下準備B①

 エルンストの葬儀が終わり、ララスティがランバルト公爵家に戻ってしまい、すっかり寂しくなったアインバッハ公爵家に来客があったのは、年が暮れる少し前のことだった。


「コール兄上、訪問を許可してくれてありがとう」

「かまいませんよルドルフ殿下。どうぞおかけください」


 先ぶれをしっかり出して訪問してきたのはルドルフその人である。


「ララスティもこちらからいなくなって、コール兄上が寂しがっていると思い、面白い提案を持って来たんだ」

「提案?」


 寂しく感じているのは事実ではあるが、それとルドルフに何の関係があるのかとコールストが首をかしげると、分厚い封筒を差し出され無言で読むように視線を向けられた。

 仕方なく封を開けて中の書類に目を通すと、コールストの表情がどんどん無になっていったが、最終的に薄笑いの表情を浮かべた。


「なるほど、先々代は有能でしたが先代は領地経営の才能に恵まれず、今の当主は立て直しに必死になっているというのに次代は散財がお好きなようですね」


 書類にあったのはランバルト公爵家の領地運営の記録で、随分古いものもあるため、準備に時間をかけられたのだとわかる。

 先代の国王、すなわちオーギュストの兄が、国として長年仕えてくれたランバルト公爵家が落ちぶれていくのを見るのは忍びないという理由で、コールスト妹のミリアリスが王命でランバルト公爵家に嫁ぐことになった。

 そこでなにかしら情を交わすことがあれば、なにかが変わったのかもしれないが、出来上がったのは冷めた関係の夫婦と、その夫婦が義務的に作った子供のララスティ。

 アインバッハ公爵家で家族の食事をとるまで、食事とは一人で食べるものだったと話を聞いた時、もっとミリアリスにララスティを気にかけるように言うべきだったとコールストは後悔した。


「アーノルト殿に庶子が居るのは知っていますが、公爵位を継いだら庶子を正式に公爵家の籍に入れるだけではなく、平民の愛人を公爵夫人にするとは驚きました。教育にどれだけ金をかける気でしょうか?」


 公爵家ともなればこのように王族と対面することもある。

 その時に教育が行き届いておらず粗相をしたあとでは遅いのだ。


「さて、愚か者の考えていることはわかりたくはないな。しかしこれはチャンスなのではないか?」

「チャンス?」

「ララスティをこのアインバッハ公爵家の養女にするチャンスじゃないか」


 ルドルフの言葉にコールストが笑みを消して一瞬真顔になると「何のことでしょう?」とまた違う種類の笑みを浮かべてルドルフを見る。

 その笑みを気にすることなくルドルフは当たり前のように言葉を続けた。


「何かおかしなことがあるか? 半分は平民の血とはいえ、ランバルトにはもう一人後継者が出来る。反面、このアインバッハ公爵家はコール兄上が再度子供を残さない限り、後継者がいない。そうなれば姪であるララスティを養女にと考えても不思議ではないだろう。あの特効薬の試作品の後遺症には男性不妊もあると聞くし可能性はゼロではない」

「なぜ、それを……」

「あくまでも可能性の話だ。目に見える後遺症がないと言っていたので、もしかしたらすぐに支障が出る部分ではなく、後々に影響が出る内臓系に後遺症があるかもしれないだろう。王太子であるハルト兄上は遅れて完成品の特効薬を飲んで快癒したが、果たして後遺症なく快癒したのかも微妙なところと考えている最中だからな。ああ、今のことはハルト兄上には内密に」


 何かを含んだようなルドルフの言葉に何か違和感を抱いたコールストは再度書類に視線を落とし、アーノルトが当主になってからの想定される動きに注目してもう一度読む。

 そして気づいた。


「借金を前提とした資金運用の可能性?」

「そうなるのではないかと考えている」

「どうして?」


 書類には、領地立て直しという名目でアインバッハ公爵家にランバルト公爵家が、多額の融資を依頼してくるであろうと記載されている。

 支援している金額以上のものは、通常通りの貸し付けとするというのが今の契約であるため、この予想が当たればランバルトは領地を建て直したとしても、返済のため、長い間資金運用に悩むことになる。

 アインバッハ公爵家とランバルト公爵家の契約は当主が変わればその都度見直しが行われるとはいえ、結婚による契約でありその証であるララスティがいる限り結ばないということはない。

 長期の時間をかければ、困窮したランバルト公爵領の立て直しも可能と予想が出来たからこその王命でもあった。

 十数年もかければ自力で軌道に乗るだろうと信頼を受けてのことだったはずなのに、借金まみれになったのでは何の意味もない。


「借金など踏み倒せばいいと思っているのでは?」

「は?」


 思いがけないルドルフの言葉にコールストが茫然としたが、視線を鋭くして声を出した。


「コール兄上にこのまま跡継ぎができなければ、養女にしなくともアインバッハの財産はララスティのものになる確率が高い」

「そうでしょうね」

「そうなれば、ララスティが財産を継ぐ際にランバルト公爵家に対する借金をなくさせればいいと考えるんじゃないか?」

「まさか!」


 思わず否定するコールストだが、確かにその辺の知識はララスティに話された部分にはなかったと思い出した。

 このまま今までと変わらない契約が続いて行き、良きタイミングで前回とは違いしっかりと法的手段を用いてララスティを養女にする計画だったが、もしかしたら前回でランバルト公爵家がララスティとアインバッハ公爵家の人間の接触を邪魔していたのは、そもそも養女にさせないためだったのかもしれないと考えを改める。


「愛情に訴えれば可能性はあるだろう。例えば『今まですまなかった。借金のことがあってどうしてもお前につらく当たってしまった。借金のことさえなければちゃんと家族として過ごせるのに』などと言えば、愛情に飢えたララスティなら簡単に借金をなかったことにするかもしれない」


 ありえそうな予想に思わずコールストが苦虫を噛み潰したような顔をすれば、ルドルフはクスリと笑ってのどを潤すように紅茶を一口飲む。

 いったん落ち着こうという暗黙の合図に、コールストも紅茶に口を付けて心を落ち着かせようとする。

 なぜ目の前に居るルドルフはこのタイミングで訪問したのだろうか。

 特効薬の完成品が出回り始めたとはいえ、社交が正式に再開していない状態での訪問は主に感染面での危険が伴う。

 そこでコールストは気が付く。

 特効薬は出回り始めたばかりで、完成品を王家に納品したのは昨日のことだった。

 王太子のハルトが伝染病にかかっているという情報は秘密裏に知らされていたため、もちろん予備も含めて多めに譲っていたが、昨日の今日で飲んで快癒した・・・・・・・と言い切るのは妙ではないか?

 コールストはララスティからハルトが特効薬の完成品を飲んで快癒したと事前に聞いているから疑わなかったが、後遺症が残るほど遅くに飲んだのなら快癒したと判断されるまで時間がかかってもおかしくない。

 ではなぜ快癒したと言い切れるのか。

 だまして油断させるための情報でないのなら——————


「ルドルフ殿下が息子の葬儀に来るとは思わなかったとルティが言っていました」

「そうだな。ララスティの中では王家からの参列者はいない予定だったはずだ」


 ルドルフの言葉にコールストの中で可能性への疑念が確信に変わっていく。


「いつごろ、お気づきに?」

「今年の二月中旬だったな。もっと早くに思い出していれば色々動きようがあったのかもしれないが、ここまではどうしても後手に回ってしまった。ララスティも動いているようだから、邪魔をしない範囲で私も動かせてもらう。すでにランバルト公爵家に手のものは入れてあるし、ララスティに何かあれば彼ら・・が手を貸す手はずになっている」

「……なぜそこまでしてルティを気にかけて下さるのです?」


 コールストの質問にルドルフがきょとんとした表情を浮かべた後、意味深に微笑む。


「妻を気にかけない夫の方が通常はあり得ないだろう」

「はあ………………………はあ!?」


 一度気のない返事を返したコールストだが、発言の内容をかみ砕いてからようやくおかしなことを言われていると気づき、思わず変な声が出てしまった。


「妻? 誰が、誰の?」

「リリー……いや、今回はまだ呼ぶ許可を得ていないからララスティがこの私の妻だ」

「殿下とララスティは随分年が離れておりますが?」


 ララスティは現在七歳。対するルドルフは現在二十歳だ。

 確かにルドルフは昨年長年の婚約者を伝染病で亡くしているとはいえ、ララスティを新しい婚約者にするのは常識的に考えて難しいと思うのが普通だ。


「私の両親もそのぐらい年の差はあるし、曾祖父母も年の差があった。珍しいことじゃない」

「王妃様はハルト殿下のお母上が亡くなった際に教育時間や身分の関係上、仕方なく年齢が離れている令嬢になっただけで、最初から年の離れた婚約など難しいに決まっています。しかも今は伝染病のせいでどこも結婚相手や婚約が混乱しているのですよ」

「ああ、だから最初から私がララスティの婚約者になるわけじゃない。ただ後手に見せかけて先手を打とうとしているだけだ」


 にっこりと笑みを浮かべ「コール兄上には協力してもらうよ」と言うルドルフに、コールストは訪問を断ればよかったと少し考えたのは仕方がないのかもしれない。

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