久延毘古を尋ねて
1
眩い光を通り抜けて、目の前に広がる景色は先ほどまで生えていた木々でも緩やかな斜面でもなかった。
全くの見知らぬ景色に私はゆっくりと周囲を見渡すように首を動かす。視線の先には広大な田んぼが広がっており、ぽつりぽつりと小屋とも呼べぬ家が点在していた。遠くには山々が連なり、その高さはどれも今いる場所よりは低いようであった。少し空気は薄いものの、とても奇麗で美味しく感じられた。
黄昏時であったはずの空は、時間が巻き戻ったかのようにまだ青々としており、元居た場所から異なる場所へ来てしまったことが見てわかった。困ったことに、自分の背後を振り返っても、そこには田畑が広がるばかりで朱色の光輝く大鳥居はどこにも見当たらない。
おかれた現状に立ち尽くすのも束の間、私は姿を消した友人を探した。
「篠森!」
私と一緒に鳥居を潜り抜けた少年は、私よりも少し後方にいた。篠森のほうが私の姿に先に気づいていたのか、私が見たときには手を振りながらこちらへ向かっている様子だった。
篠森の顔を見た瞬間一人では無いことに安堵を覚えるとともに、再度現状を鑑みる。
私たちが通り抜けてきた大鳥居は少なくとも近辺には存在せず、どこにあるかもわからない。帰り道を完全にロストしてしまった可能性がある。もしかしたら一生帰れないかもしれないと背筋が薄ら凍り付く感覚を覚えた。
「ここはどこなんだ」
篠森は私が考えていることと全く同じことを言う。
「そんなの私も分らない。私たちが来た大鳥居もないし・・・」
「俺と夜月は少し離れた場所でここへ来た。もしかしたらもっと離れた場所にあるかもしれない」
「そうね」
呆然としていても埒が開かぬため、篠森と話しやや遠くにある民家らしきものを尋ねて歩くことを決めた。住民を探し、その人にここがどういう場所なのかを尋ねるためだ。
私たちは周囲で一番標高の高い山の中部あたりにいるが、眼下に広がる景色は何とも形容し難いものである。山の麓にあるような住民の少ない田舎町とも少し異なり、もっと神々しく威厳があるような、そんな景色だ。私自身、何とも言えぬこの景色に戸惑う。ただの景色のはずなのに、なぜこんなにも恭しく感じてしまうのか。時間の流れがゆったりとしており、全く知らぬ景色とまでは言えぬが、日本らしからぬ景色でもあった。
不可思議なことはそれだけではなかった。一番の特異事象を上げるのなら、この青い空にところどころある細長く美しい雲だろう。ぱっと見ればただの雲であるが、少し見ているとそうではないことに気づく。のんびりと気ままに流れる雲の形は、信じられぬほど奇怪に形を変貌させているのだ。先ほどまで天高く細長く線状に伸びていた巻雲も、一分ほどたつと高度を下げ靄がかったような層雲へと変化する。明らかに普通でない空に篠森は目を見開いて見入っていた。
知らぬ土地でありはするものの、これと言って戸惑うことはなかった。全くないといえば嘘にはなるが、それで取り乱すことはなかった。不安はある者の、頭のどこかは非常に冷静で置かれた現実をうまく受け入れていた。
ずっと聞こえていた謎の声も、鳥居を渡った瞬間にパタリと聞こえなくなってしまった。あの時、鳥居に近づくにつれて声は大きくなっていた。というよりも、鳥居の先から聞こえたと言ってもいいだろう。
私たちは民家へと歩きつつ、篠森の提案でこの世界で何ができるかを確認した。
持っていたスマートフォンの電源ボタンを押せば立ち上がるものの、時間は表示されず圏外と上に小さく書かれていた。電波の届かないところにいるようで、勿論位置情報も使用することはできなかった。ただのおもちゃと化してしまったのだ。強いて言うならカメラの機能くらいだろうか。撮れはするものの、そのデータが残ることはなかった。私と篠森のスマートフォンはただ電源がつくだけの小さな板となってしまった。篠森が身に着けていた腕時計も鳥居を潜り抜けた時間くらいで針は止まり、秒針すらも動かない。
この世界では元いた世界のものは使えないようだ。
カラン、カラン
畦道を二人並んで歩いていく。広大な田んぼには水が張られ稲が緑色に染まっていた。まだ植えてちょっとという所か、まだ完全に成長してはいないようで、実をつけるのもまだかかりそうだ。季節的には今いる場所も夏のようである。
見知らぬ土地に不安を覚えていたのかやや無口だった篠森は、普段ほどではないものの少し元気は取り戻したようで、きょろきょろと周囲を見渡しては新鮮そうに感嘆の声を漏らしていた。私と篠森では確実に篠森のほうが適応能力が高そうだ。
家が近づくと人影らしきものが畦道を歩いているのが見えた。
「あの人に声をかけよう」
そういって篠森は私の返事を聴くことなく、小走りでその人のもとへと向かう。
足元は下駄のため親指と人差し指の間が擦れて痛むが、点在する家同士があまりにも離れているため確実に歩いている人に接触をしたほうが良いと判断したのだ。
「すみません!」
篠森がその人に向かって叫ぶ。何度か篠森が声をかけるとのんびりと歩くその人は人の声に気づいたのか、ゆっくりとこちらを振り返った。
その人が振り返った瞬間、私も篠森も一瞬息が止まった。
あまりにも、その顔に驚いたからだ。
その顔は、まるで篠森と瓜二つであった。兄弟と言われても納得してしまうその顔立ちは、篠森と同じ顔で目を見開き驚いたような顔をした。
「これは、これは・・・。なぜ、あなたたちのような者がこの場所に?」
独り言のように驚いたなぁと言葉を続ける。姿かたちこそ似ていれど、話し方は似ておらず、通行人のほうがもっと落ち着きがあり、篠森よりも少しだけ声が低かった。しかし、にじみ出る優しい声質はそっくりである。
通行人は驚きつつもすぐに冷静さを取り戻すも、篠森は少し時間がかかるようで、上から下まで満遍なく自分のそっくりを眺めて、少し後ずさる。
篠森は頼りになさそうなので、私が現状について尋ねる。
「私たち、気づいたらここにいたんです。ここがどこなのか分らなくて・・・ご存じでしたら教えてくれませんか?」
「それはそうでしょう」
首をゆっくりと揺らしながら言う。
私は通行人の返事を少し以外に思った。声をかけたのはある意味掛けであった。その掛けの正体は、言葉が通じるかどうかだ。もし違う国へ来てしまったのであれば日本語は全く通じないはずだ。しかし、通行人は私の言葉を理解し私の知る日本語で返事をした。
どうやらここは日本のようだ。私は少し安堵した。
「初めての人に言うのも難ですが、こんなところで話すのにはやや長話になるでしょう。良ければ私の家に来ませんか。お茶の一杯でも出しましょう」
初対面の人の家に上がりこむのは気が引けたものの、かといって代わりの策もないためお邪魔することとなった。
もし悪人であったらとネガティブな思考が生まれるも、考えても仕方ないと言い聞かせる。篠森もいるし、そんな簡単には手をだしてこないはずだ。
「ぜひ、お願いします」
通行人はゆっくりと地面に置いていた荷物を拾い上げ歩き出す。私たちは五歩ほど後ろからついていく。
篠森と時折目くばせをして、何かあったときはすぐに逃げると誓う。
その人の家は近かった。五分ほど歩くと点在していた小屋の一棟につく。遠くから見ると古臭い小屋であったが、近づいてみると案外奇麗にされており、そこそこの大きさもあった。
彼は家の扉をガラガラと開ける。玄関で履いていた草履を脱ぐ。私たちもそれに倣い下駄を脱いだ。
中も奇麗で掃除が行き届いており、内部は外観以上に広いく木の匂いが微かに香る。昔ながらの木造家屋のようであった。
「さあ、上がって上がって。・・・ひたちー帰ったぞ」
青年は私たちを家の中へ案内するとともに、ひたちという人物を呼ぶ。ひたちが廊下を渡って出てくる。
「煩いぞ、和佐」
ひたちと呼ばれた人物は奥から声を張り上げる。どうやら男の人のようだ。
和佐という名前に先日篠森の家で勉強した時のことを思い出す。家系図のことだ。
私たちを案内してくれた少年は数奇なことに篠森神社の初代である篠森肇の長男、篠森和佐と同じ名前であった。
私は篠森に似た養子とその名前から篠森の祖先ではないかと勘繰ると、篠森も同じことを思ったのか、小声で、「あの人は俺のご先祖様だ・・・」と篠森が言う。
「本当にそうかもしれないね」と私は返した。
奥からひたちと呼ばれた青年が姿を現し、和佐に対して叫ぶなとお説教をしだすと、ふと和佐の後ろにいる私たちに気づいたのか、
「お恥ずかしいところを見せてしまいましたね。今は混乱としていられるはずだ。さあ、心を落ち着かせるためにもひとまずあがってください」
という。
まだ何も話していないにもかかわらず、まるでこの二人の青年は私たちのことを何でも知っているかのようであった。
居間に案内されると、ひたちがお茶を出してくれた。出されたお茶を口に含むと茶葉の香りが口内に広がった。思わず「おいしい」とこぼす私にひたちと和佐は顔を見合わせ嬉しそうに口元を緩ませた。
畳は最近張り替えられたばかりなのか、新しい匂いがし、緑色に輝いていた。私は
そっと畳の表面をなぞると和佐が張り替えたばかりだと教えてくれた。
一息つくと、何から話せばいいかわからぬ私たちに和佐のほうから話を切り出してくれた。
神隠しの森 貴志 一樹 @ichiziku121202
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