第6話 You, Me And Everything

「ギルモアから何を言われたか知らねえが、さすがに飲みすぎじゃないのか?」

「待っているのよ」

「待っているって、ディテクティブ。もしかしてと思うが」

 手にしていたロックグラスを強めにカウンターへ置いたアマラは虚ろな目をしている。

「ウイスキーマン。きっと現れる。私の前になら」

 カウンターに両手をついて立ち上がったアマラはふらついた。その身体をジェイが支える。

「おい、頼むよディテクティブ。俺には訳が分からん」

「早く出てきなさいよ。探しているんでしょ? 私の血を」

「血? 気味悪いこと言ってないで。ん? ああ、まったく」

 アマラはジェイの腕の中で寝息を立て始めた。ジェイは盛大に嘆息してアマラの腕を自身の肩に回した。

「マスター、俺のケツにカードが入っているから、それで会計してくれ」

「ゲイ野郎のケツになんか触りたくないね」

「嘘つけ。この前酔ったときに」

「ああ、ああ、とりあえず後でいいって。明日でも構わんさ」

「このお嬢さんをベッドに寝かしたら戻ってくるよ。裸のカードを咥えてね」

 そうウインクして言ったジェイに向かって、マスターは野良猫を追い払うように手を動かしていた。


 アマラは一人、大型モニターの前で四千五百枚の画像を一枚ずつ見ていた。

 取調室で行われた惨劇。被害者の顔は見えない。そして、耳を切り落としたウイスキーマンと思われる人物の顔も。

 ひと通り見終わったアマラは、デジタル処理される前の、ネガ画像をスキャンしただけの証拠として効力を持つ画像を見始めた。

「バーネット捜査官、ここにいたのか」

「ギルモア司令官。どうしても気になって」

「ウイスキーマンの正体が、か?」

「もちろんそれもですけど、被害者の血液の件と、ドクター・ミンズの話。それと、消えた捜査官。他にも気になることだらけで。七件目の殺人もそう。頭がパンクしそうです」

 リモコンを操作するアマラの隣にギルモアが立つと、腕組みをして唸り声をあげた。

「被害者の血液からDNAが取れたらよかったのだがな」

「それはさすがに無理でしょう? 五十年前の血液ですから」

「マキシ君も色々苦心してくれているが、バーネット君の大叔父の遺体に付けられていた耳の持ち主もまだわからん。ピーターとコンセルジュ殺害の手掛かりも見つからん。君一人にこれ以上捜査の負担を掛けるわけにもいかんしな」

「ジェイがいますから。彼はいい加減なところも多いですけど、それもたまには気が紛れて」

「ジェイ? それは君の家族かね?」

「え? ジェイムズですよ」

 アマラは眉間に皴を寄せた。ギルモアもアマラがジェイムズのことをジェイと呼んでいることは当然知っている。

「ジェイムズ。爆発物処理班のジェイムズ・アローか?」

「いや、彼じゃなくて。うちの」

 アマラはそこまで言って続く言葉を見失った。続けるべき言葉がどこを見渡してもない。

 ジェイの所属は? ラストネームは?

「何を言っているんだい、ディテクティブ」

 脳内で再生されたジェイの映像も声も、ディスプレイに映された被害者やウイスキーマンのようにノイズにまみれている。

「申し訳ありません、司令官。とりあえず彼を捜してきます」

「とりあえず、ね。おかしなことを言うな、君も。かなり疲れが溜まっているんじゃないのか?」

「そうかも、しれません。けど! 本当に、とりあえず捜さなきゃ」

 そう言って速足で部屋を去るアマラの背中に、ギルモアの呟きが届いた。

「バーネット捜査官にとってのウイスキーマンは、そのジェイって奴のようだな」


 ロンドンの街に出たアマラは、とりあえずヴォクソールタワーを目指した。

 この日はテムズ川から湧き出るように広がる霧が、街中を覆っている。

「アマラ! どうしたの、そんなに急いで」

 仕事場へと向かっていたマキシが、かなり慌てた様子で歩くアマラを呼び止めた。しかし、アマラは歩調を緩めただけで止まりはしなかった。

「ちょっとジェイを捜してくる」

 そうマキシに告げた瞬間、アマラを悪寒が襲った。マキシが首を傾げたからだ。口を開こうとしているマキシに、アマラは心の中で「やめて!」と叫んだ。だが、その叫びは届かない。

「誰? ジェイって」

「嘘、でしょ」

 アマラは涙が零れそうになるのを必死で耐えた。頭を押さえた手が、髪の毛ではなく、柔らかいニット帽に触れた。

「これ! この白いニット帽! ジェイが私に貸してくれた」

 そう言って脱いだニット帽は、耳の辺りが血に濡れていた。アマラは慌てて自分の耳に触れる。

「い、いや!」

 アマラの耳は、いつの間にか削ぎ落されていた。


「お目覚めかな、ディテクティブ」

 アマラは脈動の度に襲ってくる鈍い痛みに頭を揉んだ。そして、ふと思い出し耳がそこにあるか確認した。

「ある。耳が」

「なんだよ、絵に描いたような悪夢を見ていたのか?」

 アマラの視界の中で苦笑するジェイの姿を認めて、アマラはベッドに引きずり込むようにジェイを抱き寄せた。

「おいおい、ディテクティブ。とりあえず落ち着けって」

「とりあえずって言うなら、とりあえず落ち着くまでこうさせて」

「ふう、わかったよ」

 悪夢にうなされていたらしいことだけしか分からなかったジェイも、仕方なくアマラの好きにさせた。

「あなたも、私も、世界も、全てが霧の中に沈んでしまうかと思った」

「そんなことにはなってないよ。とりあえず今は、ね」

 徐々に落ち着いてきたアマラだったが、夢の中でギルモアが口にした「ジェイが自分にとってのウイスキーマン」という言葉が妙に引っかかっていた。

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