神隠しの森

貴志 一樹

彼岸花、花言葉を君に

1

 夏とは思えぬ程涼しい森の中に忽然と存在する空地。そこでは、数え切れぬほどの蝉の鳴く大音声は、風によって揺らされる葉の音に溶け込む。


 永遠と思えるほどの幸せと優しさにつつまれた幼少期では、儚く散る命の音などただの雑音でしかなく、私の耳には一切入らなかった。気に留めていないと言ってもいいかもしれない。


  私たちの秘密基地で空地。学校が終われば自然と集まり夕暮れまで遊んでいた。空地と言っても山の中にあり、この場所までは細い獣道を通ってこなければならずいつも手足は草や木の枝で傷だらけになっていた。


  この日は鬼ごっこをして遊んでいた。私は隠れる役だ。鬼の少年が目をつぶって数を数える。この少年が私たち三人の中で最年長であり、いつも私ともう一人の小汚い少年の面倒を見ていてくれた。少年のカウントダウンが始まるや否や私と小汚い少年はバラバラの方向へと逃げた。

 

 丁度大きな木を見つけたので急いで登り、葉の陰に隠れる。


  鬼の少年は数を数え終えると、まるで分っているかのようにゆっくりと私のほうへ向かって歩いてきた。見つかってしまうのではないかと、心拍が上がる中、息をひそめて少年が通り過ぎるのを待つ。


「よるつきーそこら辺にいるんだろう」


  少年は私のいる木の真下で周囲を見回しながら私の名を呼ぶ。早くいけと心の中で呟くと、少年は手がかりを得ることなく諦めて後ろを向き反対方向へと歩いて行った。その後すぐに、小汚い少年が鬼に見つかってしまい、再び私は探されることとなる。


  少人数での遊びではあるが、毎日のように色々な遊びをした。鬼ごっこ、影踏み、縄跳び、ボール遊び・・・、この二人の少年となら何をしていても楽しく、どんなことにも本気になれた。


  私は再び少年が近づいてきたのが見えたので、音を立てないようにそっと更に木の上へと上る。木の上というのは離れたところからだと見つけにくいのだが、真下からであれば案外簡単に見つかってしまう。少しでも木の葉に隠れる場所を探した。


  そうこうして遊んでいるうちに、遠くから夕方を告げる音楽がどこかにある拡声スピーカーから流される。音楽が流れる前に必ずノイズが混じる。そのノイズ音がいつも寂しく感じた。もう帰らなければならない事が非常に残念で明日も一緒に遊ぶにも関わらず、まだ帰りたくないと思う。しかし、音楽がなったならば私たちはすぐに帰らなければならない。なぜなら、神隠しにあってしまうからだ。


  鬼の少年が「神隠しに遭う前に帰ろう」と大きな声で言う。


  昼は人間の時間であるが、夜は魑魅魍魎の時間である。魑魅魍魎は悪い神様で、遅い時間に遊び惚けるものを狙い、掻っ攫って食べてしまうのだという。子供は非力のためとりわけ狙われるのだ。だから、夕方の音楽がなったら早くお家へ帰らなければならない。


  私たちは魑魅魍魎が非常に怖かった。見たこともない、実在するかもわからない存在が尚更薄気味悪く背筋が凍るようであった。


  下を見るとすでに二人の少年は帰る用意をし、帰り道へと歩いていこうとしていた。私は置いて行かれると思い慌てて木から降りて「待って」と叫んだ。


  鬼をやっていた少年がこちらを向く。その顔は見えないが、優しく「早くおいで」と言う。私は少年のほうへと駆けていき、その手を握ると私より大きく骨っぽい手で私の手を握り返す。


  私が初めて知った男の子の手だ。


  私よりも少し高い体温に、手が温まると共に体が沸騰するように熱くなっていく。この熱が伝わらないようにと汗が二人の手の間で滲んだ。


  どこからか鐘がゴーンと響く音が聞こえ後ろを向くと、古びた大きな鳥居の柱と柱の間から真っ赤に染まる空が見えた。その美しい夕焼けに目を奪われ立ち尽くすと、少年が「早く帰らないと神様に怒られるよ」と帰宅を促すので、首を後ろに向けたまま私は歩きだした。


 この時、この日常は当たり前であると思っていた。大きくなれば、それぞれの道を歩んでいき、常に一緒に入られなくなるなんて思ってもいなかった。


 小さな体で見渡す風景は、大人の見渡すものよりもずっと狭いのだ。だが、狭いからこそふと気づいた更に広い世界に心が奪われて行く。常に、世界が新鮮で目新しいものであるのだ。


 烏が頭上でなく声が聴こえる。


 赤い世界を飛び回る、小さく艶やかな黒い体では一体どんな景色が広がっているのだろうか。想像もつかない景色、空を飛ぶ感覚、全てが興味対象なのだ。

 

 夕焼け小焼けで日が暮れて

 山のお寺の鐘がなる

 おててつないで みなかえろう

 烏と一緒に かえりましょ


 子供がかえった あとからは

 丸い大きな お月様

 小鳥が夢を 見る頃は

 空には きらきら 金の星

 

 遠くには田んぼが広がり、その畦道には真っ赤な彼岸花が咲き誇っていた。簡単に折れてしまいそうな儚げな花が咲き乱れる様子は圧巻であった。


 少年が言う。


「彼岸花の花言葉を知っている?」


 私は首を横に振ると、口元が微笑んだように見えた。


「いつか、夜月も分かる時が来るよ」


 結局花言葉は教えてもらえなかった。

 

 ただ一言、


「彼岸花、花言葉を君に」

 

そう付け加えて、この他愛もない話は終わった。


 私の小さな歩幅に少年は嫌な顔せず合わせてくれた。道中も先を歩き、草がお生い茂っているところは私のためにどかしてくれた。後ろを歩くと彼の優しい、お花のような柔らかな優しい香りが鼻腔に入った。私の大好きなにおいだ。


 後に知ったことであるが、彼岸花には「情熱」「悲しき思い出」「あきらめ」「独立」の意味があるそうだ。


  気づけば一緒に遊んだ少年たちとは疎遠となり、かの少年たちのことを忘れていた。今やどこで何をしているのかも分からず、あの日少年が何を伝えたかったのか、未だに私にはわからず、知る術もなかった。


 大人たちに聞いても二人の少年の所在を知っている人はいなかった。そのうち私も二人の少年のことを忘れてしまった。


  もし叶うのならば、もう一度あの優しい少年と小汚い私よりも小柄で実の弟のように可愛がった少年ともう一度会いたい。会って何ができるのかわからないが、久しぶりだねとお茶でも一杯できたらどれほど素敵であっただろうか。叶わぬ願いに涙が一滴零れた。

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