異世界! 姉妹! 宿屋!①

 コンシェルジュという言葉は、本来フランス語では「アパートの管理人」という意味だった。


 それが今では、ホテルの宿泊客の要望をなんでも聞いて[要出典]サービスを提供する職業の名として使われている。


 コンシェルジュは宿泊客のあらゆる要望に応えることをその使命としており、「宿泊客の要望に対しては決してNOとは言わない」と言われていた。[要出典]


 を地で行く仕事なのである。[要出典]


 ――万物の理を極めた大賢者 ヴァン・アレンタイン[誰?]の著書『アンサイコロペディア』より抜粋





 その日、チーフ・コンシェルジュの浅間泰斗あさまたいとは奇妙な客と出会った。ホテルの最上階……それもロイヤルスイートの前でのことである。


「これ、そこのキミ」


 彼を呼び止めたのは腰の曲がった老人であった。中折れ帽にツイードのジャケット、首元にはループタイ、手にはステッキ。このような老紳士は宿泊客の中にはいなかったように浅間には思えたが、事実として老人はここにいる。


 エレベーターのロックを専用のカードで解除しなければ、そもそもこの階には入れない。そしてそのカードを持っているのは、ホテルの従業員と、ロイヤルスイートに宿泊する客だけである。


 となれば、やはり間違えているのは私のほうであろう……。


 浅間はそう解釈して、この老人をVIPと認識した。


「どうされましたかお客様」


 老人は浅間をしげしげと見たあと、彼の胸で光る名札に目を留めた。


「君はコンシェルジュか。コンシェルジュというものは、客の要望を断らないと聞いたのだが、それは本当なのかね」


 奇妙なことを尋ねてくる老人にも、怪訝な顔ひとつせず浅間は答える。


「お客様のおっしゃる通りでございます。力の及ばないことも多々ありますが、なんなりとお申し付けください」


 老人は杖をかつんと鳴らして、浅間の瞳をのぞき込んだ。


「ふむ。……実は潰れかけの宿屋があっての。私はその宿屋の娘に、店を立て直してほしいと頼まれておる」


 なるほど、と浅間はうなづいた。


「経営難の宿屋の業績改善でございますか。このホテルは経済界の著名な方々にも御利用いただいておりますので、事業や商売に関わることをご相談いただくことも多々あります。詳しくご相談いただければ、何か良いアイディアが出てくるかもしれません」


「ほう、それは心強い……。しかし、詳しくと言われても説明はできん。なんせ、娘に頼まれたのはつい先ほどでの」


 ということは、その娘も宿泊客か、あるいは来客としてこのホテルにいるのだろう。


「ではその宿屋のお嬢さまに直接、お話をお伺いしてもよろしいでしょうか」


 老人は片眉をくいっと上げて浅間を見上げた。


「それは助かるの。……だが本当によいのかね?」


「はい。お任せください。コンシェルジュはお客様のご要望にNOとは申しません」


 胸に手を当てて一礼する浅間。老人は少し迷ったようだったが、


「ふむ……。浅間泰斗よ、ならばお主に託そう」


 老人は目をカッと見開き、杖を振り上げる。


「――黄金と商いの神オーラムがここに命じる! 世界を呑みこみし蛇ヨルムンガルドよ、かのものを世界から食らい次元を越えさせよ!」


 ぽんっ、と浅間の足元に小さな生き物が出てくる。その長さは12センチ、直径は4センチほど。どこにでもあるトイレットペーパーの芯に似ているかもしれない。


 浅間は驚きのあまり、コンシェルジュにあるまじき表現をしてしまった。


「な、なんですか、この……バリウムを飲んだ次の日に出てくるウ〇コみたいな白くて短い蛇は!?」


 蛇は短いかまくびをもたげて、マーブルチョコのごとき丸い瞳で浅間を睨んだ。


「――だれがウ〇コじゃボケ!!」


「うわ!? ウ〇コが喋った!?」


「ウ〇コじゃねぇって言ってんだろ!?」


 ふしゅーっと威嚇の声を漏らすウ〇コ。ウ〇コのくせに不思議と迫力がある。


「す、すみません、言い直します!! ……な、なんですか、この……バリウムを飲んだ次の日に出てくる、白くて短い蛇みたいなウ〇コは!?」


「……いや、それって結局ウ〇コやん」


 ウ〇コ――いや、世界を食らう蛇ヨルムンガルドは、はぁとため息をついて言った。


「……ま、行こや」


 蛇は『ぐばぁ』と口を空けて、頭から浅間をのみ込む。10センチの蛇が大の男をのみ込むなどありえないことであったが、見る間につま先までのみ込んでしまった。


「なっ……いやだ……!! トイレットペーパーの芯みたいなウ〇コのウ〇コなりたくない!!」


 それがこの世界での、浅間泰斗の最後の言葉であった。





 春のうららかな午後。プロスペルの宿場町にある、宿屋の一室でのことである。


「お姉ちゃん! 本気なの!?」


 妹のアイリスがドアをどんどんと叩く。けれど姉のリリィはそれには答えず、床に並べたなけなしの金貨をじっと見つめる。


 ごめんアイリス。もうこれしか方法はないの……!


 リリィは両手を合わせて、指の関節が白くなるくらい握りしめた。そして強く強く祈る。


 ――黄金と商いの神オーラムさま……。どうか私たちをお助けください!


「駄目よお姉ちゃん! 今すぐやめて……!」


 妹の声も空しく、床に置かれた金貨がぱりんと砕け散る。そもの直後、黄金を表わす複雑かつ荘厳な魔法陣が床の上に浮かび上がった。


 そしてまばゆいばかりの光とともに――


 白い筒状のものが『ぽんっ』そこに召喚された。


 ……な、なにこれぇー!?


 そうリリィが気味悪く思うのも無理はない。この世界……『アルムンドゥラ』にそんなものは存在しない。


 召喚されたソレは、少女の目には、ただ白くて、ぺらぺらで、風がふけばころころ~と転がっていきそうな、ちゃちな物体にしか見えなかった。


 しかし……


「ひっ!?」


 おもわず後ずさるリリィ。ソレはどうやら物体ではなくて生物らしい。確かに自分の意思でぴくりと動いて、あろうことか喋りはじめた。


「あーもう……。ほんとめんどくさいことになってもうたやんか……」


 芋虫のようにひょいと顔(?)を上げる物体。その空っぽな中身をじっと見つめながら、リリィはかすれた声を出す。


「しゃ、しゃべった……!?」


 物体はリリィに気が付いたようだ。虚無しかない空洞をたたえた頭(?)を動かし、しげしげとリリィを見る。


「あんたが召喚したんやね。しかも『対価』はたった金貨一枚……。そりゃオーラムのジジイも困るわ……。ま、とにかく、あんたの望んだ条件に適うやつを連れてきたから、受け取り」


 ぐぼぉとキショい音を立てて物体の頭が膨らんだかと思いきや、そこから男がずるん……っと吐き出される。


 謎の粘液でずるっずるになった男は、まるでテ〇ガの中に忘れ去られたゴム製品のように哀れな有様であったが、かろうじて生きていた。


「……う……こ、ここは……。オーラムさまでしたか、あのお客さまは一体……」


 男のうめき声にはっとなったリリィは、びくびくしながらも声をかける。


「も、もしかしてオーラムさまに召喚されて……!?」


 男は床に手をついて、10人中11人が「微妙……」と評するであろう顔を上げた。


「た、たしかに私は……そのような名前のお客さまから頼みごとをされましたが……」


 ぱああっとリリィの顔に花が咲いた。


「やった……!! 召喚に成功したんだ……!! ええと、次は……」


 リリィはエプロンからメモ帳を取り出して素早く目を通すと、男に小さな掌を向けた。


「契約! 私の手を握って! ――私の名前はリリィ。あなたの名前を教えてください!」


 男はまだいまいち状況が分かっていない様子だ。言われるがままにリリィの手を握ると、ぼんやりとした口調で名乗った。


「浅間……泰斗ですが……」


 その名前を聞いたとたん、リリィの真ん丸で大きな瞳から涙があふれた。


「ああ、オーラムさま感謝いたします……! まさか『アダマンタイト』だなんて……。きっとすごい方にちがいありません……!!」


 ふんすふんすと鼻息荒くするリリィ。そんな彼女を存在しない目で冷めたく見ていた物体は、やれやれとため息をついた。


「何かやべぇ勘違いしとるね……。まぁ、喜んでもらえてなにより。じゃ、俺はこれで。あとはよろしくやで」


 物体が消えかけていた魔法陣に飛び込もうとしたとき、


「お姉ぇええちゃん――!! どりゃあああ!!」


 大きな叫び声とともにドアがはじけ飛んだ。跳び蹴りの勢いのまま狭い客室に飛び込んできたのは、髪型以外はリリィにそっくりな少女である。


「アイリス!?」


 リリィの姿を見るなり、アイリスはその首っ玉に飛び付いた。


「お姉ちゃん、怪我はない!?」


「う、うん……」


「本当に……!?」

 

 アイリスはリリィの全身にくまなく視線を走らせ、何も異常がないことを確認すると、へなへなと座りこんでしまった。


「よ、よかったぁ……」


「だ、大丈夫だって……」


 そう言ってへらへらと笑う姉の緊張感のなさに怒りを覚えたのだろう。アイリスは本来の彼女らしい表情にもどると、姉を鋭く睨みつけて叱責した。


「何考えているのリリィ!!」


「な、何って……。このままじゃお店が潰れちゃうから、召喚を……」


 ぐわっ、と鬼の形相になるアイリス。


「何も考えてないじゃない!! いい、リリィ。召喚にはリスクがあるのよ。たった金貨一枚で神さまを呼ぶなんて……! 下手したら、リリィが異形のモノになっていたのかもしれないのよ!?」


 たしかにその話はリリィも聞いたことがある。


 ある男は死した妻をよみがえらせようと、黄金の塊を対価に死の神を召喚しようとした。だが黄金が少なすぎたために死の神の怒りを買い、男は妻の死体と混ざり合った怪物へとなり果ててしまった。


 またある美女は自分にふさわしい美しい男を召喚しようとしたが、その傲慢さが愛の神の怒りに触れてしまい、醜い毛虫に変えられてしまった。


 召喚とは高いリスクが付きまとう行為なのだが……。


「でも大丈夫だったよ。私も、召喚に応えてくれたアダマンタイトさまも」


 リリィはそうのんきに言うものの、アイリスは半信半疑と言った様子で浅間をじっとりとねめつけた。


「……なにアンタ。……本当にオーラムさまに呼ばれてきたの?」


 ぽわぽわとした姉と違って、妹はずいぶんとつんつんしている。 


「え、ええ……」


 たじたじになる浅間をじろじろと見ながら、アイリスは「ふーん……」と小馬鹿にするようにうなづいた。


「死んだ魚みたいな顔だけど、たしかに異形とまでは言えないわね……。信じられないけど、運よく召喚が成功したってこと……?」


 呆れたと言わんばかりに肩をすくめるアイリス。するとそのすぐそばで何かがうごめいた。


「痛ってぇ……。なんで世界を呑み込む蛇と称される俺がこんな目にあうん……」


 転がっているドアの扉と床の間から、白いなにかがもぞもぞと這い出してくる。それを見るなりアイリスは全身の毛を逆立てて叫んだ。


「ギャ――ッ!! 異形! 異形!!」


 リリィの背中に隠れてがたがたと震えるアイリス。その様子に、物体は首(?)をかしげる。


「なんなん? 俺はちょっとばかし短いけど、可愛い蛇の姿よ? そんなふうに逃げんでもええや……ん?」


 と、そこで物体は気づく。そばに転がっていた銀色のドアノブに、直径4センチ全長12センチの白い筒状の何かが映っている……。


「そんな……これじゃ……まんまトイレットペーパーの芯やん……」


 この世界には存在しない謎の物体。まさにそれはしゃべるトイレットペーパーの芯であった。

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