愚か者の選択②
ルドルフの提案はこういうものだった。
三年ほど公爵令嬢の教育を受けその出来栄えを見てから、改めてララスティの養女の話をする。
また、先日のお披露目会でララスティとの確執が表沙汰になっているため、離して暮らした方がお互いのためになるだろうから、ララスティは別邸に戻って生活をする。
「我ながら悪くないと思うが、どうだろう」
確かに先日の事件を考えると、これ以上ララスティとエミリアを近くで暮らさせ、気づかないうちにエミリアがララスティの物を取っては問題だ。
それはさすがにわかるのか、アーノルトもララスティが別邸で暮らすことを認めた。
前ランバルト公爵夫妻も、自分たちのいる別邸にララスティが来るのならと喜ぶ。
「よかった。じゃあ、本題の契約の話をしようか。コール兄上、書類を」
「はい、ルドルフ殿下」
やっと出番か、とコールストはアーノルトの前に今までの調査結果報告書を出す。
それを確認したアーノルトの顔色はよくない。
「見てわかるように、ミリアリスが嫁いで十年近く経つが、ランバルト公爵領は一向に状況改善の様子が見られない。我がアインバッハ公爵家としても焼け石に水を掛けるために支援をしているわけではないのでね。何かしらの改善案が欲しいのですよ。例えば、しばらく前に話した治水工事とか」
「治水工事は領民の意見も聞く必要があり、なかなか難しいのです」
コールストの意見にアーノルトが咄嗟に答えたが、視線が泳いでいるので適当に言っているのだとわかる。
「確かに領民を無視しての治水工事は問題を起こすが、ランバルト公爵領は数年に一度、近年では毎年のように水害が起きている。領民としても治水工事は願ってもない事では?」
「いや、大きく氾濫する川は領民にとっては、信仰の対象のようなところもあって、なかなかそこに手を入れるのは難しい」
アーノルトは古いヤツは頭が固いからと言うが、それならばほかに何か改善案はなかったのかと、コールストとしては文句を言いたくなってしまう。
「では上流にため池を作っては?」
不意にルドルフが意見を出した。
「帝国の施工法だが、上流に水をためる池を作り川の水量を調整するんだ。もちろん作成には時間がかかるし費用も掛かる。だが、効果のほどは帝国でしっかりと証明されている方法だ」
小さなため池はすでにいくつかあるが、それとは別に大きなため池を作ると言われ、前ランバルト公爵夫妻がどのあたりなら可能かと考え始める。
一方で、アーノルトは渋面を作る。
「費用ですか? 正直なところ、今の支援金でギリギリなんですよ。ルドルフ殿下の提案はありがたいですが、金がなければどうしようもありません」
「それは資金さえあれば着工するという事か?」
アーノルトの言葉にすぐさまルドルフが質問すると、驚きながらも「それはそうですよ。問題は資金ですから」と答えた。
「なるほど。コール兄上、どうだろうか?」
横で難しい表情を浮かべるコールストにルドルフが尋ねる。
コールストは少し考えるように目を閉じた後、ゆっくりと瞼を開け「それであれば」と口を開いた。
「いかほど支援すれば着工できるのだろうか?」
「へ?」
「資金の問題なのだろう。だったらアインバッハ公爵家としては王命もあってランバルト公爵家を出来るだけ支援する義務がある。それで……いかほど必要なんだ?」
咄嗟に金額が出てこないのか、アーノルトが言葉に詰まっていると、スエンヴィオがアーノルトの手にあった書類を奪い内容を確認すると、「最低でも今の二倍は必要でしょう」と苦虫を噛みつぶしたような顔で言った。
「二倍……」
コールストは考えるように腕を組んで黙る。
スエンヴィオとしても少し前に支援金を増額したのを理解しているため、自分が無茶なことを言っていると自覚があった。
だが今の収支を考え、何か事業に……今回のように治水工事に本格的に着手するにはそのぐらいの予算が必要だと考えたのだ。
もちろん、その概算が正しくないことはルドルフとコールストだけが気づいている。
アーノルトに渡した資料は、支援が始まったこの十年ほどの収支だけではなく、これからかかる生活費を省いているのだ。
今までのように焼け石に水のような対応だけなら、支援金を少し増額するだけでいいが、大きなため池を作るとなれば莫大な支援金が必要になる。
その事実を理解していないのだ。
「二……いや、三倍出そう。その代わり、治水工事を約束してもらうのと、いくつかこちらからも条件を出させてもらう」
「三倍!?」
コールストの三倍という言葉に、アーノルトは思わず上ずった声を出した。
「ああ、支援金を今の三倍にすることで今後の見通しが立つのならかまわない。ただし、先ほども言ったように条件がある」
「何でも言ってくれ!」
この機会を逃さないとばかりの勢いがあるコールストだが、その横では前ランバルト公爵夫妻が顔色を悪くしている。
今貰っている支援金だけでもかなりの金額なのに、その三倍ともなればとんでもない条件を突き付けられるのではないかと心配しているのだ。
「そうだな、少し考えるので待ってもらえるか? まさかこうなるとは思っていなかったのでね」
「もちろんだ。お茶が冷めたな、淹れ直させよう」
何も考えていないのか上機嫌なアーノルトは執事に指示を出す。
その横では前ランバルト公爵夫妻が小声で相談しているのだが、気にはならない様子だ。
コールストもルドルフに何か確認するように小声で話しているが、ランバルト公爵家の三人には聞こえない。
いかにも今考えているという様子を出しているが、こうなる事は予想済みであるため、条件はもう決まっている。
あとは考えているふりをしてじらすのみだ。
二十分ほど経過して、コールストの考えがまとまったようで、連れてきた執事に白紙の紙を用意させるとそこに文章を書き込んでいく。
「こちらの内容でどうだろうか」
「どれどれ」
期待に満ちた視線で文章が書かれた紙を見たアーノルトだが、視線が下に下がっていくにつれその目が驚きに見開かれていくのが分かる。
「何か問題が?」
わざとらしくコールストが尋ねれば、アーノルトは「これはどういうことだ!」と、用箋挟をテーブルに投げた。
慌ててそれを拾って紙に書かれた内容を確認した前ランバルト公爵夫妻は驚き、何度も用紙とコールストの間で視線を往復させた。
「あの娘を養女とはどういうことだ! それに監査? 俺を信用できないというのか!」
「ルティの養女の話は五年以内に立て直しができなければ、もしくは違反があればだから今は問題ではないのでは? 監査に関しては仕方がないだろう三倍の金額、いや必要ならそこに記載したように四倍までは出してもいいのだし、念を入れるのは当然だ」
「だったら、この……あの娘の世話係をアインバッハ公爵家で用意するというのは? それこそ我が家を信用していない証だろう!」
アーノルトが呼吸を荒くして言うが、コールストは不思議そうに眼を瞬かせた。
「実際、この屋敷の使用人は信用できないのでは? 父親である貴殿が許したとはいえ、ルティのジュエリーボックスやドレッサーから物を奪っていくのを容認したのだろう? こちらとしては大切な姪にこれ以上、悲しい思いをしてほしくないのでね」
何を当然なことを言うのだと言わんばかりのコールストに、アーノルトはこぶしを握って顔を赤くする。
「あれはエミリアの当然の権利だ。エミリアは今まで公爵令嬢として生きてこれなかったのだから、姉であるあの娘が譲って当然だろう!」
「お披露目のときもそのように話していたと聞いた。素晴らしく個性的な考え方だ。それを聞けば、ますます大切な姪の傍にこの家の人間を寄せ付けたくなくなるな」
「まあ、別邸の使用人が増えるだけだ。それとも、別邸には使用人を増やす余裕がないのかな?」
割って入るルドルフに対し、アーノルトは一瞬言葉に詰まり横に居る両親を見る。
「いえ、受け入れることは可能です、ルドルフ殿下。ですが、他家の使用人を受け入れるなど我が家の使用人の立場がないではありませんか」
「ふむ。では、こちらの家からも数名使用人を出してはどうかな?」
スエンヴィオの言葉にルドルフが返すと、「それならば……」と悩んでしまう。
前ランバルト公爵夫妻としても、アーノルトの言いなりになっているだけのような使用人は、出来るだけララスティに近づけたくない。
知らなかったとはいえ、前当主夫妻が贈った品物を新参者の娘に奪われるのを見過ごすなど、あってはならないのだ。
まずスエンヴィオたちに報告をすべきだった。
「ああそうだ! ルティの生活費や衣装代、交際費も我が家から出そう。それであれば貴殿は愛する娘にルティの分の予算も割り振れるのでは?」
「それは……そうだが……だからと言って!」
「そこまでしてララスティに肩入れするのは、やはり養女にしようとしているからですか?」
シシルジアの言葉に「それもあるが」と、コールストはため息をつく。
「純粋にルティを心配している。どうも我が家に来るまでの待遇もよくなかったようなのに、再婚して新しい家族が出来た途端にこの状況だ。別邸に行ったとしても押し掛けられたら意味がないだろう? こちらの家の使用人はルティを守ってくれるのか?」
コールストの質問に、前ランバルト公爵夫妻は絶対に大丈夫だと答えることが出来なかった。
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