第五章
第46話
早朝の白んだ空にはぼんやりとした太陽が浮かび、澄んだ冷たい大気が大理石の隙間を縫うようにかすかに吹いている。肩を震わせた咲月がそっと吐き出す息はわずかに白く、冬の足音がすぐそこまで近付いていることを気付かせてくれた。
結城との晩酌を終えて眠りについた咲月はろくに睡眠をとらず、明け方に目を覚まして誰も起こさないように実家を後にし、昨日足を運んだ夏海が眠る墓地へ一人再び足を運んだ。
墓石の前で咲月は煙草に火をつけて、紫煙を大きく吸い込んだ。都会では味わうことの出来ない凛と澄んだ大気が、煙草がいつもより美味く感じるという錯覚を起こさせる。咲月はくわえた煙草を口元から離すと、先端に煌々と灯る火の塊を見つめながら細く紫煙を吐き出し、その場にゆっくりと屈み込んでそれを墓石の前の香炉にそっと寝かした。
「・・・いつの間にか、お前の歳、越してたな」
咲月は地面に腰を下ろして新しい煙草に火をつけると、小さく微笑みながらそっと呟いた。もちろんその場に咲月以外の姿は何もなく、小さな言葉の振動は誰の耳にも届かなかった。それでも、咲月は目の前の墓石を見つめながら言葉を続けた。
「お前の後を追うので、毎日必死だったよ。来る日も来る日も練習ばかりでさ。・・・まぁ、たまに嫌になったりもしたけど」咲月は地面に
咲月は小さな微笑みを絶やさぬまま、紫煙を細く吐き出して空を仰いだ。かすかに青みを孕み始めた空には雲一つなく、どこまでも果てしなく澄んでいた。
どんな闇だろうと、どんな夜だろうと、決して明けないことはない。それを気付かせてくれた、教えてくれた、掛け替えのない光。
「・・・俺、頑張るから」
言葉の波に力を乗せて、咲月は自分に言い聞かせるように呟いた。二つの紫煙は絡み合い、静かに薄れて消えていく。
「死」は、何も残さない。肉体も、精神も、崇高な意思でさえも。時が経てばそれすらも世界から忘れられ、存在していた事実すら薄れていく。
だからこそ、「
どんなに足掻いたところで、どんなに拒絶したところで、世界から夏海の存在が失われたという事実は、変えようのない現実。その現実の中を、自分は生きている。そしてこれからも、生きていく。
女々しいと分かっていた。不毛だとも分かっていた。それでも自分は、夏海のために生きると決めた。自分のではなく、誰かのための「生」だというのなら、彼女のための「生」で在りたいと思った。
咲月は短くなった煙草を地面に押し付けて、ポケットから取り出した携帯灰皿に吸い殻を仕舞うと、静かに立ち上がった。
儚く短い命を前に、
訪れることのない未来に、それでも諦めずに光を見据え続けた彼女の思いを。
忘れられる、わけがない。
思い出に、なるわけがない。
「・・・またな」
咲月は別れの言葉を小さく呟くと、少しだけ名残惜しそうに身を翻した。
彼女の居ない、世界。
彼女の居ない、現在。
それでも自分は、生きていく。
彼女のために、生きていく。
またねと声が聞こえた気がした。空耳だったかもしれない。風の音だったかもしれない。
「・・・あぁ。またな」
咲月は再び微笑んで同じ言葉を呟くと、一瞬だけ空を仰いで足を踏み出した。
この胸が止まるまで、
君を想い続けよう。
この時が止まるまで、
君を刻み続けよう。
自分が生きている証。
それが、君が生きていた証になるのなら。
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