
「現在、ヤシマ合衆国軍はオルギュスト海外州を起点に、総兵力100万とも言われる大兵力を展開。野原を踏み鳴らす勢いで侵攻を進めているとの事です。国王陛下と軍上層部は北東部の要塞に籠城しているとの事ですが…」
在ヴォストキア
「そう…軍でこちらに逃れることができた者は何人いるの?」
「現段階では、2000名程…民間人も含めれば10倍はいますが…その中で殿下を外に連れ出すことができたのは不幸中の幸いでした」
2万と2千人。スオミア王国の人口は600万人であり、亡命に成功できた者は雀の涙ほどしかいない。それほどまでにヤシマ軍の進撃は迅速だったという事の裏返しでもあった。
報告を聞き終え、サーリャは席から立ちあがる。その傍には揺りかごが置かれており、その中に身を収めている赤子はすやすやと眠っている。サーリャは恭しく礼をしつつ、ゴストーフに顔を向ける。
「…少し、外に出ております。すぐに戻ります」
1時間後、彼女はヴォストキア王国軍統合軍務省庁舎を訪れていた。召喚者の提言をもとに設けられたこの施設は、王国軍の財務・政治面での運用を担う軍務省と、実働部隊の指揮・統率を行う統帥本部が収められており、赤薔薇城外郭に築かれた陣地内に設置されている。
衛兵に案内され、サーリャは統帥本部次長室へと通される。そこの主は1週間前、セベリスティナ山脈の麓の別荘で会ったばかりの者だった。
「おお、サーリャ殿ではないか。元気になられたようで何よりです」
「お久しぶりでございます、アルトゥール殿下。僭越ながら殿下…いえ、シュトリゴスク大将閣下に対し、色々とお願いをしに参りました」
王族ではなく、いち軍人に対する要請。その形を取って話を持ち掛けてきたことに対し、アルトゥールはサーリャの要求するだろう内容を察した。周辺諸国に比して人口が少なく、その上で守るべき国土は広いスオミア王国は、貴族女子であろうとも剣を取り、戦いに臨むことを求める国民皆兵の思想を採用している。彼女が平民を装いながらも銃を背負い、かつ戦傷を負っていたのはそれが理由していた。
「我が亡命政府は、近々祖国奪還を目的とした解放軍を組織しようとしております。故に私は亡命政府の代表として、支援を求めに参りました」
彼女は先日、すでに統合軍務省よりも先に首相官邸を訪れ、政治面での解放支援を要請している。その上で今度は軍に対して根回しを行っていた。アルトゥールは政府での決定内容をすでに耳にしている。
「その話はすでに聞き及んでおります。正式な決定は統帥本部長が下しますが、私も権限の及ぶ範囲内でサーリャ殿を支援いたしましょう」
「感謝します、大将閣下。御恩は必ずやお返しいたします」
サーリャは恭しく礼をし、感謝を述べた。
この翌日、ヴォストキア王国政府にて『スオミア王国救援法』が閣議決定され、王国議会でも予算案が採決。イルピア大陸で未だに侵攻を受けていない国々と同盟を組み、これに対峙することとなった。
・・・
勇暦525年/ヤシマ暦57年5月12日 ヤシマ合衆国オルギュスト州 主都シンキョウ市郊外 ヤシマ合衆国軍イルピア方面軍司令部
かつてはオルギュスト帝国の輝かしき帝都だった地、ラマーノ。そこは今やヤシマ合衆国のイルピア進出の拠点たる主都シンキョウへと作り替えられていた。その郊外、鉄筋コンクリート造りの武骨な庁舎内では、十数人の将官が会議を執り行っていた。
「現在、我が陸軍はスオミア王国を含む国境に接した6か国を制圧。残る2か国につきましても、間もなく全土を占領できましょう」
会議室にて、イルピア方面軍司令部幕僚のマサトシ・ツジモト陸軍中佐は述べる。黒縁の丸眼鏡に平民出身者であることを示すスキンヘッドが印象的な彼は、イルピア方面軍司令部の幕僚の中でも秀才と言われており、此度の戦争計画において有効的な戦略たる電撃戦を演出していた。
「ですが、本題はここからです。現在ヴォストキア王国軍はスオミア国境線付近に陸軍6個師団を展開。その南にあるヘレニア連邦も同様に国境線に多数の兵力を貼り付け、攻勢に備えております。よってまずはヘレニア連邦を優先的に攻撃し、攻勢を急ぎましょう」
「それは何故だ?」
問いかけるのは、陸軍第5軍団長のアンドリュー・ルーベンス陸軍中将だった。金髪を髷の形に結ったハイエルフの将官は、今年で357歳を迎えるベテランの軍人で、ヤシマ建国の際に反乱者達に協力したことで、反乱時の粛清から逃れることのできた世渡り上手でもあった。
「理由は明白です。最も厄介な敵は有力な機械化歩兵部隊を持つヴォストキアであり、装備の近代化レベルという点ではヘレニアの方が遅れています。故に対処の容易い方から攻めるべきだと存じます」
「成程…であれば、第7軍団に先陣を任せるのが良いだろうな。ミズシマ中将、それでよろしいかな?」
ルーベンスの言葉に、陸軍第7軍団長のトール・ミズシマ陸軍中将は頷く。召喚者とロードリア人のハーフである彼は、陸軍士官学校では歩兵科で卒業しながらも、普通であれば騎兵科出身者が当てられることの多い戦車部隊で頭角を現し、『機械化歩兵部隊の専門家』として名高い人物だった。
「ええ…特に此度の戦場ほど、我が第7軍団の快速が活かせる場所はありますまい」
「…決まりだな」
そう言ったのは、彼らを率いるイルピア方面軍総司令官のジョン・アバークロンビー陸軍大将だった。ルーベンス同様旧ロードリア人の稀な高級将校たる彼は、傍に控える幕僚のツジモトと目くばせしつつ、決定を下す。
「我がイルピア方面軍は、ヘレニア連邦を優先的に陥落せしめ、大陸の南を奪い取る。我が軍の武勇を、ここイルピアに轟かせよ!」
この日、イルピア方面軍司令部の命令に従い、陸軍第7軍団を中心とした部隊は南東方面へ進軍を開始。その1週間後、ヘレニア連邦オルバニア州への攻勢を開始した。
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