下準備B②

 当主の交代にあたってまず指摘すべき点は、まだ領地の立て直しの見通し案すら出ておらず、アインバッハ公爵家からの支援金を、ただ補償金として領民に配っているだけという部分だ、とルドルフは指摘した。

 それにはコールストも納得しかねており、オーギュストが前ランバルト公爵と最初に交わした契約にあった「水害を抑えるための治水工事」に至っては、着手すらできず計画書を作る様子も見られない。

 コールストが当主になった際にそのことを指摘したが、治水工事よりも領民の健康を維持するための救護施設を優先させていると言われた。

 その時、伝染病自体はまだ流行していなかったが、ランバルト公爵領民の死亡率や病気の罹患率が高かったこともあって納得したが、治水工事の計画をしっかり立てることで支援金が増額されることになった。

 しかしルドルフが持って来た調査報告書を見ると、未だに何も変わっておらず、伝染病の特効薬が出回り始めたばかりなのに、すでにアーノルトが爵位を継ぐという話が出ているらしく、引継ぎ後の計画はしっかりとできているらしい。


「ランバルト公爵家はララスティが受け継ぐ財産が目当てだ。アマリアス殿が持参金として帝国から渡された穀倉地帯は、この国で一番のものだし、実に主食である小麦の七割はあそこで作られているからね。我が国としてももう無視できない場所だ」

「もしや、ルティがカイル殿下と婚約したのも領地が関係していますか?」


 コールストが気づいたように言ったが、ルドルフは「それはまた別件」とあっさり否定した。

 そのままルドルフは、今の状態でララスティの養女の話をしてもアーノルトが拒否するのはわかりきっているので、一度引いたように見せて条件を付けた契約をしようと言い出した。


 一つ、五年以内に領地立て直しの目処が付かない場合は、ララスティをアインバッハ公爵家の養女とすることを認める。

 一つ、立て直しに向け支援金は増額するが、アインバッハ公爵家からの経理監査人を受け入れる。

 一つ、経理監査人は、アインバッハ公爵家が出した支援金のみ監査する。

 一つ、ララスティの生活保障のために、アインバッハ公爵家は別途専用に支援金を出すが、管理するのはランバルト公爵家ではなく、アインバッハ公爵家が雇い入れた使用人である。

 一つ、それに伴い、ランバルト公爵家はアインバッハ公爵家が雇い入れた使用人に対して口出しをしない。

 一つ、上記に違反した場合、ララスティの親権放棄とアインバッハからの支援中止を即座に実行する。


「こんなところでどうかな?」

「かなり無茶な請求ですね」

「金額の増額が魅力的すぎて、他が無茶だとしても呑むしかない」


 ララスティがお茶会で、執拗なまでにアクセサリーやドレスを自慢していることはルドルフの耳にも入っている。

 前回はなかったこの行動の意味を考えるのであれば、奪われることが前提・・・・・・・・・で仕掛けていると考えるべきだ。

 実際に奪われたときに、その品物を持っているエミリアに疑いがいくように、わざとらしいほどに強調しているのだろう。

 それであるのなら、時期が来ればエミリアはララスティの持ち物に手を出せなくなる。

 出すかもしれないがそれは自分を追い込むだけだ。


「社交が再開されるようになれば、今以上にララスティはアクセサリーの自慢をするだろうな。嫌味にならないように気を付けた方がいいと手の者に伝えるようにするけど、実はそこまで心配はしていない」


 ララスティは『うまい』から、とルドルフは笑う。

 前回はあまりその能力を発揮しなかったが、事情を知らないその他大勢から悪女と言われても、事情を知っている友人たちからは最後までララスティへの同情心は無くならなかった。

 カイルに対しても、ララスティを裏切った男が信用できないと言って、帝国に移住した貴族もいた。

 エミリアは確かに「上手」に立ち回ってカイルや周囲の人間の印象を操作したが、生粋の貴族で王太子妃教育を受けていたララスティの本気に勝てるわけがない。

 人心掌握は上に立つ者の必須スキルなのだ。


「とりあえずはアーノルトが公爵を継がなければ話は始まらない。あとはどうとでもできるように準備を怠らなければ、恐れることはないんだ。前回は私も後手に回るしかなかったから厳しかったが、最悪の事態は避けられたからね」

「と、言いますと?」

「…………ララスティは、どこまで覚えて・・・いるのかな?」


 ルドルフの言葉にコールストは少し不思議そうな顔をしながら「事故に遭って死んだと聞きました」と答えた。


「やはりね。それは実は不正解なんだ」

「はい?」


 どういうことだ、とルドルフの言葉にコールストは思わず体を前に出してしまう。


「事故はあった。でも、ララスティは一命をとりとめたんだ」

「本当ですか!?」


 またもや驚きに声を上げるコールストだが、ルドルフが何とも言えない難しい表情を浮かべているのを見て少しだけ冷静になり、ソファーに座り直した。


「それは、どういうことなのでしょうか」

「命は助かったけど、足の怪我で自力で歩くことは出来なくなったし、会話もほとんど成立しなかった。諸々のことを考えて死亡扱いにはしていたけど、生きて私の屋敷で暮らしていた」


 ルドルフの言葉にコールストは疑問を抱く。

 妻と言っていたはずなのに、死亡扱いとは、どういうことなのだろうか。

 疑問を抱いたことが顔に出ていたのか、ルドルフはすぐに答えを口に出した。


「事実婚とでもいうのかな。正式に籍は入れていないけれど婚外子もいたんだ。屋敷ではララスティは女主人として扱われていたし、子供たちも自分の母親がララスティだとちゃんと認識していた」

「そう……ですか……」


 情報量が多いとコールストは頭を抱え込みそうになったが、当主としてのプライドで何とか我慢した。

 とにかく、ルドルフがララスティを気にかける理由には納得ができた。

 多分ちゃんとララスティを愛する夫であり、今もまだララスティを愛しているからこそ、こうして行動しているのだろう。

 そこで改めて契約の内容を思い出してみる。

 アインバッハ公爵家からララスティのために人員を派遣するとあるが、その中には当然のようにルドルフの息がかかった者が紛れ込むはずだ。

 それ自体は否定しないし、信頼できる者がララスティの傍に居るのであれば安心できる。


「支援金の増額は、いかほど必要でしょうか?」

「最低でも二倍」


 質問に対し端的に答えられたが、内容はとんでもなかった。

 初期から支援金を増額しているのにさらにその倍となれば、アインバッハ公爵家としてはそこまで気にならない金額でも、ランバルト公爵家の方で怪しんで断るかもしれない。


「さすがに向こうが断るのではありませんか?」

「それはないな」

「なぜ?」

「お金がかかる時期なんだ。領地の立て直しに税収を回したくないから支援金で立て直しの道しかないだろう?」


 一見まともなことを言っているようだが、やはりあり得ない内容である。

 わかりやすく言うと、増えるであろう家族にお金をかけるようになるので、領地からの税収は生活費に消え、立て直しの資金に回せない。

 その分、支援金の増額を歓迎するという意味なのだろう。


「アーノルト殿には貴族としてのプライドがないのですか?」


 他家の資金で自領を建て直すなど恥であるのに理解できないとコールストは驚きを隠せない。


「貴族のプライドがあればもう少しまともな結婚生活を送ったんじゃないか? 少なくとも、後妻に平民の愛人を据えるなんて馬鹿な真似はしない」


 ルドルフのその言葉に、アーノルトは思わず「確かに」と声を出してしまう。

 いくら貴族の人数が減っているとはいえ、公爵家の後妻に平民の愛人を据えるのは、貴族夫人たちが認めないだろう。

 貴族夫人のネットワークは侮れない。男性貴族が知らない、思いもよらないような情報を平然と知っているような時だってある。

 彼女たちに目を付けられたら、コールストであっても無事に貴族として生活できるか不明だ。


「それじゃあ、私たちは出来るだけの準備をしておこう。すぐにララスティのところに人員を送り込めるように人選を済ませたり書類を作成したり、忙しくなるさ」


 悲しさや寂しさを忘れるぐらい、とルドルフに言われてコールストは苦笑してしまう。

 なんとなく、これはもしかしたらルドルフなりの慰めなのかもしれない。そう思えたのだ。

 妻子を亡くし、懐いてくれている姪も家に戻ってここにはいない。

 純粋に寂しいと感じている従兄を慰めている、そう考えるとやる気も変わってくるというものだ。

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