闇に棲むモノ

ほのぼの太郎

第1話

 私は小説家です。書くことを生業としています。

 私の家は森の中にあります。町から遠く離れた鬱蒼うっそうとした森です。その奥深くに建つ、寂れた一軒家が私の家です。

 そのような辺鄙な場所なので、人がふらりと立ち寄ることなどありません。現れるのは、週に一度、食料を持ってきてくれる配達人と、書き上げた原稿を持ってゆく郵便夫くらいです。

 私が、彼らに姿を見せることはありません。

 家のドアの前には蓋付きの大きな木箱が置いてあります。そこに配達人は一週間分の食料を入れてくれます。支払いは、木箱に小さな布の袋が掛けられており、その中にお金を入れておくのです。薄暗い森の、ぐねぐねと曲がりくねった小道を歩き続けて、ようやく現れる一軒家です。お金を盗まれる心配などありません。原稿の方はというと、電話を一本かけて、木箱に入れておけば、次の日には郵便夫が持っていってくれます。ですから彼らは、私の姿を見ることなどないのです。

 私は、陽が沈んでから目を覚まし、陽が昇る前に眠ってしまうという生活をずっと続けています。

 陽が出ている時間は、家中の窓を閉め切り、遮光カーテンを引きます。部屋の灯りはすべて消し、私は寝室のベッドに身をひそめて眠りにつくのです。窓を閉めてしまえば、昼間でも、家の中は水を打ったような静けさに包まれます。ですが、家に近づく人の足音だけはすぐにわかります。かすかに聴こえる鳥のさえずりや、風でざわめく枝葉の音には、眠りを妨げられることはありません。でも人の足音が聞こえたときだけ、ぱっと目が覚めてしまうのです。といってもその足音は、配達人か郵便夫のどちらかに決まっています。

 いつも足音は家の前で止みます。ほどなくして木箱の開く音がします。少し古くなった蝶番ちょうつがいの軋む音を、私の耳は、はっきりと捉えるのです。すぐに蓋は閉められ、それが配達人であれば、布の擦られる音も聞こえてきます。食料の代金を確認する音です。

 その後、すぐに足音は聞こえず、決まって、少しの間が空きます。

 おそらく家の様子をうかがっているのでしょう。彼らは何者かがこの家に住んでいることを知っています。それでいて、いつ訪れてもカーテンは閉め切られ、家主を見ることができないのです。気にならないわけがありません。もしかしたら忍び足で一階の窓外に近づき、カーテンのわずかな隙間から室内を覗いているのかもしれません。寝室は二階にあります。その間、私はベッドの中で息をひそめ、じっとしています。しばらくすると、あきらめたかのように足音が聞こえ、そして遠ざかってゆくのでした。

 陽が沈むと、私は目を覚まします。カーテンを開けて、夜空を見上げます。月が出ていると心が踊るのです。そんな日はシャワーを浴びたあと、寝室にある鏡台の前に座り、綺麗にお化粧をして、散歩へと出かけます。私は肌が弱いので、どんなに暑くても、肌を露出することはありません。長袖の、白いお気に入りロングワンピースを着て、森の中を歩くのです。それでも月の光を浴びながら、森の中を歩くのは格別です。私にとってこの森は庭のようなものです。夜であっても、決して迷うことなどありません。

 散歩から戻ると、もう一度シャワーを浴び、食事をとります。食事を終えると、小説を書くのですが、その前に、嫌な仕事が一つ待っています。

 〈あれ〉に餌をやらなければなりません。

 一階の一番奥の部屋、鍵付きの頑丈なドアを開けた、その部屋の床には扉があります。扉を開けると、地下室へと続く階段が現れます。地下室に灯りはありません。私はランプを片手に階段を下ります。もう片方の手には餌の入ったバケツを持っているので、両手はふさがった状態です。私は足もとに気をつけながらゆっくりと階段を下りるのです。

 扉を開ける音で、〈あれ〉は餌の時間だと気づきます。〈あれ〉は耳が良いのです。脳へ直接突き刺さるような、気味の悪い唸り声が地下室の壁に反響します。ランプとバケツを投げ捨て、耳をふさぎたくなるのをどうにか我慢します。地下室は完璧な防音です。扉を閉めてしまえば、決して、外に音が漏れることはありません。

 階段を下りた先からまっすぐ伸びる通路を少し進むと、ランプの灯りに照らされ、赤黒い鉄格子がぼんやりと浮かび上がります。

 その向こう側で、〈あれ〉が蠢いているのです。

 私は〈あれ〉の姿を見ぬように顔を伏せます。〈あれ〉は、この世の生きとし生けるモノの中で、最も醜悪な存在です。唾液塗れであろう口腔から発せられる荒い息遣いと、理性の欠片もない下品な唸り声が、耳元に迫ります。

 鉄格子の一番端に、外からしか開けることのできない小さな窓が備えつけられています。そこだけ格子がありません。私は一度、ランプとバケツを床に置くと、素早く窓を開け、バケツを掲げて、餌を中へと流し込みます。小窓の向こうの真下には大きな木製の桶が置かれていて、そこに餌がびちゃびちゃと注がれます。

 

〈あれ〉はすでに桶の前で待ち構えています。頭を桶に突っ込み、口いっぱいに餌を頬張り、汚らしく咀嚼するのです。なんと浅ましい姿なのでしょうか──。

 

私は、こらえきれなくなり、〈あれ〉に背を向けます。ランプを拾い上げ、早足で通路を戻り、階段を上がります。そして急いで床の扉を閉めるのです。私が〈あれ〉を地下室に閉じ込め、飼っているのには理由があります。

 私には遂げなければならない目的があるのです。

 それにはどうしても〈あれ〉が必要です。そしてお金もたくさんかかります。

 今のところ、ありがたいことに、小説の依頼は途絶えることなく続いています。今まで、出版した本も好調に売れています。

 私が書いているのはホラー小説です。今まで、小説のネタに困ったことは一度もありません。過去に経験した記憶の抽斗ひきだしを開ければ、いくらでも物語は紡げるのです。

 私の小説は、残虐極まりない内容のものがほとんどです。昨今、世の中は以前と比べて平和になったと聞きます。もしかしたら世の人々は、刺激を求めているのかもしれません。それが理由なのかはわかりませんが、とにかく私の本は売れ、こうして毎日、小説を書き続けているのです。

 しかし、目的のためには、まだまだお金が足りません。

 私は何も好きこのんで、このような森の奥深くの一軒家に住んでいるわけではないのです。目的さえ成就できたら、こんな家はすぐに捨て去り、森を出て、町の一等地に新たな家を建てて暮らすつもりです。そのときが来たら、華やかな社交界にも、デビューしたいと考えています。お化粧をし、肌の露出した洋服で着飾れば、誰もが私の美貌に感動を覚え、褒め称えるに違いありません。

 私は地下室から戻ると、今一度、穢れを落とすために二階でシャワーを浴びます。その後、一階の仕事部屋へと向かうのです。カーテンを開けて、闇空のもと、机へと向かいます。目的を遂げた自分の姿を描きつつ、陽が昇る直前まで、私は今日も小説を書き続けるのです。


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