大鳥居
1
7月下旬、太陽の日差しが強まり気温も連日三十度を上回り、体からは何度拭いても際限なく汗が拭きでる、そんな季節。冷房の効いた教室も、チャイムの音と同時に少しでもドアを開くと一瞬にして蒸し蒸しとした湿気と生暖かい空気に体がさらされる。
数日前からテスト習慣ということもあり、今日の試験科目は終わったため皆そそくさと帰り支度をしては我先にと教室を後にする。私も例外なく、机に散らばった消しカスを一か所に集め手の上に落としゴミ箱へと捨てる。教室内では、速やかに帰っていくものと帰り支度をしながらテストの出来具合について盛り上がるもので分かれていた。
テストの回答を言い合っている会話を盗み聞きしながら、心の中で今回も赤点すれすれだろうなと思いため息をついた。筆箱をカバンの中へしまっていると一人の少年が私へのほうへ手を上げてやってくる。
「どうしたの?篠森」
私は篠森の顔を見ることなく声をかける。篠森は篠森定といい、家が比較的近い幼馴染で、小中高と常に同じクラスという驚異的な腐れ縁の友人である。
私の適当な反応に篠森は、「少しはこっちみろよ」と声を尖らせ冗談めかしに言う。
篠森はすでに帰り支度を済ませており、その肩には凹んだリュックが背負われていた。どうやら、テストにも関わらず教科書類を持ち歩くこともなくペンケースしか持ってこなかったようだ。
「もう少し教科書持ってくるとかしたら?」
私が篠森に言うと、
「俺は夜月と違って頭がいいから、今更教科書なんて読む必要ないからね」
と返事が返ってきた。揶揄われ少しむっとするも、事実なので何も言い返せない。
篠森は、私と同じように普段遊び惚けているにも関わらず、成績が非常に良い。常に試験成績は校内一位を独占しており、なぜ私のいるこれといって成績がいいわけでもない高校へ来たのか甚だ疑問である。中学校の時も常に首位にいたので県内一の進学校へ進学すると思いきや、だいぶ成績が下の学校へ行くと言い出した際は教師もクラスメイトも私もみんなが反対した。皆がこぞって篠森に理由を問いただすも納得する答えは得られず、気づけば高校受験が終了していた。そんな篠森に対し私の成績はこれと言って目だったものはなく、常に中の中を維持していた。
「たまには勉強教えてよ」
「勉強なんて教科書を暗記して、問題解くだけだよ」
簡単に言ってのけてしまうから困ってしまう。
篠森とはいつも一緒に登下校しており、最初のころは付き合っていると噂されもしていたが、あまりにも私の篠森への対応の適当さに、篠森が優しさで私に付き合っていてくれていると今では思われているようだ。
全く持って人聞きが悪い。
私には友達と言えるような人間が篠森しかいなかった。クラスメイトとは普段話すが、一緒に帰ったり遊びに行くほど仲がいい人はいなかった。私の中では皆と同じように普通に接しているつもりだが、周囲からは感情が読めない人と思われているそうだ。
騒々しい廊下を足並み不揃いで歩く。大きな窓から厳しい日差しが降り注ぎ、白い床面が反射して少し目を細める。
篠森と明日のテストについて話をしながら外靴に履き替え、おてんとうさまのもとへと出る。一気に夏を感じさせる生ぬるい空気が肌に纏わりつく。
じんわりと顔に滲む汗を、肩を頬へと寄せて乱暴にシャツで拭う。胸元をパタパタとはためかせると風が服の中へと入り、滲んだ汗が冷やされる。
私の家と篠森の家は歩いて数分のところにあり、高校からも近いため自転車で登下校をしていた。
鍵を外し、自転車を押しながら校門の外へと出、サドルにまたがる。ガチャンカチャンと軋むような音を鳴らしながらゆっくりと動き出す。通学路も二年目となるとだいぶ見慣れ、初めのうちは少しは新鮮味もあったが、今や全く何も思わなくなった。国道沿いに学校が位置するため車通りは多いが、横を見れば長く延々と田んぼが広がっている。植えられた稲は太陽を浴びすくすくと成長し、張られた水は太陽の光が反射しキラキラと輝く。私はそんな光景が好きである。
「結局、今日は篠森の神社でいいの?」
車の騒音にかき消されぬよう声を張り上げて篠森に尋ねると、篠森もわざとらしく大きな声で「そうだよ」と返す。
私たちは・・・、いや、私は人を探していた。誰だかわからない、顔も名も、年すら知らぬ人を探しているのだ。篠森にはそれを手伝ってもらっている。
私が人探しを始めたのはつい最近のことである。一か月ほど前のある日、篠森が放課後用事があり珍しく私一人で帰ることがあった。その時、とても美しい夕焼けを見たのだ。それは言葉では言い尽くせぬ、なんとも神秘的で心奪われる景色であった。赤く空を嘗め尽くした日の光は更に沈み、空が黄金へと輝く黄昏時である。いつもと同じ幾度となく見た空がその日だけは無性に心を掻き立てた。私の中に、強烈な既視感が生じたのだ。
この景色を私は知っている。小学校低学年くらいの時に、小さな体で仲の良かった少年と遊んでいた記憶。今まで忘れていた記憶が蘇ったのだ。ふと蘇った記憶に私は心が捕らわれ、自然と彼らが今どうしているのか気になったのだ。そこで話は終わらず、その夜不思議な夢を見たのだ。知らぬ声が私に呼びかけて謂うのだ。
―これは夢だ。夢はすべて灰燼と帰す。
周りには何もなくただ暗闇が広がり、どこからともなく声がする。だが、不思議と夢のせいもあってか恐怖を感じることはなく、私は「あなたは誰?」と問うのだ。すると声の主は、私の問いに答えることはなく淡々と抑揚のない声で話続けるのだ。
―ここへは来てはいけない。全て忘れなければならない。
男とも女とも区別のつかぬ中性的なその声色はまるで声変わり前の少年のようだった。
私はこの声を知らなかった。だが、どこか懐かしさを感じた。
目を開けると私の目からは大粒の涙が零れていた。何が悲しいのかも分からぬが涙は止まることなく溢れては頬を伝い、落ちた雫が服を湿らせた。
私にはどうしてもあの日見た夕焼けと不思議な夢とがたまたまだとは思えないでいた。だが、夢をその一度きりでそれ以降見ることはなかった。
一週間ほど前、ふとその話を篠森にすると、もう一度既視感を得れば何か思い出せるのではないかと言うのだ。そこまでそのことを深追いするつもりは無かったが、どこか気になるところではあったので、ここ最近はもう一度同じ体験をすべく夕焼けを見に一緒に出掛けていた。
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