愚か者の選択③

 結局、アーノルトは支援金のためにコールストの出した条件を呑むしかない。

 その代わりとして、領地立て直しに関する費用は限界の四倍までアインバッハ公爵家が出すという、通常ではありえない提案をする。

 しかし、コールストはあっさりと承諾してサインをする。

 驚きながらもアーノルトが同じように自分の名前を記入すると、それを確認したルドルフが契約書を取り上げ、立会人として署名した。

 これでルドルフは第三者ではなく、契約に関わる当事者になったのだ。


「さっそくルティが別邸に移動するための準備をしてもらおう。とりあえず、そちらから数名……三人ほどルティの付添を認める」

「それなら、私付きのメイドを」


 シシルジアが自分のメイドを推薦しようとしたとき、「まった」とアーノルトが声を出した。

 注目が集まる中、アーノルトはヘラリと笑う。


「これからランバルト公爵家は一丸となって領地の立て直しをすべきだろう?」

「ああ、やっと自覚を持ったのか」


 少し感動したようにスエンヴィオが頷く。


「じゃあさ、父さんたちも本邸に戻って来て俺の仕事を手伝ってくれよ。母さんだって社交とか戻って欲しい」

「「なっ」」


 アーノルトの言葉に驚き、信じられないと言わんばかりに前ランバルト公爵夫妻は自分の息子を睨みつけた。

 自分の意見に賛成されるとしか考えていないアーノルトは、なぜそんな目で見られるのかわからず、慌てたように自分の前で両手を振る。


「だってそうだろう! クロエはまだ社交は無理だし、そうしたらランバルト公爵家が夫人の社交界から仲間外れにされるだろう? そんなのは家の恥じゃないか。だから母さんにはクロエの代わりに社交界に戻って欲しいんだ」


 今この場に居るコールストは妻を亡くしたばかりで、まさにその夫人の社交界に置いて行かれている状態だが、気遣いと言う言葉はアーノルトの頭の中にはないらしい。

 同じ別邸で暮らすのだから、自分付きのメイドをララスティ付に変更しようとしたシシルジアは茫然とアーノルトを見る。

 社交界に出ることが出来ないような妻を選んだのはアーノルト自身なのに、そのフォローをいまになって母親に頼むという考えが信じられないのだ。

 結婚だって入籍を済ませてからついでのように使用人に言伝で伝えられた。

 驚きのあまり本邸に行ってみれば、ララスティがいない食堂で3人はお茶を楽しんでおり、そのマナーの悪さに文句を言う気力すら吹き飛ぶほどだった。

 ケーキを手づかみして食べるだけに飽き足らず、その手を拭かないままティーカップを掴んで音を立てて啜る。

 物心がついた時からマナーを叩きこまれたシシルジアとしては、ランバルト公爵家でそんな光景を見るとは思ってもいなかった。

 けれどもアーノルトを問いただしても、もう二人はランバルト公爵家の籍に正式に入っていると返されるのみ。

 一度結婚すれば法律で死別以外認められないこの国において、今更入籍をなかった事にはできない。


 息子の無神経さに怒りを感じて震えるシシルジアに気づかず、アーノルトはスエンヴィオにもまだ執務になれていないから手伝いが必要だという。

 いままで次期当主として別の場所で寝泊まりこそしていたが、仕事はしていただろうというスエンヴィオに、アーノルトは「やったことがあるのは処理できても、やったことがないものはできない」とはっきりと答えた。

 確かに今までの業務はわからないところがあれば、すぐにスエンヴィオか他の補佐官が教えることができていたが、当主を交代したときに今まで働いていた補佐官も引退し、他に教えてくれる人がいなくなったようなのだ。

 それでもこの三ヶ月は問題なく執務をこなしたが、新しい治水工事を取り仕切るとなれば話は変わってくる。

 適当にやろうとしても、アインバッハ公爵家から監査が入るのでそれも難しい。

 だからこそ、ノウハウのあるスエンヴィオに手伝って欲しいと言っているのだ。

 自分の息子はこんなにも執務の能力が低いのかと、スエンヴィオは情けなくなったが、アインバッハ公爵家が監査を入れる以上、確かに適当な仕事は出来ない。


「手伝うのはいいとしても、別邸から本邸に戻る必要はないだろう」

「そうですよ。私たちが本邸に移ったら別邸にはララスティが一人になってしまうじゃない」


 別邸から通えばいいと言う二人に、何か急用が出来た時に本邸に居てもらわないと対応が遅れるかもしれないとアーノルトは言う。

 それに対してスエンヴィオは歩いても十分の距離で何を言うんだと反論したが、その十分が惜しいと言い返された。


 その光景を見てコールストとルドルフは、ただ単にララスティの近くに両親を置きたくないだけなのだと察した。

 恐らく愛娘・・のエミリアに、自分も祖父母と仲良くしたいとでも言われたのだろう。

 ランバルト公爵家の三人が言い合いになりそうな空気を察し、ルドルフは軽く手をたたいて音を出し自分に注目させる。


家族の話し合い・・・・・・・は私たちが帰ってからしてもらいたい。契約も終わったし、私たちはこれで失礼する。コール兄上はララスティにつける使用人の選別をしないといけないしね」


 随分前から身の上調査も踏まえ選別は終わっているが、建前上これから行うと説明するルドルフに、コールスト無言で頷いた。


「話し合いがあるようなので見送りは結構。ルティには私から詳細を伝える手紙を書くので、間違いなく届けるように。……いや、我が家のメッセンジャーボーイに直接渡させよう」


 コールストはそう言ってソファーを立ち上がり、ルドルフもそれに続く。

 見送りは要らないと言われたが、第二王子を見送らないわけにもいかず、ランバルト公爵家の三人は玄関ホールまでついて行くことになった。


「伯父様?」

「おや、ルティ」


 玄関にはどこかの家の茶会に行った帰りなのか、かわいらしいドレスを着たララスティがおり、不思議そうにコールストたちを見ている。

 ララスティには、前回コールストがランバルト公爵家を訪問したという記憶はない。


「ランバルト公爵家への支援のことで話し合いがあったんだよ」

「そうでしたのね」


 ララスティが訪問の理由を尋ねてくる前にコールストが説明すれば、ララスティは納得したように頷いた。

 ルドルフの計画がなくとも、ララスティの計画にもランバルト公爵家への支援金についての修正があった。

 前回は支援金をエミリアのドレスやアクセサリーにつぎ込んでいたため、何に使うか監査を行おうと、初めに提案したのはララスティだった。

 ルドルフまでいるのはさすがに予想外だったようだが、そもそも王命が関係した契約なのだからそんなこともあるのだろうと考えたようだ。


「そうだララスティ。君は別邸に移ることになったんだ」

「まあ! そうなのですか?」


 先日のエミリアとの件があったので、何かしらアーノルトが動くだろうとは思っていたが、まさか別邸に移されるとは思っていなかったらしいララスティが驚きの表情を浮かべた。


「本邸に移ってきたばかりなのにまた戻る形になるけれど、荷物は増えていないだろうからそこまで大変じゃないだろう」

「そうですわね。すぐに移動した方がいいのでしょうか?」

「どうかな?」


 コールストは背後に居るアーノルトたちを見るが、アーノルトはララスティを視界に入れるのも嫌なのか、そっぽを向いてこちらを見てすらいない。


「急がなくてもいいのよ、ララスティ。私たちの移動もあるもの」


 シシルジアの言葉にララスティは「お婆様たちの移動ですか?」と聞き返した。


「ええ、旦那様はアーノルトの手伝いのために本邸で過ごす時間が増えるからという理由よ。私は、そうね……社交界のお手伝いかしら」


 シシルジアはクロエの手伝いと言いたくないらしく、言葉を濁したが、察したララスティは表情を曇らせた。


「そうなのですね。お婆様たちがついていらっしゃればお父様たちも安心でしょう。わたくしも皆さまが安心できるのなら嬉しいですわ」


 曇った表情とは逆に、嬉しいと口にするララスティに、シシルジアとスエンヴィオは何か言わなくてはと思ったが、その前にアーノルトが口を開いた。


「この家でお前だけが何もしない役立たずだな。まったく、エミリアの可愛さを見習ってほしいものだ!」

「アーノルト!」


 シシルジアが声を荒げたが、アーノルトは気にした様子もなく、「もうお前は荷造りに行け」とララスティを追い立てた。


「わかりましたお父様。皆さま、それでは失礼いたします」


 ララスティはカーテシーをしてからその場を去っていったが、その背中にルドルフが声をかける。


「この屋敷から三人君付きの使用人を選んでいい。他の使用人はアインバッハ公爵家が用意するそうだ。好きな三人を選びなさい」

「……わかりました」


 声をかけられたララスティは振り返ってルドルフを見て頷くと、足早に去っていった。


「聞きしに勝る冷えた親子関係のようだ」


 コールストが言えば、アーノルトが鼻で笑った。


「話しかけただけましでしょう?」


 その言葉に、いつもはもっとひどいのだと容易に想像できてしまい、前ランバルト公爵夫妻も表情を厳しくしたが、コールストとルドルフは呆れた表情を浮かべた。


「それでは、私たちはこれで」


 ルドルフがそう言って、コールストと二人が連れ立って玄関を出ると、慌てて前ランバルト公爵夫妻が駆け寄ってくる。


「あのっ! ララスティのところで働く使用人ですが、どうか良き人選をお願いします」

「私と夫は結局あの子の傍に居ることが出来ないようですから……」


 頭を下げてくる二人にコールストは頷くと、ルドルフに続いて馬車に乗り込んだ。

 扉が閉まり、馬車が出発したのを確認してコールストはため息をつく。


「手遅れなんだ」


 ララスティはもう前ランバルト公爵夫妻に何の期待もしていないのだから、今更気を使ったような行動をしても、何の意味もない。

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