第7話 Easy On Me
十六時間前。
アマラは遺体検案室の扉の前でギルモアと向かい合っていた。
「新たに発見されたフィルム。あれを見て、君は何と言ったか覚えているかね、バーネット捜査官」
「フィルムに被害者の血液も付着していたのではないかと」
「なぜそう思った?」
アマラはなぜそれを今確認する必要があるのか。少々回りくどい会話に苛立ちつつ、訊かれたことに答える。
「被害者がカメラの前に倒れた時、首から出血していましたから」
「床を濡らしていたのが血液だという証拠があったかね?」
鋭い視線で問うギルモアに、アマラはハッとした。
「思い込みだというのですか? あの液体は血液ではない可能性があると?」
察した様子のアマラにどう告げるべきか逡巡したギルモアが、短く吸った息を細く長く吐き出した。
「あのフィルムは当然ながらモノクロームだ。色は付いていない。しかも画像は不明瞭。他ならぬ私もそうだったが、不思議と赤い血液に見えただろう?」
「はい。確かにそう見えました。先入観、でしかないですね」
アマラはため息とともに映像を思い返して感想を述べた。
「司令官はいつ捏造の可能性を?」
「君の口から『復讐』という言葉を聞いてからだよ」
アマラはギルモアが自分を外に連れ出す前に「目的は復讐ではないかと言っていたね」と確認をとっていたのを思い出した。
「復讐は当然ながら復讐する相手が必要だ」
「ええそうですね」
「そう考えると、犯人の復讐の相手は警察組織。特にバーネット捜査官、君に矛先が向いている気がするのだよ」
アマラはその意見が納得できなかった。警察組織が相手と言うならよくある話だ。だが、変な考え方だが、自分はウイスキーマンのようないわゆる「大物」の手口で復讐されるほど価値がある人物ではないと思っていた。
「私はこれまで、重大な犯罪捜査に加わることはあっても、そこで大きな功績を上げたり、犯人に復讐心を抱かせるほど目立った活躍をした記憶はありませんが」
ギルモアはじっとアマラを見つめている。その瞳の色にアマラが感じたものは慈悲だった。
「見方を変えよう。復讐される側ではなく、復讐する側の話だ」
自分にとって良くない話が始まる。そう感じたアマラは生唾を飲んだ。
「五十年前のフィルム。ドクター・ミンズがカメラに近づいた後、誰かが襲われてカメラの前に倒れ込んだ。これは、明確に顔を捉えていないとはいえ、ドクター・ミンズが襲われたとみて間違いないだろう。声と服装が一致しているからな」
アマラはテレビ放送でも何度となく流されているウイスキーマン事件の取り調べ映像を思い返した。
取調室にいるのはたった二人。バーネット刑事と、精神科医のドクター・ミンズ。
七件目の殺人の証拠が揃い、椅子に縛られていたバーネット刑事相手に、ドクター・ミンズは八ミリフィルムの前で何度もウイスキーマンは幻想だと説明する。連続殺人の犯人が現役の刑事らしいというだけでも世間の注目を集めたが、犯行はバーネット刑事にしか見えないウイスキーマンという男だという話は、後に世界中で書籍や映像作品、楽曲などのネタとなった。
そのバーネット刑事は、アマラの大叔父の従兄弟。つまり、祖父の従兄弟でもある。六親等という薄さではあるが同じ血が混ざっている。少なくとも逮捕されるに至った七件目の殺人を犯した人間の。その事実がアマラの身体を沼に引き摺り込もうとしている。
「復讐しているのはドクター・ミンズの関係者、ということですか。その人が少なくとも七件目の殺人を犯したバーネット刑事の関係者に復讐していると?」
やはり雲を掴むような話、証拠も何もない推測の域を出ない話に、自分自身がターゲットとして物語のキャストに加えられていることに、アマラは不機嫌な表情を隠さなかった。
「私はそう睨んでいる」
「でも最後にドクター・ミンズが倒れた時、バーネット刑事はまだ椅子に縛られていました。今回発見されたフィルムが本物でも偽物でも、その事実は変わりません」
自分の話が紛れもない事実であり、自身が復讐される理由はないと確信しながら話しているアマラだったが、言葉を重ねるごとに胸の内にざわめきが広がっていた。
「だから、第七の殺人の被害者家族が復讐するならまだしも」
「バーネット捜査官」
「はい」
言葉を遮られ、僅かな沈黙が流れる。
「ドクター・ミンズには一人娘が居てね。非常に小柄だったらしいが」
「何の、お話でしょう?」
「ミンズのスペルはMinnsだ。ここまで言えば想像つくだろうが」
「小柄な女の子で、ミンズ。きっと男の子たちからは
ギルモアは瞬時に答えたアマラに苦笑した。彼が想像した以上に情報処理能力が優れている。「バーネット捜査官の能力についての認識を上方修正したほうが良さそうだ」と心の中でメモを書き留めていたが、アマラはその認識をさらに書き換える発言を平然とした。
「その娘が母親になった時、自分の子供は決してミニなどと呼ばせない。そう考えたというわけですか。それでミニとは反対意味を持つ名前を」
ギルモアは目を剥いた。その推理に行き着いた驚きももちろんあったが、アマラがギルモアを最も驚かせたのは、その発言の最中、表情を一切変えずにいることだった。
「大叔父の死亡検案書を書いて、耳を他人の物とすり替えたのは、家業として医師を継いだドクター・ミンズの孫。そして、一連の殺人も。しかし、ギルモア司令官が先ほど」
「アリバイの話だろう? ジェイの奴が冗談でも容疑者に対して時期尚早に嫌疑をかけた。だから咄嗟に出た出鱈目だ。信じたくて調べていたのは嘘じゃないがな」
アマラは扉の向こう、遺体検案室内に目を向けた。そこには白いすりガラスが中からの灯りを受けて、モノクロームの淡い光を映すだけで中の様子は窺い知れない。
それはアマラの目から見て、復讐の色に染まってしまった同僚の心の中も同じことだった。フィルムに付着している血液に見せかけた液体の解析をしながら、何を考え、感じているのか。
「おびき寄せて、みようかな」
「おびき寄せる? 一体誰をだね?」
「ウイスキーマンと、彼女を」
そうして前夜に大量のウイスキーを飲んで酔い潰れたアマラだったが、結局狙いの人物からの接触はなかった。ただ、いつものようにジェイが横にいるだけだ。
そのジェイに向かって、アマラが一の矢を放った。心の中で「
「ジェイ、間違っていたらバカな私を許してほしいんだけど、あなたが共犯者でウイスキーマン役なの?」
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