第10話


 橋を渡り終えた俺──アントは額の汗を拭いながら走る。


「今日こそ捕まえてみせるわよっ!」


 後ろから拡声器を通さないマリーの声を聞いて、げっ、と思った。


 思っていた以上に接近されている。

 マリーはいつも肉声が届く距離になると拡声器を使わなくなる。


 減速覚悟で振り返ると、もう30メートル程しか距離がない。


 国境まで残り100メートル程か。


 俺はペースを上げるが差がジワジワと縮まっていく。


「観念しなさいっ!」

「····しない!」


 何とか捻り出した声が彼女に届いたのかは分からない。

 けれど、マリーは勝ち誇ったように高らかに宣言する。


「今日で終わりにするわ!」


 気づけば真後ろまで接近されていた。

 しかし、横に並ばれなければ捕まらない。


 何故ならマリーは自分でネットを投げて俺を捕まえようとするからだ。

 前に投げても届かない。最低でも横に並ばないといけないのだ。


「今日は10メッシュの網を持ってきましたっ!」

「網の紹介はいいわっ!」


 ついツッコんでしまった俺は国境である、橋の向こう側で立っている門兵を見据える。


 城壁とかは無く、自国と隣国の間には向かい岸まで5メートルもない川があり、それが両国の境として何処までも続いている。そのため隣国に渡るための横幅が短いお粗末な木の橋がある。そこがいつものゴールになっている。


 あと50メートルくらいか。


 ここでスタミナが限界を迎えた。

 呼吸が苦しくなり、足が思うように動かなくなった。


 隣を並走していたマリーたちも減速する。


 馬がスタミナ切れを起こした──わけではなく、このままのスピードで走ってしまうと国境を越えてしまうからであろう。

 馬も急には止まれないし、台車を引いてる分自由も効かないだろうし。安全を考えての減速であるといつも思っている。


 息が苦しい。

 が、ここで止まるわけには!


「うおぉ〜!」


 雄叫びを上げながら最後の力を振り絞り、国境まで突進する。


 長槍を持った赤い軍服を着た門兵二人の顔がハッキリと確認できる距離まできた。その周辺には通勤前の隣国の民達が2、30人ほど立ち見している。


 平日のいつもの風景になっているので国境付近にはいつもギャラリーが、『今日もやってる』『今日こそは捕まるのか』と黄色い声を飛ばしている。


「姫様っ、これ以上はっ!」

「わかってるわよ、このっ!」


 横目でマリーがねっとを投げようと振りかぶったのが見えた。


「っ!」


 俺は歯を食いしばって右足で踏み切り、思いっきり身体を前方にダイブさせた。


 飛んだと同時に放たれたねっとはスレスレで俺のすぐ後ろに着地し、パスっという虚しい音をたてた。


 ゴロゴロと橋を転がりながら渡った俺は二人の門兵の真ん中で仰向けになって大の字で止まった。


「おはよう」

「知ってる顔だけど規則だから入国証見せて」


 門兵たちのニヤけ面にゼェハァ言いながらポケットから証明書を見せる。見せた時、悔しそうな声があがった。


「もぉー!」


 マリーは吠えていた。


 俺は呼吸を整えてから上体を起こし、追ってきていた王女様を見る。

 いつの間にか地面に降りていたマリーは空を仰いでいた。


「いくら隣国の姫様でも入国証が無いと入れられませんな」

「姫様だからこそ尚更」


 二人の門兵はいつものやり取りをしながら長槍でバッテンを作っている。


 マリーはそんな二人を無視して俺を睨む。


「明日こそは捕まえてやるんだからっ!」

「·····また明日な」

「くぅ〜!余裕ぶって〜!」


 帰るわよっと、家臣に言い放ち王女は台車に乗った。

 2頭の馬がひひんっと鳴ってから着た道の方を向く。


「それではまた明日!」


 こちらを一瞥してから放つマリーの声には悔しさと──どこか嬉しさが籠もっているように感じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る