第5話 Raise Your Hands
ロンドン北西部の墓地。埋められて間もない棺が、数人のスーツを着たNCA捜査官達に見守られる中掘り出されている。
「事件性はなかったんじゃないのか?」
「そう聞いています。検死報告書を見ても疑わしい所は全く」
捜査官同士で、掘り出される待ち時間を潰すように話をしている。
「よし、ここへ降ろしてくれ」
亡霊目的で訪れている観光客の好奇の目を遠くにし、棺の蓋が開けられる。腐敗臭に備えて口を覆う捜査官たちの中にいて、一人の若い女性捜査官だけは両手を足の横で握り締め、息を飲んで遺体の顔が現れるのを待っていた。
「火葬されなかったのが幸いとなるか。どうだね、ベネット君」
声を掛けられた女性捜査官は首を横に振った。
「バーネットです。クラーク特別捜査官。アマラ・メアリー・バーネット」
「いや、済まない。で、遺体の状態は?」
アマラは再び首を横に振っている。
「あります。両耳とも」
アマラは嘆息の後、声に出して眠りを邪魔した詫びをし、遺体の顔の周りで土色に変化しつつある花弁を退かした。
「いや、待ってください」
「両耳とも付いている」と捜査官の間に伝播している中、アマラが陽の光の下でありながらも、自分の影が落ちる遺体の顔をハンドライトで照らした。その明かりを振りながら空いた方の手で遺体の耳を掴んで、繰り返し軽く引っ張っている。
「どうしたね? バーネット君」
今度は正しく呼ばれた名前に、アマラはクラークに顔を向け、唇を噛んだ。
「耳が、縫い付けられています」
「何?」
今度は違うざわめきが捜査官の輪に広がった。
「念の為に聞くが、スコットランド・ヤードのクラーク特別捜査官に怪しい所は?」
「皆無ですね。おそらく『ベネット』の線で追っても何も出ませんよ」
ギルモアの質問にアマラは自信を持って答えた。
この数日で、遺体検案室にアマラ、ジェイ、ギルモア、マキシの四人が集まる機会が増え、第二の捜査本部のようになっている。
今検死台の上に乗せられているのは、現在アマラたちが住んでいるヴォクソールタワーの部屋で遺体が発見された、アマラの大叔父だ。その大叔父を前に、アマラが現地には行けなかった司令官のギルモアをはじめ三人に対して、墓地から遺体を引き上げた時の状況を説明していた。
「犯人が周りの観光客に紛れていた様子もなしか」
一般人が近寄らないよう、制服警官による前日からの警備の中、墓を掘り起こすという作業は非常に目立つ。それを逆手に犯人も誘き寄せられれば、他の観光客とは違う種類の視線を向けていたはずだが、そのような者はいなかった。
「結果、出たよ。『ベネットさん』に届けられた箱の中の耳と、アマラの大叔父様のDNAは完全に一致。間違いないね。ちなみに縫い付けられている耳はデータベースにない。ただ、大叔父様の耳も、付けられていた耳も、生きている間に切られているね」
「それって結構絞り込まれるんじゃねえか?」
「医療設備が使える環境にある医者、またはその知識と技術があるものってのは前から分かってたことだし。それに、外耳の接合なんてそんなに難しくないからなあ」
「ああ、そうかい。そういえば、目の前にいるなあ、その条件に該当するの。名前を間違えて伝えたのも、よく知る人間だというのを隠すためだったりして」
ジェイがニヤついた顔でマキシを見ている。
「何ばか言ってんの」
マキシは僅かに狼狽して言い返した。
何らかの犯罪行為を疑われた場合、その疑いを晴らすのは容易ではない。そのことをマキシも承知しているからこそ、ジェイの冗談もただの冗談として受け流せないのだ。
そして、そう感じていた人物はこの場にもう一人いた。
「マキシにはアリバイがある。無理だ。コンセルジュに接触する機会もなかった」
ギルモアはあっさりとそう言ったが、マキシがそのギルモアの正面に立って、腕を腰に当て下から睨みつけた。
「ジョージ、あたしを疑って調べてたの?」
「逆だよ。疑われるようなことがないように、調べていただけだ」
そう言ってマキシの右肩に手を置いたギルモアに対して、マキシはギルモアの左胸の上を拳で突いた。
「百パーセント信じてたら調べる必要もないじゃないの」
「世の中に百パーセント信じられることなんてないよ」
アマラが慰めになるのかならないのかよくわからない言葉をかけて、話を戻した。
「大叔父の死自体には事件性はなかった。でも、耳は切り取られて保管されていた。そして、ピーターとコンセルジュは殺害され、耳を切り落とされている。この三件、同一犯だと思う?」
アマラの質問は、マキシに向けられていた。耳を切り落とすという手口だけでなく、その特徴に共通点があるのか専門的な目で見ての判断を聞きたかった。
「難しいね、ジョージじゃないけど百パーセントだとは言い切れないよ。特徴だけで言えば、せいぜい五パーセントくらいかな」
「五パーセント! そんなに低いの?」
「使われているのは医療用メス。そして右手で切られている。分かるのそれくらいなのよね。当然だけど、接合以上に切断なんて簡単だし。だから五パーセント。もしかしたらもっと低いかも」
落胆するアマラにジェイが慰めの言葉をかける。
「切り落とし方だけ見れば特徴がないってだけだろ? そもそも耳を切り落とすって行為自体が特徴的なんだから」
「そうだけど、真似しようと思えば誰でもできるってことでしょ?」
「誰でもできるかもしれないが、誰もが必要には迫られないだろう。殺人を犯すなんてね。ましてやウイスキーマン事件を真似て耳を切り落とす、など」
そこまで言って、ギルモアは自身の顎を撫でて思考を巡らせた。
「バーネット捜査官」
「何でしょう?」
「目的は復讐ではないかと言っていたね」
「ええ」
ギルモアはアマラの目を見てまた暫く考え込んだ。そしてゆっくりと口を開く。
「バーネット捜査官、君は大きな運命の輪の中を走らされ続けていると感じることはあるかね?」
これまでの話の内容とは全く異なるギルモアの問いに、アマラは首を傾げたが、やがて頷いた。
「はい。あります。特に今回の事件では」
「うむ。少し外で話そう」
ギルモアがアマラの肩を抱き、遺体検案室の扉から外に出ようとしているのをジェイが呼び止めようとしたが、マキシがそれを止めた。
「ジョージが外で話すのは、あたし達に聞かれたくないからじゃなくて、アマラのためを思ってだよ、きっと」
「それってどういうことだよ?」
「わかんないけど、運命の輪から抜け出そうと彼女が手を伸ばしたら、その時に手を掴んであげるのが友人の役目でしょ?」
ジェイはマキシの言葉を聞きながら、すりガラスの向こうに並ぶ二人の影を見て舌打ちをした。
「何の話だったか訊いても話してくれねえんだろうな」
「ジョージも絶対『誰にも話さないでくれ』って念を押しているよ、きっと。ま、そもそもジェイもアマラに何の話だったかなんて訊けもしないでしょ?」
「ふんっ、お兄ちゃんだからな。妹が心配なだけだよ」
暫くして遺体検案室に戻ったアマラの顔が青白く見えたのは、検案室の白い照明のせいだけではなさそうだった。
「運命の輪から抜け出したかったら、いつでもその手を上げろ。俺が引き上げてやる」
ジェイの力のこもった言葉に、思わず瞳を潤ませるアマラだった。
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