第4話 ささくれにネイル・ポリッシュ

「ジェイ、気になることがあるんだけど」

 遺体検案室のベッドの上で目を瞑り、物言わぬピーターの顔を見ながらアマラは呟いた。

「『べネットさん』だろ? ディテクティブ・バーネット」

「誰だ、それは?」

「誰? ベネットさんって」

 ギルモアとマキシが同時に同じことを訊いた。

「この人、ピーターがそうやって呼んだのよ。確信を持って、私たちを」

「確信を持って、とういうのは、この被害者が確信を持っていた、ということかね」

「そういうことですね。その後に『あなたたちに渡すように頼まれた』と言って箱を差し出してきたって流れです」

 アマラとジェイの説明に、ギルモアが腕を組んでピーターを見下ろした。

「ベネットって呼んだのは、単純にその時間違えたか、指示を受けた時に聞き間違えた、とも考えられるが、よくあると言えばよくある間違いだろう?」

「ええ。実際よく間違われますからね。私もあまり気にしていません。ただ」

「気になるのは、二人に向けて同じ名で呼んだ、というところか」

「はい。私たちが『バーネット兄妹』だと思っている人間は限られます」

 アマラの言葉を聞いたギルモアが、指を折りながら「管理会社、オーナー、リファランスカンパニー、コンセルジュ」と呟いている。

「ギルモア司令官、今回リファランスは提出不要という条件でしたので、リファランスカンパニーは除外されます」

「なるほど。契約書関係は顔写真付きか?」

「ええ、主契約者として私だけですが、写真付きIDを提出しています」

「ならば、管理会社の人間で、資料を閲覧できる権限、いや、権限がなくともそのチャンスがある者なら『バーネット兄妹』の少なくとも妹の顔は知れる状況にあるわけだな」

 ギルモアがそう言って嘆息したのは、該当者が多く、絞り込むには時間がかかるというこの先の作業を思ってのことだ。だが、アマラがその心配を払拭した。

「でも、今回の件では、顔と名前よりも重要な情報が必要だったはずなんですよね」

 それは何か。その回答を要求する顔でアマラを見たのは、ギルモアとマキシだけでなく、アマラの隣に立つジェイもだった。

「そんなに注目されると照れるんですけど。ピーターはザ・タワーのあるセント・ジョージ・ワーフの敷地の外、横断歩道の先で私たちを待っていました。名前は間違えても、あの場所で私たちに向かって自信を持って接触したのですから」

「行動パターンを知っていた、か」

 手のひらを打ったギルモアにジェイも「なるほど」と頷く。

「そういうことか。俺たちを兄妹と思っていて、あの時間に俺たちがあの道をあの方向に向かって歩くのを知っている人間は限られる。一番可能性が高いのは、というか、今の段階で俺が唯一思いつくのはコンセルジュただ一人」

「私も同感。他に思い当たる人間はいない。昨日の朝、エントランスで彼を見かけた記憶はないから、もしかしたら、ピーターの横に居て私たちがアパートを出たところで『あの二人だ』って教えてすぐ姿を消したのかもね」

「ああ、それに『職場に着いてから』という指示は、単に時間稼ぎだったのかもな」

「うん。私もそう思う」

 現時点で被害者ペーター・キューパーの生きた姿を見た最後の二人が同じ意見と見て、ギルモアは二人に指示を出した。

「コンセルジュを引っ張ってこれるか?」

「ヴォクソールタワーのすぐ外で最後に目撃された男が被害者ですから、知っている人物か見てほしいとでも言えばできなくはないでしょうけど。ただ、私たちの身分を明かすのはまだ。彼が第一容疑者だとしても、確定ではありませんので」

 慎重なアマラの意見に、自称楽天主義のジェイは「別にいいんじゃねえの?」と口を尖らせていたが、ギルモアはアマラの意見を尊重した。

「確かにそうだな。まだ二人にはあの場所で捜索してもらいたい」

「あ、そうか。確かにそうですね」

 意見を合わせたジェイの本心が透けて見えたアマラは、ジェイを軽く睨んだ。その視線に、ジェイは小さく舌を出している。

「コンセルジュには別の捜査員を接触させよう」


「私たちが容疑を向けたから?」

「そんな考え方はしないでくれよ、ディテクティブ。殺人者の動機は何であっても、殺人っていう行為に至るのは他の誰かが悪いわけじゃない。罪を犯した本人だけだ」

 ジェイの慰めも、三日前にピーターが横たわっていた検死台に居るコンセルジュを目の前に、アマラの心には届いていない。ただ耳に音として入っただけだ。

 そしてコンセルジュの耳は、ピーター同様切り取られていた。

 さらに共通点として、人によっては泥酔する量のアルコールが血中から検出されていた。

「ささくれにネイル・ポリッシュを塗るみたいに人を殺して自分を守ってる(※筆者注)」

「では、犯人にとっての本質的解決はなんだ」

 ギルモアがアマラに問うも、完全な答えを求めたものではない。捜査官としての意見を訊いているのだ。

「復讐を遂げること。のような気がします。まだ勘としか説明できませんけど」

「復讐か。誰に向けた復讐だというのか」

 嘆息するギルモアにアマラも釣られたように息を吐いた。

「ウイスキーマンの犯行を真似ているんだ。普通に考えてあの事件関連じゃないのかい?」

「真似ているって、言い切れる? 五十年前の七件目の事件だって、模倣犯による犯行である可能性が高まったのは、あのフィルムが発見されたからでしょ?」

 アマラの意見に、ギルモアも頷いた。

「それに五十年前の事件も、今回の事件も、耳が切り落とされていることは発表していない」

 二人の言い分にジェイは唸ったが、検視官のマキシは平然と口を開いた。

「前の事件、五十年も前だよ。あの時の犯人が生きていたとしても、こんな立て続けに犯行に及ぶ体力があるかなあ?」

 事件が重なるごとに手がかりが増えるどころか、解決が遠のいているような状況に、四人の口は重くなっていった。


(※「ささくれにネイル・ポリッシュ」とは、問題の表面部分のみを安易な方法で隠しているが、その実、問題の根本解決を先送りにしている状態、または問題自体を悪化させている状態を意味する言葉)

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