下準備A⑤
九月に入り、いよいよエルンストは起き上がれなくなった。
それでも、ララスティの記憶にあるよりも少しだけ長生きをして、九月の下旬に息を引き取った。
最期に、ペンを取れないため、公文書作成官の立会いで作成された遺言書には、ただ一言、ララスティ宛に「信じてる」とだけ記載された。
九月の末日に近くなり行われたエルンストの葬儀は、他の伝染病罹患者の葬儀と同じように最低限の参列者が集まり、遺体は棺ごと火葬された。
だが、ララスティの行動が影響しているのかはわからないが、前回の記憶とは違う参加者もいる葬儀となった。
「ルドルフ殿下。本日は私の息子の葬儀にご参列いただき、ありがとうございました」
コールストに声をかけられたのはこの国の第二王子、ルドルフ。
王太子とは異母弟にあたるが年齢が離れているからか兄弟仲はよく、兄が戴冠後は王籍を抜けて母方の実家に籍を移し、養子先の家を継ぐ予定となっている。
銀色の髪と青い瞳の好青年であるルドルフは、声をかけてきたコールストに笑みを向けた。
「気にするなコール兄上。奥方の時は参列できず、済まない。こちらにも事情があってな……ララスティもミリー姉上の葬儀以来だな?」
ルドルフに声をかけられたララスティが丁寧なカーテシーを披露する。
「ご無沙汰しております、ルドルフ殿下。母の葬儀の際は、わたくしが泣いてばかりで御見苦しい場面を晒してしまい、申し訳ございませんでした」
「いや、気にしないでくれ。……今はアインバッハ公爵家に滞在中だったか?」
「そうですね。けれどもエルンストにぃ様がこのようなことになりましたので、実家のランバルト公爵家に戻ろうと思います」
ララスティがそう言えば、ルドルフは何とも言えない表情を一瞬だけ浮かべたが、「そうか」とだけ返した。
「奥方に続きご子息を亡くしてコール兄上も気を落としているだろうが、帝国が特効薬の完成品の開発を急いでいるとも聞く。もし同じ伝染病に罹患したのなら———」
「ルドルフ殿下、私はもう罹患して試作品の特効薬を飲んでいますよ」
「なっ……症状が出ていないのなら完成品をまってもよかったのでは?」
コールストの発言に驚いたように言うが、前回の知識がない状態であれば、いつ完成するかわからない特効薬にかけるよりも、後遺症が残るとはいえ試作品にかける気持ちもわかるのではないだろうか。
「完成品がいつできるかわかりません。それに私が罹患して父上たちやララスティに移してしまったら困りますから」
そう言われれば反論が出来ないのか、ルドルフは若干の不満さを残しながらも、頷いて理解を示した。
「確かに、姪とはいえ他家のご令嬢を預かっていたら用心深くなるのは仕方がない。症状はどうだ? 薬は効いたのか?」
「ああ、後遺症は調べているところですが、今困るような後遺症は出ていません。伝染病の症状も治まっているから私には効いたようです」
「そうか」
言外に妻子には効かなかったというコールストに、慰めの言葉をかけるのかとララスティは思ったが、ルドルフはそのようなことは言わず、ただ「君にだけでも効果があってよかった」とだけ告げた。
簡略化された葬儀が終われば、参列者は喪主に挨拶だけしてすぐさま解散するのが伝染病の対策の一つ。
ルドルフや他の参列者もいなくなり、燃やされた灰が処理されたのを確認してから、アインバッハ公爵家の3人とララスティは屋敷に戻る。
メイドが淹れたお茶を疲れたように飲む四人の空気は重い。
わかっていたことでも、親しい存在がいなくなるのは悲しいことなのだと改めて実感してしまう。
別邸でエルンストが使用していた部屋は明日には片づけられ、徹底的に掃除と消毒がされ、念のため二週間ほど換気したのちに解放されることになっている。
「伯父様、わたくしは月が替わったら家に戻りますわ」
「そうだな。その予定だったな」
寂しそうに微笑むコールストに、どことなく申し訳ない気持ちになるララスティだが、悪評を立てられないためには計画通りにしなければならない。
「ランバルト公爵家のお爺様に、帰宅の許可を求める手紙を書きます」
「孫娘が家に帰るのに手紙を出すのも、なんだかおかしな話だな」
苦笑するコールストだが、内心ではアインバッハ公爵家に約8ヶ月以上居たまま帰っていないのだから、それも仕方がないとも理解している。
ララスティも連絡をしなかったが、ランバルト公爵家からの連絡もなかった。
それだけ関係性が薄いのだとわかる。
「私からも手紙を書いておこう」
嫌味を少し添えて、と内心で考えながら紅茶を飲み干したコールストは、早速手紙を書くと言って部屋を出ていった。
その背中が妙に寂しげで、ララスティは声をかけるべきか悩んだが、一瞬伸ばしかけた手を誤魔化ように、ココアの入ったカップの取っ手に指を触れさせた。
「強がっていても、やっぱり息子が亡くなったというのは、あの子にとって悲しいことなのよね」
アマリアスが寂しそうにため息をつきながら呟いて、ララスティを見て寂しげに微笑む。
「ルティが来てくれて余命が分かったからかしら。あの子なりに妻子と時間を取ることが出来たから少しはましだと思うわ。覚悟する時間があるのとないのでは、やっぱり違うもの」
「そうですか」
ララスティは、そういうものなのかとアマリアスの言葉に頷くしか出来ない。
アマリアスはコールストの感じた悲しみを予想だけど、と話してくれる。
愛する家族というのは傍にいるだけで心が落ち着く効果があり、たとえ失われる
それが家族の愛なのだとアマリアスは話す。
「ああ、それで……」
ララスティは理解してしまう。
以前にエルンストの元に向かうコールストの背中を見て、なぜか羨ましいと感じなかったのは、自分には得ることのできない家族の愛情を見つけ、諦めの気持ちが強かったからなのだ。
その日の夕方、ララスティはランバルト公爵家に送る手紙とは別に、文通してる友人たちに家に帰ることを伝える手紙を書いた。
『親愛なる友へ
本日、従兄のエルンスト兄様の葬儀が行われました。
伯父様やおじい様たちの悲しみを思うと涙が溢れそうですが、居候のような立場のわたくしが嘆いても、きっとエルンスト兄様は呆れるでしょうね。
エルンスト兄様もいなくなってしまいましたし、わたくしもそろそろ実家のランバルト公爵家に戻ることにしました。
こちらの家では、実家では得られることのなかった家族のぬくもりというものを教えていただきました。
それに、家族の間には愛があるのだということも教えていただきました。
わたくしは両親から愛を得ることが出来ませんでしたから、伯父様たちとエルンスト兄様の姿を見て羨ましく感じてしまったのは、わたくしの心が狭いのでしょうね。
情けないことです。
家に戻ってお父様がいるわけではありませんが、せめてランバルト公爵家のおじい様とおばあ様と改めて接してみようと思います。
きっとわたくしもどこか一人でいる悲しさで心を閉ざしていたのだと思います。
だから、話してみようと思います……寂しかったと。
ふふ、弱音を話してしまってごめんなさい。
次にお手紙をくださる時はランバルト公爵家にお願いします。
貴女の友 ララスティより』
手紙を書き終え、ララスティは瞑想するように目を閉じる。
前回と違って僅かではあるがエルンストの死亡日がずれた。
そのためか葬儀には前回参列しなかったルドルフが参列し、ララスティとも僅かではあるが言葉を交わした。
ルドルフが言っていた事情は兄のハルトが伝染病で倒れたことだろう。
国民には内密にされたが、そのことが原因で子供が作れない体になってしまったと、前回、王太子教育を受けていた時に話された。
そのせいでカイル以外の子供をもうけることができないから、ララスティとカイルは王家の安泰のため、できるだけ早く子供を数人作って欲しいとも言われていた。
結局は叶わなかったが、完成品を待って特効薬を飲むのが遅れたハルトは、今の段階で試作品を飲んでもやはり子種を失うのだろうか?
ルドルフがエルンストの葬儀に参列したのは、特効薬の完成品の進捗を探ろうとしたからだろうか?
こうして少しずつ前回と変わっていってもなお『真実の愛』というものは成立するのだろうか?
ララスティは今回、カイルと異母妹エミリアの恋を邪魔する気はない。
むしろ応援しようと考えている。
悪女と呼ばれるような女になってやる気はない。
相手を悪女と認識させる真の悪女として暗躍する気でいるのだ。
すっと目を開け、ゆっくりと息を吐きだす。
その三日後の九月末、ララスティはランバルト公爵家に戻った。
別邸だけではなく本邸にも見知らぬ使用人が数人いるが、伝染病が流行していたのだからそれも仕方がない。
さらに、前回では父親のアーノルトが再婚した時に、平民出身の継母や庶子のエミリアを嫌う使用人を全員入れ替えた。
見覚えがない使用人はその際に居なくなったのかもしれない。
「やあ、お帰りララスティ」
「ただいま戻りました、お爺様、お婆様」
少々ぎこちない笑みを浮かべたランバルト公爵夫妻に
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